ご本尊は最古最大の塑像「岡寺」・明日香村に遺されたもの⑦
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最終回となる今回は、飛鳥寺から南西約1.6Kのところにある「岡寺」へ立ち寄りました。
この日最後に訪ねた寺院になります。
ナビでは5分ほどで到着するという近さなので、そのまま素直に車を南下させると、ほどなく「岡寺駐車場」という大きな看板があったので、疑いもなく駐車させると、実は土産物&軽食の店の駐車場だという、なんとも紛らわしいものでした。
すでに記憶は曖昧のため、その店名はいくら地図内を探してもわからずじまいですが、その店の方がご親切にも岡寺の門前駐車場までのルートを丁寧に教えて下さいました。
きっと私たちのようにここが岡寺の門前だと間違えて停める人が多いのでしょう。確かにこれは100%間違えます。
そこから岡寺までの道は細く急勾配でクネクネとしていたので、ほんの2,3分の事でしたが、少し不安になったほどでした。
駐車場からさらに急な階段を上ると、見るからにボロい年代ものの風格を漂わせた「仁王門」が出迎えてくれました。
重要文化財で、慶長17年(1612)建立との事ですから、ゆうに400年を超える建造物です。
山号・東光山、院号・真珠院、真言宗豊山派。
そして、日本最古の厄除け寺であり西国三十三所第7番札所として地元の人々だけでなく、広く信仰を集めている寺院です。
義淵僧正について
7世紀末頃、奈良時代の法相宗の僧・義淵が創建した寺院で、
「岡寺」の名の由来は、かつては第40代・天武天皇の早世した皇子である草壁皇子の住まいであった岡宮跡だったことからこの名となりました。
義淵は子供のいない夫婦が観音様にお祈りして授かった子供だったらしく、たまたまその噂を聞いた天武天皇が「観音様の申し子」とされ、我が子・草壁皇子とともに岡宮にて育てたという伝説が残っています。
🍃悪龍を退治
「岡寺」は別名「龍蓋寺」とも言われる所以は、創建者の義淵がこの飛鳥で悪さをしていた龍を退治したことにあります。
その悪龍を封じた池が本堂前にあったのですが写真を撮り忘れています💦
(トップ画像の右端、玉垣に囲まれたところです)
義淵は仏教の僧を統括する官職「僧正」を日本で初めて任命されたほどの大人物で、さらに彼の門下には東大寺創建に尽力した良弁僧正や有名な高僧・行基などがいたといいますから驚きます。
日本での法相宗の祖である上、文字通り日本仏教界のスーパースター的な存在なのです。
日本最大で最古の朔像のご本尊
敷地はとても狭いので本堂の全体を写真に収めるのは難しい。
🍃五色幕について
余談ですが、この鮮やかで美しい「五色幕」を私が見たのは、比叡山延暦寺(天台宗)、滋賀・三井寺(天台宗)や石山寺(真言宗)、奈良・長谷寺(真言宗)などで、ここも真言宗なのを思うと、これは天台宗と真言宗のトレードマーク的な幕なのだろうと勝手に思い込んでいました。
しかし実は宗派には関係ないとのことで、私がよく行く浄土宗や浄土真宗のお寺では見たことがないのはたまたまなのでしょうか。
ほんわか仏教から抜粋すると、これらの五色はそれぞれお釈迦さまの教えを表す意味のあるものなのです。
・青(緑)
お釈迦さまの髪の色ー心の落ち着いた状態[禅定]
・黄
体ー何事にも動じない姿[金剛身]
・赤
脈々と流れるお釈迦さまの血液ー[常の精進]
・白
清らかな歯[清浄心]
・黒(紫)
お釈迦さまの衣(お袈裟)の色ー何ごとにも堪え忍ぶ[忍辱]
そういえば私が真言宗の高野山を訪ねた時には五色幕は見なかったので、何かの期間にのみ飾られるものなのかもしれません。
ちなみにこれらの色にも高貴な順番があります。
聖徳太子が制定した「冠位十二階」で定められた冠の色から、上から紫ー青ー赤ー黄ー白ー黒という順にランクが決められています。
🍃厄除け観音・如意輪観音坐像
こちらのご本尊は、粘土で作った塑像でありながら、圧巻するほどの大きさです。
奈良時代(天平)の作で、像高4.85mもある日本最大で最古の塑像の如意輪観音坐像(重要文化財)で、女性の厄除け観音として古くから篤い信仰を集めています。
観光リーフレットによると、弘法大師空海がインド・中国・日本の土を使って作ったと伝わり、もしこれが真実なら、三国それぞれの祖国の思いが詰まった仏様だというとてもありがたいものになります。
見た目には飛鳥時代の仏像のように愛嬌のあるアルカイックスマイルは見られませんが、身体の線や筋肉、衣の状態などは飛鳥の名残りを感じさせるものがありました。
法隆寺などにも見られますが、塑像が1300年以上も持つのか!というのが正直な思いであり、木造や銅像に比べると、長い年月の風雪に耐えてここにあるのは、保存のためのよほどの苦労が偲ばれます。
