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情熱の 蝉HUNTER


あ!アブラや!

アブラが鳴いてる!!


昼食中にも関わらず箸を投げだして、ベランダへ飛び出した長男は、柵の隙間から眼下の新緑となった桜並木を見降ろしている。

もちろん。
ここは6階なので、どんなに目を凝らしても蝉の姿など目視できるはずもなく、大人から見ればこの行動は奇異なだけである。

もうすぐ幼稚園の夏休みが始まろうというこの季節は、5歳になったばかりの長男にとって、蝉HUNTERハンターとしての血が騒ぐのだ。

「ちょっとー。ひろくん、はよご飯食べや。」

あまりに熱心に見まわしているので、たまらず声をかけると、後ろ髪を引かれる様子で渋々席に戻る。

「ご飯食べたら、蝉捕りに行くで。」と目を輝かせて一言発し、黙々と昼食を口にかけ込む。

ーああ。もうそういうシーズンやもんなー

ほんの3日ほど前に、近所のホームセンターで虫かごと虫取り網を買っておいて良かったと、私は待ってましたと言わんばかりに心の中で思う。



蝉にはレア順位がある

私の住む地域に生息している蝉は「クマゼミ」が多く、少数だが「アブラゼミ」もいる。
多数を占めるクマゼミの中で比較的希少なアブラゼミを捕まえるのは、息子にとってステイタスなことらしい。

全国的な生息分布を見ると、むしろアブラゼミの方が多いらしいので、なんのことはない、どちらも珍しくもない一般的な蝉なのだが、彼にとってはレア度が違う。

鳴き声も私にはなんとなく声の高さが違うかな?という程度のもので大差なく、どちらもうるさくて暑苦しいものであるが、彼にとっては至福の季節到来を告げる快適なもので、鳴き声さえも瞬時に聞き分ける事ができる。

もちろんこの2種だけではなく、さらにレア度の高い蝉もいて、他の蝉の声もちゃんと区別できていた。


実家があった西宮市の辺りもほとんどがクマゼミだったが、山手の方まで遠出すると関西では珍しい「ミンミンゼミ」がいたし、
海水浴へ出かけた和歌山県由良町辺りの海岸付近の林の中には、これまた珍しい「ツクツクボウシ」がいた事もある。

これらは比較的寒冷な東日本、それも東北あたりに生息するらしく、近畿圏ではめったにお目にかかれない超が付くほどのレアものだ。

彼のテンションはマックスに跳ね上がり、何が何でも捕まえるという気合の入れ方が普段とはまるで違い、その顔つきといい集中力といい、まるで別人となる。

彼のレア順位は、以下の通りだ。
1位ーツクツクボウシ
2位ーミンミンゼミ
3位ーアブラゼミ
4位-クマゼミ

HUNTERの蝉知識はもっと多岐に及ぶが、私が憶えることが出来たのがここまでである。

だいたい、この頃はどこへ行くのも網とカゴは持ち歩き、いつ蝉HUNTERのスイッチが入っても行動できる準備は怠らなかった。

常に凄まじい情熱を持ち続けていたのには感心する。

というのも、海水浴やシュノーケリング目的で海へ行った時、間に合わせで魚用の網を使った事があり、思うようにハントできなかったのが、よほどの教訓になったようなのだ。

おかげで家族はどこへ行っても、蝉取りに付き合うハメになったのは言うまでもない。



こんなはずではなかった子育て

思い起こしてみても、この子がどうしてこんなにも昆虫好きになったのか思い出せない。 
生物全般に興味はあるのだが、特に昆虫、その中でも蝉には妥協がない。

長男は7月生まれなので、あれは3歳頃のことだったか。

何がキッカケだったのかは思い出せないのは、おそらく主人が私の知らない間に木にとまる蝉をつまんで持たせでもしたのだろう。

私の記憶の中では、すでに長男は蝉が大好きになっていた。

私は大嫌いである。
触るなどとんでもない。

この年の夏は、私が木にとまる蝉を見つけては網に捕らえ、地面に伏せたところに、長男が駆け寄って蝉を網からむしり取り、ジィジィ鳴く蝉を器用にカゴに押し込める。

2人がかりのリレー蝉取りであった。

つまむ力を加減しながら、小さな手を器用に動かすしぐさには、並々ならぬ慎重さが伺え、唇をとんがらせて大粒の汗を浮かべている表情にも、相当の集中力が見られた。

私の人生でこんなにも木の幹を凝視する事などそれまでは皆無であった。
蝉は保護色になっているため、気を付けて見ないと確認できない。
まるでリアルな「ウォーリーを探せ」を体感しているような気持ちになり、ふと我に返ると、いつの間にか楽しんでいる自分に驚いていたりもした。


