柴田 チロ@とある自死遺族

昨年末に父を自死で亡くした、アラサー独身女🙋‍♀️💫 父の自死で感じたこと、知ったことなど、備忘録として残してます。 同じような誰かに届け!! また日々の出来ごとや思うことを【徒然日記】として書きます。 底を知った人間はしなやかにツヨイ。悲しみとともに、楽しく前向きに笑って生きる☆彡

柴田 チロ@とある自死遺族

昨年末に父を自死で亡くした、アラサー独身女🙋‍♀️💫 父の自死で感じたこと、知ったことなど、備忘録として残してます。 同じような誰かに届け!! また日々の出来ごとや思うことを【徒然日記】として書きます。 底を知った人間はしなやかにツヨイ。悲しみとともに、楽しく前向きに笑って生きる☆彡

マガジン

  • とある自死遺族の四十九日までの備忘録

    父が亡くなってから四十九日法要が終わるまでの、私や家族の日々とその思いについて書いていきます。

最近の記事

銀杏BOYZのライブ~僕たちは世界に帰ることができない☆~仙台GIGS公演を観て。【徒然日記 #1】

私は誰かの漫談か、講習会か何かに来たに違いない。 スタンディングエリアまでびっしりと並べられた座席たちに私が感じたことは、眼前に広がる光景の異様さへの、もはや呆れにも似た諦めの境地。 苦笑いをして自分の座席を探すと、ステージからは一番遠いところで、ちょっぴり残念な気持ちがした。 -------------- ※昨日の感想を書こうと思ったら、私と銀杏BOYZの馴れ初め(?)と、世の中への毒まで書いてしまった。 およそ14~5年前。 当時、15だか16だかの年頃の私はある日、

    • 9.父にさようならを

      自死ということもあり、また世間的には コロナ禍であることもあって、祖父母と叔父、母も皆 親戚や知人を呼んでの葬儀は望まなかったため 家族葬という形を取ることにした。 お葬式の当日、お経が読み上げられたあと、 肉体だけになった父の最後の見納めとなって、 家族みんなで嗚咽が出るほど泣いて、 それから棺の蓋をして、 霊柩車に遺影をもって乗って、 母は後ろの棺の隣に位牌を持って座って。 両親にはいろいろあったし、 母も複雑な心境の中で隣には乗りたくない と言っていて、じゃあ私が乗

      • 8.死化粧師

        薬剤によって防腐処理は施されるものの どす黒くなった顔色が もとの明るい色に戻るわけではないため、 エンバーミングの一環として、 化粧を施す行程がある。 いわゆる「死に化粧」というやつである。 これが、本当に素晴らしかった。 死化粧師の方が 父の白髪の増えていた数ミリカットの まだら禿げの髪を黒く染めて、 生前ほとんど整えたことのない眉を ほんの少し整える程度切りそろえ、 頬や額や唇には化粧を施し 綺麗に整えてくれていた。 (髪はよく見ると毛穴が黒く変色していたので分

        • 7.エンバーミング

          葬式の手配を行った翌日には 「エンバーミング」という処置を、 父の亡骸に施してもらった。 日本でいう死に化粧に近いものがあるが、 もっと医学的に体を衛生的に 綺麗に保つための処置である。 日本ではまだそこまで 認知度の高いものではないようだが、 アメリカでは、葬儀を行う人の90%以上が これを行うと言われており 一般的となっているものなのだそうだ。 (それぞれの土地の風習や、信仰する宗教にもよると思うが) 朝から夕方までかけて 綺麗にしてもらった父は、 最初に運ばれた寒

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        • とある自死遺族の四十九日までの備忘録
          11本

        記事

          6.遺影選びと、葬式の手配

          亡くなった当日の夜中 最初の父との面会の後に 葬儀の手配についてスタッフの方と話した際 「遺影をどうするか、決めてきてください」 との話があった。 「遺影の写真と、その他に  故人様のお写真を20枚までお預かりしまして  それを、スライドショーにして  お式の前にお流しします。よろしければ」 せっかくだからと 葬儀手配の打ち合わせ時間までに あまり多いとは言えない父の写真を 12枚ほど見繕って持って行った。 幼少期、小学生くらい、 家の庭で飼っていたという 犬と一緒の

