いのちの時間と「なる時間」
コーヒーを飲む時、どれくらいかかってコーヒー豆となり美味しいコーヒーになったのだろうか?
と考えて嗜むことは少ないと思います。
コーヒーは美味しければ満足ですから。
横山雅彦・著 「論理思考・・・」の本の中に、例え話として、いのちに感する生々しい感覚を保っているとする部族の話がありました。
ある白人の人類学者がスイートグラスを材料にバスケットを編んでいるイロコイ族の女性に質問しました。(アメリカ原住民)
人類学者 『そのバスケットはどれくらい時間がかかるのですか?』
イロコイ族の女性 『スイートグラスは宇宙が始まった時からあの丘にある。どのくらい時間がかかるなど、わかる訳はないでは無いか。』
と、答えたそうです。
スイートグラス自体、そのものの始まりから数えてどれ位という話など何を言ってるのだ?
という事でしょうか⁈
著者の横山氏は、明治以前の日本人は皆がこういったいのちの感覚を知っていたのではないか、と言われます。世界の国の原住民のように。
明治以前の日本人は「柿がなる」、「稲がなる」と聞いて連想した「なる時間」も同じだったのではないかとも。
コーヒーの話に戻りますが、
コーヒーが出来る時間とはコーヒーが「なる」時間だと言われました。
うーん、なるほど…
私も今日は貴重な思い直しの知恵をもらいました。
そして、大切に珈琲を味わいたいと思うのでした。
(因みにコーヒーは初収穫まで3年とか…)
☆☆
我が家のコーヒーも残り少ないので買い足さねば。
ひとつはいつものグァテマラ。
あとひとつ、初めての豆も買いたい♡
円安で高騰してます😣
ではまた!