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【私の教員休職記・さようなら、教室。】

記憶が薄れて行く前に、もっと早くこの文章を書きたかったが、病院に行ったり、土日には家族と出かけたり、知り合いの集まりに行ったりと、時間が経ってしまった。しかし、まだ遅くない。記憶が残っているうちに書いておこうと思う。

3月の末、私は久しぶりに学校に向かった。数ヶ月前に休職に入ったのだが、その時、代わりに入る先生が使えるように、教室のカレンダーやハンコ、その他の私物をそのままにしておいた。終業式も終わり、私にとって、やはり最終的にはつらい思い出となってしまった今回の担当学級の1年が終わった。そして、教室に残されたものを片付けるために、学校に向かったのだ。

他の職員とはあまり顔を合わせたくなかった。管理職に頼み、春休みの平日の終業後に行かせてもらうことにした。久しぶりに来る校区の中。夕方は子供が動く時間なので、誰かとすれ違わないかなどと思った。すると、少し車を止めている横を、数人の子らが通りすぎて行った。そのうちのひとりが、私に気づいたような素振りだった。しかし、帽子にマスクをしていたので、はっきりとはわからないかと思い、あえて反応はせず、そのままにした。いや、はっきりとわかっていたのかもしれないが、私自身、言葉はかわしたくはなかった。どう言葉を交わしてよいかわからなかった。

学校に到着し、職員室に向かった。学校にいたのは、管理職だけだった。少し話した後、片付けのために、自分の教室だった場所に向かった。そして、教室に入った。

久しぶりに教室に入ると、何とも、言い表しようのない感情が湧いてきた。そこは、間違いなく、毎日、一日のほとんどを過ごした教室に違いなかった。しかし、そこは、もう自分の場所ではなかった。それは、学年が終了したからではない。すでに自分の手から離れ、数ヶ月間、別の教師と子供たちが過ごした場所。給食当番表や掃除当番表などは私が作ったものだが、それはすでに自分のものではないようだった。切ないような、虚しいような、寂しいような気持ちが襲ってきた。この時見た教室の光景、何とも言えない感情を、私は一生忘れないだろう。

少し暗くなり始めた時間帯、薄暗くなった教室を、数分、眺めた。「○ヶ月間、どうしてたかな・・・。」数ヶ月前まで当たり前のように毎日聞いていた子供の声。みんなの声。それはもう、二度と聞くことはできないのだ。そして、クラスが別々になり、一人一人になった子供達1人ずつの声さえも、もう私は今後聞くことはないかもしれない。そのことは私を感傷的にさせた。

自分がこの教室に存在していたときの痕跡はいたるところにありながらも、この数ヶ月間の間に作ったであろうと思われる掲示物があったり、私がいつも使っていたボードが使われず置いてあったり、それを見るにつけて、寂しさが増した。自分がいなくても普通に日々が過ぎていったのだろうな。それは、もちろんよいことではあるが、私にとっては、寂しくも感じられた。必要ないであろうものをゴミとして分別し、必要なものを段ボールやケースにまとめながら、そんなことを思っていた。

ごみをまとめ、棚や書類ケースなどの私物を1階に下ろし、教室は片付いた。また来年度、私も知っている別の子供たちがこの教室を使うのだろう。そして、私が受け持った子供たちはこの学校の別の教室で過ごすのだろう。しかし、そこに私はいない・・・。そんなことが頭に浮かんできつつ、最後に、私のクラスだった場所をしばらく見渡し、教室を去った。

さようなら、教室。

片付けを終え、職員室に降りたとき、自分の心の中で一つの区切りがついた気がした。何かが終わったのだ。つらい思い出がさっぱりなくなるわけではないが、これで一区切りがついた。そんな気がした。もうすでに誰もいない職員室で、何もせずしばらく自分の席、いや自分の席だった場所に座っていた。

私は、この光景を、きっと一生忘れないだろう。

さようなら、教室。

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