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「見仏記」を読んで知った寺社めぐりの新たな楽しみ方

寺社めぐりをする目的は様々だと思う。
単に観光名所だから、
御朱印を集めたいから、
宗教に興味があるから、
建築様式を見たいから、
などなど、それぞれの興味は違うことだろう。

しかし、この本の著者である、作家のいとうせいこう氏とイラストレーターのみうらじゅん氏の両者は仏像フェチ。
文章担当のいとう氏は様々な角度から分析して、答えを出そうとするタイプ、イラスト担当のみうら氏は仏像以外に興味はなく、直感であるがままを受け入れるタイプ。

そんなチグハグな二人の珍道中は、「仏像」という共通テーマを通して、ふざけてるようでもいちいち的を得ていて奥深い。
これは興味をそそられる面白さと、お笑いの面白さとの両方を兼ね備えた紀行記だ。


私の寺社めぐりは歴史から

私の寺社めぐりは完全に歴史から入った。
きっかけとなったのは魔王・織田信長が長年苦しめられ続けた「一向一揆」だ。

自分の命も顧みないほどの信仰とは何なのか?
その元となった宗教とは?
その拠り所となった寺院●●とはどんなものか?
あるいは。
日本の天皇家は、歴史上のどんな権力者も滅ぼそうとはしなかったほどの絶対的存在であったおかげで、現在も続く世界で一番長い王朝となっている。
その始まりとされる神話、そしてその神を祀る神道とは何なのか?
その拠り所となった神社●●とは何なのか?

それを深堀りしてみると、天台宗の最澄さいちょう、真言宗の空海、浄土系の子弟関係の法然ほうねん親鸞しんらん、東大寺初代別当べっとう(住職)の良弁ろうべん、あるいは天照大神あまてらすおおかみの存在など、彼らにまつわるエピソードは歴史上の人物として興味を持ち、知ることで寺社に関しての見識は自然と広がった気がする。

私の場合はそれぞれの背景を知ったことがキッカケだった。

信仰心はゼロ

一応、我が家は浄土真宗で、自分でも驚くことに日本初の官寺・四天王寺境内にある女子高にたまたま通った。
当時は数々の仏教行事が、ただ鬱陶しくて面倒で、1ミリも興味など持てなかった事を今になって非常に後悔している。

中心伽藍の「講堂」「金堂」「五重塔」も無料見学させてもらったのに、なんとなくの記憶しかなく、ご本尊をはじめ、その周りの脇侍わきじの仏様のお姿など記憶にまるで留めてはいない。
これは完全に「灯台下暗し」と言える。

とにかく最初は仏像はおろか御朱印にも興味はなく、ただ単に背景にある史実しか見ていなかったのだ。

仏像に関しては、ほんの最近までただの「偶像アイドル」という感覚しかなく、何もない空っぽの像をこちらが勝手に象徴だと思い込んでいるだけのものと思っていたので、必要以上に掘り下げたことなどなかったと白状しよう。

私は間違いなくバチが当たる人間だな。


仏像に恋するという事

ところが、今年の春から法隆寺・友の会に入り、年パスを手に入れて通ってみると、「百済くだら観音」のとりこになってしまった。

ちなみに本書では百済観音を「せつなる像」と評している💦
技術的に発展途上の未熟な像だという。

確かに平安時代の仏師・定朝じょうちょう、あるいは運慶と快慶のような完成された彫刻技術は見られないが、その未熟さゆえに無駄なものをすべて取り除いたちょうど良いバランスを持つ洗練●●された仏像だと、私の感性は評価した。

現に東大寺の仁王像も平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像も、「すっご~!」と感嘆はしても、それらとはまったく違う感覚を百済観音には持ってしまった事はいなめない。
これこそが本書で言うところの「仏像に恋してしまった」ことだと妙に共感してしまったのだ。

