花か団子か?どちらのタイプか見極めるのは難しい
私のクリエイターページの「固定記事」を約8ヶ月ぶりに元に戻しました。
今年の1月15日から9月5日まで固定記事としていたのは以下の記事でした。
この記事は、本来noteでやりたい事に重点を置き、取り組み方を変えて失速気味のnoteになりますよ~という記事でした。
その気持ちは今でも変わりませんが、今回はnote初投稿記事をサムネイル画像をはじめ、内容も何か所か修正や加筆をしてリニューアルしたものに戻しています。
読み直してみると、自分で書いていながらほとんど憶えおらず、あらためて推敲することで、今更ながらnoteデビュー当時の自分の意気込みや初心を振り返ることができ、その捉え方も変化している事を痛感し、自分を知るきっかけにもなりました。
そこで今回は「相互フォローの関係」について、今現在の私が思うところをまとめてみたいと思います。
幽霊フォロワーと真のフォロワー
✒コメント欄でフォロー報告いる?
よくあるのが、わざわざコメント欄に
「フォローさせていただきました。よろしくお願いします。」
という一文を残す方がおられます。
この報告はしなくても、記事主にはすぐにわかるので本来は不要なのですが、これをコメント欄に残すことで、他のフォロワーさんにも公言し、暗に「フォローバックして。」という押しつけみたいに感じることがあるのです。
ご本人は好意のつもりであることは解っています。
しかしそれを書き残してしまうと、フォローバックを強制するプレッシャーも同時に与えていることにもなります。
私はいつも「様子見させてくださいね」とお断りして、すぐにバックはしないようにしています。
本当に私の記事の愛読者なのか?
そうでなかったとしても、これから歩み寄っていただける意思はあるのか?
主にこれらを見極めてからバックするようにしないと、そういう方々のほとんどがフォローバック目当てだからです。
現に、私がすぐにバックをしないため、フォローして間もなく自らフォローを外すという、とても解りやすい事をされる方も多く、私のフォロワー数は一進一退をくり返して、常に変動しているのです。
✒幽霊フォロワーが多くても意味はない
フォロワー数が4桁、あるいは5桁もいるのに、スキ数が極端に少ない方も見られます。
スキ数はnote内だけの数字ですし、ましてやPV数までは解りかねますので、一概に人気度は測れませんが、少なくともフォロワーのほとんどが無反応の「幽霊フォロワー」であることは明らかです。
完全に商業目的のnoteであるならそれもいいでしょう。
数打ちゃ当たる方式で、低い確率でもそのうちの誰かがビジネスへと発展する可能性もあるかもしれません。
ましてやnoteビジネスの確実な成功者であれば、なおさらそれでOKだと思います。
しかし、ほとんどの方の場合は、そのような無反応の幽霊フォロワーと相互フォローしていても意味はないのではないか?
