湖東サイクリング①安土で信長を学ぶ
約一週間前の23日の日曜日、夫婦でお出かけしました。
今回の行先は安土から近江八幡を自転車で回るというもので、お天気でないと意味がありません。
実はもっと前に行くつもりだったのですが、黄砂やら雨やら天候に恵まれなかったり、お互いに別の予定ができたりで、3回ぐらい延期したのでした。
このあたりは一応は同じところに住んでいる利点で、天候も含めてお互いに最高のコンディションの日を選んだわけです。
その甲斐あって、とても気持ちの良い紀行となりました。
あくまでも予定ですが、まずは車で「近江八幡」へ行き、そこからレンタサイクルで安土~近江八幡へと回ります。
「近江富士」に胸が高鳴る
7時に自宅を出発して、心配していた渋滞にも遭わずにスムーズに進みました。
「近江八幡」へは「竜王」で高速を降りるのがいいのでしょうが、「近江富士」を拝もうと、手前のICで下車しました。
一目見て、それとわかるお姿です!
本当の名を「三上山」といい標432mmのなだらかな稜線を描いた美しい姿をしています。
確か、比叡山を訪ねた時に、ドライブウェイ駐車場から東を望むと、琵琶湖の向こう岸にうっすらと見えていたのですが、近くで見ると、なんとも優雅です。
近江富士の姿にもウットリですが、この快晴の空にも感激して、ますます気持ちが高揚してきました。
本日の予定は、お天気が良くなくては実現しませんから。
近江八幡駅の「駅リンくん」を利用しましが、老夫婦なので、もちろん借りたのは電動自転車ですよ。
無駄に体力を消耗するのはご法度ですから💦
浄厳院
移動した道は、人がほとんどいません。
観光地とは言え、やはり田舎の田園風景が広がっていて農作業をする人たちと出会うぐらいなのです。
のどかです~
そんな中、最初の目的地である「浄厳院」に到着しました!
HPで見たらこの楼門は色鮮やかな朱色なのですが、実際はかなり色褪せて、ボロッちくて老朽している様子でした。
本堂も同じくかなり古い。
賽銭箱中央の「織田木瓜」が随分と主張しているように思えます。
元々は「慈恩寺」というお寺で、近江源氏である佐々木六角氏の菩提寺でした。
そこに織田信長が安土城築城と同時に近江と伊賀国における浄土宗総本山とし創建したのです。
先ほどのボロッちい楼門は「慈恩寺」時代からのものだとわかると、げんきんなもので急に見る目が変わりました。
本堂は近江八幡の興隆寺の弥勒堂を移築したらしく、さらに古いものなのでしょう。
信長が裁定した「安土宗論」
この寺は「安土宗論」が行われたわれた寺として有名です。
結果は浄土宗側の勝利に終わり、法華宗側は処罰され、以後の他宗への法論を禁じられました。
面白いのは、信長が介入しているところで、「叡山焼き討ち」の一件で彼はきっと仏教などカケラも信仰していないようですが、一応「浄土宗」に帰依していたようなのです。
ですからこの裁定も浄土宗に有利に働いた可能性はあり、事実上、信長による宗教弾圧だったのかもしれません。
言ってみたら、信長のえごひいき?
それを理解した法華経側の方から自粛したのではないかとも見られています。
天下統一間近の権力者ですからね~。
そりゃ逆らえないわ💦
日曜日なのにヤル気ある??
驚くべきこと、敷地内には私たち以外は誰もいません。
もちろん、ご本尊の「阿弥陀如来坐像」を拝めないどころか、どのお堂も固く戸を閉ざし、寺務所も完全に戸締り状態で御朱印もいただけませんでした。
日曜日ですよ~
信長ゆかりの寺ですよ~
ヤル気など微塵も見られないのなぜ??