いとう氏もみうら氏もそれぞれに恋した仏像が登場するが、その感覚に私はドキリと胸が高鳴り、しみじみと伝わってきた。
そして会えるはずの仏像にたまたま会えなかったりなどの予期せぬハプニングにも見舞われる事もあり、いつも予定通り順調にいくとは限らないリアルな「紀行」の現実も醍醐味のひとつだと理解もできた。


知らなかった仏像たち

本書では私もよくは知らない仏像たちが次々と登場する。
みうら氏のイラストだけでは足らず、いちいち検索しながら読み進めた。

こんな時はやっぱり電子書籍だと痛感する💦

過去にどこかで出会ったかも知れないが、本文中の仏像たちがいちいち新鮮だったのは、私がまったく憶えていない証拠である。

しかも両氏は仏像を事細やかに観察している。
時には裏に回ったり、時には寝転んで下から眺めたり、仏像の表情や体格、ポーズ、手に持つ物の一つ一つまでことごとく観察しているのには感心した。

それは仏像を信仰対象としてではなく、美術品を愛でる鑑賞であり、単に「像」ではなく「人」に近い感覚で眺め、その感情さえ妄想しているのだ。

あらためて、私は何も見ていなかったと気付かされたのである。


馬頭観音ばとうかんのん

Wikipedia

宝冠に馬頭をいただき、忿怒ふんぬの相をした観音菩薩ぼさつ。魔を馬のような勢いで打ち伏せ、慈悲の最も強いことを表すという。

コトバンク

また、馬は濁った水や雑草を食するように、生き物すべての欲を断ち、魔除けとされてきたらしい。
顔が激怒した怖い形相なのが多いので、贅沢を戒める意味もあるのかもしれない。

不空羂索観音ふくうけんさくかんのん

Wikipedia

投げ縄(羂索けんさく)を持って迷い苦しむ衆生を救う観音で、変化観音の一種です。

AIより

不謹慎にもカウボーイなん?とか思ってしまった(笑)
正直、こういう救い方もあるのだと妙に感心してしまった。
興福寺・南円堂に鎮座されているらしいが、特別拝観日が決まっているらしい。


大威徳明王だいいとくみょうおう

Wikipedia

身は青黒く、六面・六臂(ろっぴ)・六足で忿怒(ふんぬ)の相を表わし、左に戟・弓・索、右に剣・箭・棒を持つ。また、水牛に坐すともいう。

コトバンク

怖い顔した千手観音だと思っていたのは、実はこの仏様だったかもしれない。
興福寺の国宝館でみた千手観音の迫力ある姿が思い浮かんだ。


兜跋毘沙門天とばつ びしゃもんてん

Wikipedia

兜跋とばつ」は「吐蕃とばん」の訛ともいう ) 毘沙門天の一種。西域に起源をもつとみられる異形の毘沙門天像をいう。

コトバンク

吐蕃とばん」とは、7~9世紀にチベットで栄えた王国の中国名であり、中央チベットのヤルルン渓谷を根拠地とした王朝。
頭には宝冠、異国風の鎧を着、左手に宝塔、右手には、刺す・突く両使いの武器であるげきを持ち、なんと女神の両掌りょうしょうの上に立っているという。


私は今まで仏の種類は大雑把に「如来」「菩薩」「明王」「天」としか分別していなかったが、そこからさらに細分化して見極めたことなどはなかった。
読みながら何度も感心し、彼らはとんでもない仏像マニアであると思ったのだが、それでもいとう氏いわく、「自分たちは初心者」だとはっきり書かれている事に驚いた。

彼らが初心者と言うのなら、仏像自体にあまり興味がなかった私は、今まで何を見てきたのだろう?とちょっと恥ずかしくなったのは言うまでもない。


的を得た名言の数々

特に素直な感性で仏像を見るみうら氏の名言が素晴らしい。
クスッと笑えるようなセリフも実はとんでもなく真髄を突いていて、それが非常にわかりやすい感想として伝わってくる。