          6.遺影選びと、葬式の手配

          5.変わり果てた父との面会

          深夜0時近くなって、 検視結果を伝える連絡が母のスマホへ入った。 当たり前だが他殺などではなく、 自ら命を絶ったと思われる、とのことだった。 検視を終えた父の遺体は、 葬儀場の霊安室へ運ばれた。 こんな状況だから、しばらく家族一緒に 居たほうがいいというのと、 忌引きでお休みも頂くことになるだろう ということで、妹が借りているアパートに 服やらなんやらを取りに行った帰り、 深夜1時ごろに葬儀場から連絡があった。 「終わりましたので、この後  お参りに来られますか?」

          5.変わり果てた父との面会

          4.道化の私とばあちゃんの思い

          検視結果が出るまでの間、何時間か待った。 どれくらい待てばいいか、というのも、 遺体の状態によって変わるらしい。 「状況によって、  今夜中に終わるかもしれませんが  日付をまたぐ可能性があります。  深夜0時までに連絡がなければ、  翌朝に連絡が来ると思ってください」 待つ間、隣の祖父母の家で夕飯を食べ、 みんなで待った。 こんな状況で腹が減るわけもなかったが、 それでも何か口にしないと、ということで、 祖母と母が、炊いてあったお米で おかかと昆布のおにぎりを握ってくれ

          4.道化の私とばあちゃんの思い

          3.誰がどこにどうやって?

          現場検証も終わりを迎え、気づけば夜になっていた。 白い袋(納体シートというらしい)におさめられ、 玄関とリビングにわたる床に置かれた担架に乗せられた 顔の見えない父の体を目前にしたときには、 あの大きな頭を前に、座り込み泣いてしまったけれど。 それが本当に父の体だという実感はもちろんないまま、 「これは父の亡骸なのだ」という頭だけの理解があった。 担架に乗せられた父の遺体は、 裏口から警察の白いワンボックスカーへと運ばれた。 決して小柄とは言えない父の身体は重く、 警察

          3.誰がどこにどうやって?

          2.警察の現場検証

          実家の駐車場まで着くと、車両の上に 赤いサイレンのついた白いワンボックスカーと 警察のバイクが停まっていた。 駐車場から家まで行く通路の真ん中には、 叔父が呆然と立ち尽くしていて、 私が帰るのを待っていてくれたようだった。 私が抱きしめると、叔父は無言で それまでこらえていた感情を開放するかのように、私を力強く抱きしめ返した。 お互い少し泣いたあと 「1階にいるからすぐに2階に行け。お前には見せたくない」 と叔父が言った。 それから母が家の裏口から出てきて、 泣き腫

          1.もう、手遅れだった

          首から背中の真ん中にかけて、重だるくて仕方がない。 呼吸が浅くなり、ときどきため息をつくように 深呼吸をする。 どれくらい泣いたかわからない。 正直言って、今自分の中に湧き起こる感情や 感覚があまり理解できていないでいる。 九日前、父が死んだ。 それは、青天の霹靂であった。 「仕事、早退してこれる?」 弟が言った。 2021年12月4日、15時1分。 最初は母からのLINE電話での着信。 その日は土曜日だったから、また休みの日だ と思ってかけてきたんだろうと思い、電

          そうか、父さんは死んじゃったんだよな。~序章:父の葬式を前に~

          四日前、父が死んだ。 自分でも今、 どんな気持ちでこれを書いているのだろう、 と訳のわからない想いになるが、 明日には父の肉体がこの世から消えて 無くなるのだという事実に、 断続的な不安感や動悸を覚える。 漠然としている思考や感覚を書き出すことで、 少し落ち着きたかったのだ。 見た目は十分落ち着いている。 父親の死に対して冷淡にも見えるほどに。 けれども内側のところでは様々な感情が、 意識の中で追いきれないほどに 渦巻いているのだ。 「死」というものの正体の不可解さ

          そうか、父さんは死んじゃったんだよな。~序章:父の葬式を前に~

          そうか、父さんは死んじゃったんだよな。~まえがき~

          それは、突然のできごとだった。 近しい人の死に直面したとき、ほとんどの人がうろたえ、悲しみに打ちひしがれることだろう。 私にとってもそれは、例外ではなかった。 もうすぐ三十にもなろうというのに、 親しい人であろうとなかろうと、誰かが死んでしまうということに対する免疫がまるでなかったのだ。 それが、最も身近な肉親の衝撃的な死によって、 否が応でも「死」への認識と理解をせざるを得なくなった。 人は生まれたら、いくらか生きて やがて死んでゆく。 そんなことは分かっていた。

          そうか、父さんは死んじゃったんだよな。~まえがき~