わずかに「織田木瓜」の家紋に信長の気配を感じて、この場を去るしかありませんでした。
安土城郭資料館
グーグルナビが誘導する道は、なだらかな田園風景か、いかにも村の裏道かで、途中はほぼ人を見ないため時々不安に襲われました。
しかし、目的地の安土資料館に着くと急に人だかりがあるから不思議です。
安土城資料館だけあって、中央の大きな吹き抜けには実物の20分の1の安土城模型がありました。
想定される安土城の高さは高さ46mなので、この模型は2.3mと言うことになります。
これだけでも十分に圧倒されて、思わず羨望の眼差しで見上げてしまいます。
面白いことに中央から左右に開き、内部までもが詳細に再現されています。
「進撃の巨人」になったつもりで、真っ二つになった安土城の中央を通り、心ゆくまで丹念に眺めることもできるのです。
特徴としては、やはり中央の吹き抜けでしょうか。
太田牛一の「安土日記」やルイス・フロイスの「日本史」などの記述から想定されたもので、その規模や容姿は今までない前代未聞の天主でした。
この安土城以降の城を「近世城郭」といい、他の城は「天守」と言うべきものを安土城だけは「天主」と呼んでます。
信長のすることはいちいち初めて尽くし。
言い換えれば前例通りではなく、発想自体が独創的です。
その一つ一つには彼なりの主張があって理屈があるようです。
後世の人間からみたら、非常に面白い人物ではありますが、当時の家臣たちには、さぞかし振り回された事でしょう。
信長の館
今回は「安土城考古博物館」はパスしました。
目の前を通ったのですが、この日のメインイベントは「安土城址」を登る事ですので、安土城のみを掘り下げるつもりなのです。
とても考古博物館まで見学するゆとりはありません。
さて、次に訪れたのは「信長の館」です。
一歩中に入ると煌びやかな安土城天主が再現されていて、思わず見とれてしまいます。
これは1992年に開催された「スペイン・セビリア万博」の日本館で、原寸大で復元された天主の5,6階の最上部のみが展示され、それがここに移築されているのです。
信長の哲学が見える
黄金の輝きにも驚きますが、庇屋根の曲線はうっとりするほど優美です。
これは発掘された瓦から当時ものをわざわざ焼いて再現したといいます。
驚くことに内部には「狩野永徳」による障壁画も忠実に復元されているのです。
その理想郷の中央には畳が2枚敷かれていて、信長はここに座り、瞑想でもしていたのでしょうか?
螺旋階段を登ると6階最上階も間近で見学できます。
外壁には金箔10万枚もを使い、大屋根の鯱ももちろん金箔塗りです。扉の彫刻も絢爛豪華で何もかもがゴージャスです。
もちろん室内にも金碧障壁画が下図の通り描かれています。
(手前の入り口が北です)
老子を祖とする道教と孔子を祖とする儒教に関するシーンが描かれて、どちらも中国故事に基づくものです。
私はどちらもまったく疎いので、詳しくは解りませんが、少なくとも信長は、これらの中国の思感に共感していたのでしょう。
しかも5階の仏教界の理想郷と合わせると、信長は決して仏を粗末に思ってはいなかったのが解ります。
安土城のVRショートムービー
また平成27年4月より、館内のシアタールームではVRでは約15分間のショートムービー「絢爛・安土城」が上映されていました。
大画面でのリアルな目線で見る当時の安土城は、まるで「鬼滅の刃」に出てくる「無限城」のような3Dの美しい映像に感動してしまったのです。
主人はいわゆるミーハーで、歴史には疎いのですが、「織田信長」と「坂本龍馬」のみ知っています。
だから今日も自ら意気揚々と付いてきてくれのですが、しっかりVRショートムービーのDVDも購入していす。
「安土城資料館」と「信長の館」を訪問して、つくづく安土城天主は日本史においてダントツに革命をもたらした建築物だと思います。
これ以前には城と言えば石垣と堀が主となる城郭全体を指すもので天守閣はなく物見櫓が建っていたぐらいでした。
自分の権力を誇示するためとはいえ、これ以後の「日本の城」の存在の意味を根底から覆した事は確かなのです。
ホント信長すご~い!!
【参考文献】
・信長の館リーフレット
・幻の名城 安土城
・Wikipedia