ネタバレになるが、少し紹介しておく。


「俺が好きなのは伝来だからさ、
由来は苦手なんだよ」

言うまでもなく、
伝来とは、外国などから伝わって来たか、代々受け継いで伝わったこと。
由来とは、昔からそのようであるさま、もともと、元来など。
伝来か由来か。
そこに大きな違いがあるという発想はまるでなかったので、これは目から鱗の見方だと思った。


「今フェノロサ気分だよ。
いとうさん岡倉天心の役あげるね」

「いや、いらないから。」と思わず返したくなる(笑)
実際、この言葉には、声をあげて笑ってしまった。

「もっとピースな人たちでしょう、仏は。」

これ、実は私も思ったことがある。
例えば「毘沙門天」などは戦の勝利を願う仏であり、戦のカリスマ・上杉謙信が崇拝していた。
それを知った時、仏ってそういう事に使ってよいのかと思ったことがあった。

「もう、仏像メリーゴーランド状態!」

これはぜひ、読んで確認してほしい。
みうら氏の感性の素晴らしさがわかるので(笑)

「金堂でもう"ひとぶつ"浴びていきますか?」

彼らは仏像のことを「ぶつ」という。
「あそこにはいいぶつがたくさん揃っている。」と、会話を傍で聞くとかなり怪しい危険人物になってしまうだろう。

「この五臓六腑欲しいなあ。
売ってないのかなあ。」

この発想も面白すぎる。
持っててどうするんだと言いたくなる。
引き締まった身体の内臓はどうなっているのかという想像力がすごい。


共感できる奥深さ

仏像をぶつというぐらいなので、彼らはお互いを「仏友ぶつゆう」と呼んでいる。
だからこの紀行記もそのまんま見る仏●●●の「見仏記けんぶつき」となっている。

私も「レキジョークル」というサークルで、マニアックな歴史紀行をしているつもりだったが、まだまだ甘いと感じてしまった。
しかし、こんなにもピンポイントに「仏像」というテーマで二人で語り合いながら見聞できるのは、本当に幸せな事だと心からうらやましく思う。

「旅は道連れ」というが、好きな何か●●を共有して同じものを見ても、それぞれの気付きは違うからこそ、新しい知識の門を開ける事に繋がり、彼らの興味は延々と尽きることはないだろう。

私は彼らとは入口は違っても、実際に自分の足を運んで目にしたことで、そこには「新鮮なリアル」があり、未熟なりに同じような行動をしている私にも大きく頷ける箇所は多かった。

寺社めぐりは行けば行くほど、新たな発見がある事に大きな共感を覚えた作品である。


私はひとまず文庫本で2巻まで買った。
現在2巻目の半分ぐらいまで読み、すでに3巻目をポチっている。
きっと全巻読んでしまうだろう。
司馬遼太郎の「街道をゆく」の43巻に比べたら、何でもないと思ったが、よく調べてみると単行本には、違うタイトルのものがある。
その違いがどういうものか気になりはするが、ほどほどにしておこう。

他にガイドブックやDVD、ブルーレイなども出ているのには驚いた。
好きな仏像を見て「ああ。良かった」といういうだけでは転ばないところは、なんとも逞しい。



ざっくり遡って見つけた私の関連記事↓↓↓


「法隆寺」を堪能するシリーズ
第1回~プロローグ
第1回~東院伽藍
第1回~西院伽藍
第2回~藤ノ木古墳
第2回~周辺の寺々
第3回~秋の斑鳩と東院伽藍の深堀り
第3回~お宝と七不思議
第4回~期間限定公開を巡る
⑨第4回~法輪寺と中宮寺跡
以下続行中


=明日香村に遺されたものシリーズ=
①日本史の始まりの地
②高松塚壁画館
③キトラ古墳~「四神の館」
④石舞台古墳
⑤聖徳太子誕生の地「橘寺」
⑥日本初の本格寺院「飛鳥寺」
⑦ご本尊は最古最大の塑像「岡寺」




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千世(ちせ)
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