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『これで古典がよくわかる』橋本治

「古典が教えてくれることで一番重要なことは、『え、昔っから人間てそうだったの?』という、『人間に関する事実』です。『なーんだ、悩んでるのは自分ひとりじゃなかったのか』ということは、とっても人間を楽にしてくれます。古典は、そういう『とんでもない現代人』でいっぱいなんです。」

橋本治『これで古典がよくわかる』

そう、古典は「暗記すべき知識」でもないし、「学ぶべき教養」でもない。
書かれた当時とは言葉のスタイルや使い方は違えど、そこに現れるのは今と変わらず「生きている人間」。

「『和歌というのは、人間の感情を核として生まれるものだ』と、《古今和歌集》の『かなの序』の中で紀貫之は言っていますが、和歌というのは、『学ぶべき教養』じゃなくて、『人間そのもの』なんです。そして、この『和歌』という言葉は、そのまま、『日本の古典』というものに置き換えられます。
日本人は、えんえんと長い時間をかけて、『当たり前の日本語の文章』を生み出す方向へと進んできました。そしてそれは、その時代その時代の『人間のありかた』そのものなんです。古典を読む時に一番必要なことは、『自分も人間、古典を書いたのも人間─だからこそどっかに“接点”はある』と思うことでしょうね。源実朝がこんなに『現代青年』だったということを、あなたは知ってましたか?源実朝だけじゃなくて、紫式部だって清少納言だって、鴨長明だって紀貫之だって、藤原定家だって兼好法師だって、みんなその時代に生きていた、我々とおんなじ『現代人』なんですよ。だからこそ、日本の古典は、まだ生きているんです。」

橋本治『これで古典がよくわかる』

古典をわかるために書かれたこの本は、文体の歴史を解説するものでもありました。
具体的には、文字を持たない日本人が外国から漢字を取り入れて、ひらがなやカタカナを生み出し、漢字と組み合わせて「漢字+ひらがな」のスタイルに辿り着くまでの長い経緯について。
なぜ、日本人はひらがなやカタカナを作ったのか?輸入した漢字だけでは、なぜいけなかったのか?
それは、日本人は「自分たちが話しているように書きたかったから」。漢字とひらがなが組み合わさるにはまた長い時間がかかるのですが、ひらがなの始まりは話し言葉だったのでした。古典には「話し言葉」が生きている。だから、話し言葉でなければわかりにくくなってしまうこともある。そうだからこそ、橋本治は「枕草子」をおしゃべり言葉で訳したのです。
橋本治が『桃尻娘』を話し言葉で書いたのもそう。
話すように書きたい..それは今となっては「古典」と言われてしまうくらい昔から日本人がずーっとやっていたことでしたが、いつの間にか「話し言葉はちゃんとした文章になれない」という偏見が生まれていたから。
「古典」と「おしゃべり」は、無縁じゃない。古典を「学校のお勉強」にしてしまった私たちが忘れがちだけど、とても大切なことだとこの本が教えてくれました。

それと、古典で必要なことは、体を使って感じること。

「『古典はわからない』『古典はむずかしい』と言う人の多くに共通する、『あること』があります。それは、『“きれい”ということがわからない』です。
古典では、『文章が美しい』にはじまって、『きれい』ということが実に多くの比重を占めています。和歌なんかは、ほとんどの場合、『美しい景色を詠む』『言葉によって美しい情景を浮かびあがらせる』です。『和歌はむずかしい』と言う人は、『自分にはむずかしい和歌の意味がわからないのだ』と思っていることが多いのですが、実はそうじゃありません。『きれい』ということに鈍感なんです。だから、『古典が苦手』なんです。まず、『きれい』を知ってください。それが古典には重要なんです。」

橋本治『これで古典がよくわかる』


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