そう、古典は「暗記すべき知識」でもないし、「学ぶべき教養」でもない。
書かれた当時とは言葉のスタイルや使い方は違えど、そこに現れるのは今と変わらず「生きている人間」。
古典をわかるために書かれたこの本は、文体の歴史を解説するものでもありました。
具体的には、文字を持たない日本人が外国から漢字を取り入れて、ひらがなやカタカナを生み出し、漢字と組み合わせて「漢字+ひらがな」のスタイルに辿り着くまでの長い経緯について。
なぜ、日本人はひらがなやカタカナを作ったのか?輸入した漢字だけでは、なぜいけなかったのか?
それは、日本人は「自分たちが話しているように書きたかったから」。漢字とひらがなが組み合わさるにはまた長い時間がかかるのですが、ひらがなの始まりは話し言葉だったのでした。古典には「話し言葉」が生きている。だから、話し言葉でなければわかりにくくなってしまうこともある。そうだからこそ、橋本治は「枕草子」をおしゃべり言葉で訳したのです。
橋本治が『桃尻娘』を話し言葉で書いたのもそう。
話すように書きたい..それは今となっては「古典」と言われてしまうくらい昔から日本人がずーっとやっていたことでしたが、いつの間にか「話し言葉はちゃんとした文章になれない」という偏見が生まれていたから。
「古典」と「おしゃべり」は、無縁じゃない。古典を「学校のお勉強」にしてしまった私たちが忘れがちだけど、とても大切なことだとこの本が教えてくれました。
それと、古典で必要なことは、体を使って感じること。