自分が思っている自分だけが自分ではない
「自分が思っている自分だけが、自分ではないぞ」
「ありのままのお前を丸ごと引き受ける。それができるのはわしだけだ」
「忘れえぬ人がいてもよいのですか?」
「よい!」
「それもおまえの一部だ。まるごと引き受けるとはそういうことだ」
宣孝が(佐々木蔵之介)がかっこ良すぎて、ハートを撃ち抜かれた女子は多かったのではないですかー?
なんという包容力!!
これを言われてしまえば、心が動かない人などいない。
この時の宣孝の言葉は「名言」のオンパレードでした。
忘れえぬ人が「道長」であることも、周明(松下洸平)とのやり取りもすべて見透した上での発言でした。
これぞ大人の余裕!
本当の意味の愛ではないか?
良いところも悪いところも、過去の失敗も全てありのままひっくるめて認めてくれるなんて、親以外にはなく、これはある意味「夫」というより「保護者」になってくれることに近い。
何もかも認めて両手を広げてくれる宣孝に、まひろは驚きながらも、内心は感動したはずです。
理想の結婚とは
理想的な結婚条件とは、それぞれの立場や境遇により違ってきますが、いずれも自分の理想を100% 叶えられられるわけではありません。
そして自分自身も結婚しようという気になれるかどうかも大事なことで、全ては外的要因と内的要因が絶妙のタイミングで合致しないと実現しないものでもあります。
今回のまひろも、今後の人生について考えさせられる出来事が続いたのを見みると、タイミングが良かったと言えそうです。
私は宣孝との結婚は、まひろが道長への思いを秘めながら、それを隠し通して仕方なく引き受ける展開になると予想していましたが、まさかこんなにも宣孝が心に刺さる名言でグイ押しするとは思いも寄りませんでした。
今後の人生観を変えた出来事
周明
周明(松下洸平)からも、宋へいっしょに行こうと言われますが、それには別の下心があるとまひろが見抜くと周明は態度を一変させます。
しかしその裏には、純粋にまひろを思う彼の気持ちが込められていました。
宋人と日本人の間で自分を殺して懸命に生き抜いてきた彼は、その思いをどう表現すべきかわからなかったのかもしれません。
逆にまひろは、周明の人生にも触れることで宋の現実も知り、「夢」だけではどうにも生活は成り立たないと悟ることになりました。
さわ
姉妹のように慕ってくれたさわ(野村麻純)の死を知らせる手紙が届きました。
まひろと同じように父の赴任先である肥前へ下向していた彼女の突然の訃報に動揺するのは当然のことです。
この歌は「紫式部集」にも記載されていて、さわのモデルとなった「筑紫の君」とも実際にこの時期に手紙のやりとりをしていたようです。
また大河ではさわは妹のような立場ですが、実は紫式部が姉のように慕っていた女性でした。
彼女はまひろと会いたいと祈りながら、
若くして突然、人生を終えたことに無情さを感じたはずです。
乙丸
「お前はなぜ妻を持たないの?」
まひろが乙丸(矢部太郎)に質問した時、私は「そうだったの?」と不意打ちを食らいました。
それは、ドラマ中には描かれなかっただけに乙丸のプライベートにまで考えが及んでなかったからです。
しかしその理由が、かつてまひろの母(国仲涼子)を守れなかった事を悔いて、まひろを守り抜くことに生涯をかけたからというものでした。
なるほど!これが言わせたかったのかと、目からうろこでした。
これらの出来事からまひろは、皆からどう思われているのかを知ることで、自分を知ることに至り、自分にとって現実的な人生を選択する判断に至ったのです。
これは冒頭の宣孝の言葉、
「自分が思っている自分だけが自分ではないぞ」
という意味が、一つ一つの出来事から実感してゆくという展開なのですね。
苦しい思いから逃れたい
父・為時(岸谷五朗)は宣孝との事を報告されて驚き、腰を痛めた時の会話の中で、まひろが人生を悟ったような事を言っていました。
そりゃ、娘が自分と同世代の宣孝と結婚するなんて、
腰を抜かすほど驚くのも無理はありません。
「誰かの妻になることを、大真面目に考えないほうが良いのでは、と思うのです。」
重く考えてしまうと、愛情が深すぎて嫉妬もするだろうし、常に神経を使って気持ちが重くなるため、自分にとって楽な存在の人と結婚するのが幸せになれると悟ったのです。
強すぎる思いは苦しいだけだという事。
宣孝にはすでに3人の妻がいて、しかもまひろと同時進行で通う女性もいたので、彼はなかなかのやり手です。
夢見る女性であるなら、どうせ妾になるのなら、道長の方が良かったと思うのは当然でしょう。
しかし、今のまひろはかつての夢見る少女ではすでになく、同じ妾でも宣孝と道長とでは、自分の気持ちの持って行き場が大きく違い、結婚を長い目で見て、楽な方を取ったのには彼女の精神的な成長を感じます。
この事を一つとっても、現代の私たちにも共感できるもので、恋愛や結婚観についても、時代は変われど人々の思いは何も変わらない事に思いが至りました。
全ての人生体験は「源氏物語」へ
人間観察力を研ぎ澄ませて
源氏物語に登場する光源氏は、紫式部(まひろ)が人生で出会った男性たちがミックスされた創作だと言われています。
その中にはもちろん結婚相手である宣孝も入っていたでしょう。
世渡り上手で、世の中のあらゆる機微に長けた宣孝は彼女にとっては、一番身近な題材の一つとなった事は間違いありません。
道長とのことは、創作要素が大部分を占めるようですが、こちらも男女の仲があった可能性は否定できません。
ドラマ的には、この宣孝の
「自分が思っている自分だけが、自分ではない」
という言葉から、人間を多方面から観察できるようになったという展開なのでしょう。
「丸ごと引き受ける」は大きなネタふりか?
「源氏物語」を書き始めた時期は定かではありませんが、宣孝の死後すぐの1002年ごろだと推測され、1006年頃から道長の長女・彰子の女房として仕えています。
その4年ほどの間にも源氏物語の執筆はかなり進んでいたはずで、それがなんらかの経緯を経て道長の目に留まり、スカウトされたとされています。
史実的には、ここで道長と紫式部は出会った可能性が高いのです。
以前に何かで読んだが、いったい何だったのか失念しました💦
さて、ドラマでの展開は、道長が彰子の女房としてまひろをスカウトする際、二人の関係が再燃するかどうかの大きなネタフリになる可能性があります。
全てをわかった上での宣孝の言葉には、もしかしたら後ろめたさをも書き消すほどの意味を持たすのではないか?
そういう意味では今回の大河は、今後のまひろの人生を内面的に大きく左右するものであり、この時の宣孝の名言の数々は、大きな展開の局面にに置かれたまひろにとって指針となるのかもしれません。
そして源氏物語の執筆にあたり、ベースとなったとされるまひろ自身の人生体験をどのような形で取り入れていくのかが楽しみですね。