私は本当は、エアコンの効く部屋でジッとしていたかったのだが、我が子なのでそうもいかない。
ギラギラとした炎天下の下、次男を妊娠中の身体で過酷な夏を過ごしていた。

だいたい、私が想像していた「子育て」はまったくこんな風ではなかった。
私自身が4人姉妹の長女だったので、赤ちゃん=女の子という概念が定着していたし、ピンクのグッズに囲まれて、いっしょに大人しく人形遊びやお料理したりするのを夢想していたのだ。

それがどうだ。
2回の出産で、2回とも男子。

世が世なら、舅姑から大いに讃えられるべきことだが、私の「夢の子育て」は脆くも崩れ去り、頭を切り替えるのに多少の時間を要した。

その後も長男・次男2人して、ありとあらゆる生物を持ち帰ることとなる。
ザリガニ・カエル・トカゲ・カブトエビ・カメ・バッタ・カマキリなどなど、常に我が家には何かがいた。

そうそう。カブトムシとクワガタを幼虫から育てた事もある。
しかも大量にだ。

それぞれにエピソードがあって、一つずつ記事が書けるぐらいの体験はしてきた。



HUNTERハンターたちが生態系を変えた

翌年は次男が生まれていたので、私がいっしょに行ける時間は限られてしまう。生まれてまだ1歳にも満たない次男を炎天下に、長時間連れ出すのは難しいからだ。

4歳となった蝉HUNTERは、そうはいかない。
時には仕方なく、玄関からすぐに見えるマンション内の公園だけだと固く言って聞かせた上で、一人で行かせる事もあったが、その度に気が気ではなかった。

時折、いくら見降ろしても長男の姿が確認できない時があり、慌てて次男をベビーカーに乗せ、探し回る事もあった。

そうすると同じマンションの住人やクリーンスタッフ、管理人さんなどが、「今さっき〇〇にいてはったよ。」と必ず誰かが教えてくれるのだ。

彼は近所でも有名な蝉HUNTERとなっていたおかげで、マンションの敷地内であれば、常に誰かが見守ってくれていて、大いに助けられた。

4歳児の蝉への情熱が強すぎて、つい母からの言いつけを忘れてしまい、見えない場所へ移動してしまう。
常に私は誘拐でもされたらと、やきもきしながらまだ赤ちゃんの次男を連れて、できるだけ同行した。

そんな親の心配をよそに、HUNTERは毎日飽きもせずコツコツと蝉取りに精を出していた。

そして夕方、虫かごが真っ黒になるぐらいに蝉を捕まえて帰ってくると、ベランダのウッドデッキに座り、そろりと虫かごを開けて、1匹ずつ取り出して、蝉の腹を見て雌か雄を声に出して確認した後、勢いよく空へと放つのだ。

「オス~」「メス~」

これも納得させるのは大変だった。
蝉はこのまま飼育できると信じていた息子に、どうして逃がさなくていけないかを理解させるのに苦労したのを憶えている。
蝉の習性や、命の短さなどを、図鑑や絵本を買って繰り返し説明したのだ。

幼心に、理解してくれた結果が、夕方には逃がすという行為なのだ。

「オス~」「メス~」


その長男も、小学2年生の頃には蝉HUNTERを引退するが、今でも確実に蝉の声は聞き分ける。

大人になった長男の回顧談によると、
「ここらの蝉の生態系を変えたんは俺や。」
ときっぱりと真顔で言い切っている。

今も相変わらず、毎年、常に蝉の声に耳を傾けているが、「ミンミンゼミ」や「ツクツクボウシ」の鳴き声がするようになったのは、自分が西宮や和歌山で捕まえた蝉をベランダから放って以来だと言うのだ。

いい大人が、あまりにも真剣な面持ちで言うので、思わず大笑いしてしまったが、後になって思うと、あながち間違いではないように思えた。

もともと捕まえた西宮や和歌山にも、生息するはずのない蝉たちである。

もしかしたら、長男と同じような蝉HUNTERの仕業で、近畿圏に放たれ、少数の蝉たちが環境に適応して子孫を増やし続けたのではないか?


本日はそんな長男の27回目の誕生日である。

そう思いながらパソコン作業をしていると蝉の声が聞こえ、ベランダに目をやると、そこには蝉を1匹ずつ逃がす大きな情熱を持つ小さなHUNTERの後ろ姿が、今でも目に浮かぶ。

水筒と虫かごをバッテンマークのように身体にななめ掛けにして、手には網を掲げて、木陰を彷徨さまよう我が家の蝉HUNTERの姿を懐かしんでしまう。

同時に、あれだけ女の子を希望していたが、結局、息子たちがいなければ味わえない経験と知識を得て、それなりに楽しい子育てだったと満足している自分に気付くのだ。



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