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【私の教員休職記・お寺にて】

5月12日、雨。

近所のお寺へ。

どこかへ行きたい。しかし、どこに行こうか。思いつかなかった。ただ、家を離れ、どこか別の場所に行きたかっただけだ。

表の立派な門をくぐると、本堂のほか、いくつかの建物が広い敷地内に点在していた。天気もよくないせいか、人もまばらだった。

正面の本堂に向かった。立派な御堂だ。中からお経を読む声が聞こえたので、行ってみようと思った。子供の頃、祖父が熱心な仏教徒だったせいで、よくお坊さんが父の実家に来て経をあげていた。たくさんの人がいたような記憶があるが、いまだに何の儀式だったかわからない。しかし、お経の何ともいえない不思議な音が好きで、大人になった今でも、何か落ち着くものがあると感じている。

お坊さんが二人、お経を読んでいた。その前に二人、少しお年を召した男女が座っていた。何かの儀式を行っていたのかもしれない。

もう少し聞きたかったが、私が入るとすぐ、終わってしまった。

そのあと、一人のお坊さんが、もう一人のお坊さんに何か話しかけていた。そして、一人のお坊さんはそのままそこに残り、念仏を唱えていた。

境内まで上がってくるのに少し疲れたので、椅子に座り、それを聞いていた。動くのではなく、体を止めると、色々なものが見えてくる。本堂の中にあるさまざまな装飾が、一気に目の中に飛び込んできて、黄金に輝く柱や仏様に心を奪われた。

お坊さんは何度も何度も、繰り返し念仏を唱えていた。もしかすると、これは、「練習」ではないかと思った。今念仏を唱えているお坊さんは若手で、先程のお坊さんは先輩。どのように「練習」するか指示され、繰り返し唱えているのではないだろうか。

そんなことを思い浮かべながら、私は念仏を聞き続けていた。この世界にはこの世界の「練習」や「訓練」、大変なことがあるのだろうな。私には私の世界の苦労があるように。

世の中広い。いろんな分野で生きている人々。それぞれの世界で生きている。その世界にどっぷりと浸からなければわからない楽しさ、そして苦しさがあるのだろうな、などと考えていた。

しばらく境内をうろつき、そこで出会ったおじいさんに言われて、そのお寺の名物らしい鐘楼を見に行った。確かに立派なものだった。あんなに重そうなものが落ちずにどうやって吊り下げられているのだろうか。

お寺を去るとき、雨がぱらぱらと降り出した。少しいくと商店街の屋根がある。急ぎ足で向かった。

静かな心でいられた。素敵なひとときを過ごせた。

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