HPによると、本来の如意輪観音は、通常は「六道の衆生を救う」という意味で六本の腕を持つ六臂の菩薩像ですが、こちらのように二臂の姿は珍しく、滋賀の「石山寺」とこの「岡寺」のご本尊だけだで、それだけでも大変貴重なものなのです。
奥の院と遊歩道をゆく
本堂の東側は小山になっていて、その先は「奥の院」へと続き、登った上にはぐるりと西へと遊歩道が巡らされ、高い位置から境内を眺めることができました。
トップ画像の本堂はその遊歩道から撮影したものです。
私たちが向かおうとした時、急にあたりは暗くなり遠くに雷が轟いたので、一瞬立ち止まってしまいました。
前方は山深く、見るからに霊験あらたかな空気を感じてしまい怖くなったのですが、ここから夫が「せっかくやから行こ!」と先に立ってくれたので、恐る恐る後ろからついていきました。
こんなとこ、一人やったら無理かも💦
さっきまでのように晴天で明るい状態ならまだしも、このように急に雷雲に覆われた不穏な空気の中では、ちょっと二の足を踏んでしまいます。
🍃石窟仏
入口前に狭い石階段があり、おまけに木々が生い茂っているので、うっかりすると見逃してしまいそうになります。
石段を上ると小さな石窟堂があり、その中はぼんやりと暖色系の明かりが灯されていますが、様子がよくわかりません。
最前まで近づいて目を凝らしてみて初めて仏さまを確認した時は、おもわず「わっ」と小さな声を上げてしまいました。
小さな洞窟のような中に、浮かび上がる小さな「弥勒菩薩座像」は意外にも存在感があって、神秘的な世界を作り上げていました。
弥勒様なのでこの石窟は「弥勒の窟」とも呼ばれているそうです。
お天気が怪しくなってきたため気持ちは焦りましたが、本来なら自然豊かな気持ちの良い散歩コースでしょう。
所々でコバエが飛び蜘蛛の巣が張っていますが、それもまた自然の一つとして受け入れると、ひたすら気持ちの良い光景が広がっていました。
🍃三重宝塔の軒下になぜか琴が!
最後に行き着いたところに三重宝塔がありました。
実はこの塔は車で向かう時に平地からも見えていて、移動中にも見えたり隠れたりしていたので、とても気になっていました。
「岡寺」のものとはわかっていたのですが、玄関である「仁王門」からは木々の中に隠れて見えていませんでした。
よく見ると各階の軒下、合計12カ所に板状の何かが吊るされています。
これらは何なのか不思議で検索してみましたが、なかなかヒットせず、やっと20年以上も前の古いニュース記事を見つけました。
それによるとこれらは青銅製の琴で、岡寺宝物の屏風絵に描かれた五重塔の軒下に琴が確認され、これをもとに国内で初めて再現されたそうです。
実はこの絵は「両部大経感得図」という国宝で、私たちも何度か訪れた大阪の藤田美術館がコレクションしているそうです。
今のところ展示は未定ですが、機会があれば見てみたいものです。
ところで、琴の制作者・阪田宗彦(大谷女子大教授)さんによると「中国・敦煌の文書には、これらの琴が風で鳴り響いた」という記述があるそうですが、どうでしょう??
琴は爪で弾いてこそ音が出るものなので、風だけでは鳴らないのでは?
もちろんこの時も音は聞こえませんでした。
🍃岡寺の鎮守神・治田神社
mapでは徒歩でも遠回りの道しか案内してくれませんが、実際には岡寺の仁王門からまっすぐ西へ100mぐらいの木陰道を進むと「治田神社」がありました。
典型的な田舎の神社で無人の上、その周りは荒れてひっそりとしていたのですが、拝殿そのものは手入れが行き届いているようです。
しかし、賽銭箱前の拝所から一歩も近づけず、本殿前に安置された狛犬も遠く柵越しにしか見る事しかできません。
間近で狛犬を見たかった💦
現地の案内板を要約すると、
創建年は不明ですが、延喜式巻十に「式内社」とされているので、少なくとも平安時代10世紀には存在していたようです。
しかも、この地から基壇や礎石、瓦が出土されたことから、8世紀初頭の岡寺の創建伽藍はここにあったと推測され、その鎮守神として境内に祀られていたのが治田神社の始まりのようです。
🍃おまけ・laville都
どうにか雨に降られずに済みましたがとても蒸し暑い日で、どうしてもかき氷が食べたくなり、通りすがりに見つけたカフェに入りました。
狭いですが気持ちの良いおしゃれな店内で、他所では見たことがない、ふわふわのかき氷「クリームチーズマンゴー」を平らげ、やっと生き返ったのでした。
=明日香村に遺されたものシリーズ=
①日本史の始まりの地
②高松塚壁画館
③キトラ古墳~「四神の館」
④石舞台古墳
⑤聖徳太子誕生の地「橘寺」
⑥日本初の本格寺院「飛鳥寺」