✒去る者は追わないが
来る人は大切にする
とはいえ、フォロワーは実際には相互フォローの関係になってみないとわからないのが実情です。
この人は大丈夫だと判断してバックしても、早いうちにお付き合いが途絶えたり、かといえばこの人はきっと私の記事には興味ないと踏んでいてら、長いお付き合いに発展したりと予想外の展開になります。
お付き合いといっても、毎回の記事に反応する必要はなく、それぞれのペースに合わせて、月1やあるいは2,3カ月に1回の「スキ」や「コメント」でも反応があれば十分だと思います。
私にとって、久しぶりにぶらっと訪ねても、変わりなく打ち解けられる関係こそが理想なのです。
自分のフォロワー数が減っているな?と思っても、「またか。」と思う程度で気にはなりませんが、変わらず相互フォローでいてくださる方々とのお付き合いは大切に維持していきたいと思っています。
特に最近は私も自分主体のnoteに軌道修正して以後、タイムラインはほとんど見ず、私の記事に反応してくれた方々との交流だけに留めたnoteになっているので、ご無沙汰しているフォロワーさんも多いです💦
それでもお互いに丁寧なお付き合いをしていれば、何の違和感もなく交流できてしまうものです。
「花」か「団子」か
noteだけにとどまらず、SNS全般のフォロワーの中には、何でもいいから数字を伸ばしたい人と、自分の書きたいことを書いて、それに対する共感者だけでいい人と、大まかに2極に分かれるようです。
前者の「数字を伸ばしたいだけの人」はまず高い確率で幽霊化するでしょう。
自分を見栄え良くしたいという人と、
共感してくれる方だけで十分という中身を重視する人と、
基本的なところで大きく考え方が違うからです。
「花より団子」というあまりにも有名な慣用句が頭に浮かびます。
「花」か「団子」か、「みせかけ」か「実質」のどちらが大事かという事なのですが、これもそれぞれの考え方や目的によって変わるのは当然かもしれません。
少なくとも私は迷わず「団子」を取ります。
「花」は見た目だけで散れば終わりですが、「団子」は食べれば確実に自分の栄養になりますから。
いわゆる見栄え良くフォロワー数を伸ばしたいと考えている人は、その先に何か大きな目標があるのでしょうか?
それがどうもよくわかりません。
フォローバックだけを目的にしたフォローに何の意味があるでしょうか?
✒コメント欄は
自分をアピールする場ではない
また、コメント欄に記事内容とは関係なく自分の著書や自分のビジネス的なことを書き残す人もおられます。
完全に一見さんであるのなら、ただの迷惑行為として無視もできるのですが、困るのは相互フォロワーの関係にある場合です。
確かに商業作戦の一環として、自分の作品などをアピることは必要でしょう。
しかし、それはご自分の記事内でしっかり宣伝すべきことで、あるいはもっと相応しい他のプラットホームでいいのではないか?
間違っても他人の記事のコメント欄ではないはずで、この事一つ取っても、フォローバックは慎重にしたいところなのです。
フォローバックする際に
私が考える事
繰り返しますが、私はフォローされても無条件でバックはしません。
「真のフォロワー」か「花か団子か」見定める期間を要します。
その期間中に、自らフォローしてきたのにもかかわらず、すぐにまたフォローを外す方は、所詮ご縁がなかったという事で、バックせずに済んだことを幸運に思っています。
フォローされた時、私がバックするかどうかの判断基準は以下の通りです。
・「スキ」か「コメント」を定期的にくれる。
・コメント内容に「共感」を感じる。
・お互いのジャンルは違っても歩み寄れるかどうか。
とはいえ、こちらがバックして相互フォローの関係になっても、頻繁なお付き合いは最初だけで、いつしか完全に行き来が無くなる方もおられます。
そういう方は1年以上は様子を見た上で、フォローを外すという「フォロー整理」をさせていただいています。
というのも、私の中でフォロー数は200名までと決めているからです。
私がフォローするのは、
「あなたの記事を読みにいきます」
という私なりの意思表示であり、200人を超えてしまうと読みに行く時間は到底取れないからです。
タイムラインは見なくなったと言っても、それでもたまに見た時、自分で納得したクリエイターさん方の記事だけが表示されるようにしたいのです。
以上、私の勝手な意見を書き連ねましたが、基本的にnoteの取り組み方は人それぞれであり、上記はあくまでも個人的な意見に過ぎません。
ただ、自分の中で確固たる取り組み方やルールができると、おのずと似た感覚の方々と繋がるように思います。
私は「花」ばかりを取ることを否定するわけではなく、「団子」を取って意味のある関係を目指したいだけです。
どんなにジャンルの違う方でも、記事内容やコメントのやり取りに大変な共感をおぼえたりして、ある日ある時、急に親近感を得る時があります。
その時こそ美味しい団子をいただいた気分になり、とても幸せな気持になったことは忘れてはいけないと思うのです。