1.もう、手遅れだった
首から背中の真ん中にかけて、重だるくて仕方がない。
呼吸が浅くなり、ときどきため息をつくように
深呼吸をする。
どれくらい泣いたかわからない。
正直言って、今自分の中に湧き起こる感情や
感覚があまり理解できていないでいる。
九日前、父が死んだ。
それは、青天の霹靂であった。
「仕事、早退してこれる?」
弟が言った。
2021年12月4日、15時1分。
最初は母からのLINE電話での着信。
その日は土曜日だったから、また休みの日だ
と思ってかけてきたんだろうと思い、電話には出ずに
家族のLINEグループへ返信だけ書いた。
[@母 今日明日は仕事やで ]
そのあとすぐ、二人の弟から立て続けの着信。
きっと何かあったんだということは分かったが、
まさか父が死んだなんてことは、思いもしなかった。
職場の人に断りを入れてトイレへと立つと、
またすぐに下の弟から着信があった。
「もしもし。どうした?なんかあった?」
とにかくできるだけ早く帰ってきてほしい、
という以上の言葉を、出そうとしない弟の声は震えていた。
(こんなことを書いていたら、
急に目が回りだした。ダメだこりゃ。
これはきっと思いきり、喪失に伴う
精神的な負担からの忌避反応なのだろうな、と思う)
早退するにも理由がいるから、と伝えたが、
下の弟では判断がつかず一度電話を切った。
ほんの少し間が空いた後に、上の弟からの着信。
やはり切り出そうとしなかったが、
何があったのかを手短にでもいいから
教えてくれ、と頼んだ。
弟は、息を詰まらせて言った。
「お父さん、自分で首吊っちゃった」
そんなことを言われてもなお、私がとっさに考えたことは
きっと病院に運ばれて無事であろうことだった。
「お父さんの容体は?」
弟は言った。
「もう、手遅れだった」
自然と涙があふれ、感情が込み上げた。
「わかった。連絡くれてありがとう……」
弟も相当つらいはずなのに、
「変な気を起こさないでね、
ゆっくりでいいから、ちゃんと帰ってきてね」
と、私の心配をしてくれた。
[大丈夫、私は死んだりしない] そう思いながら、
強く「うん、ありがとう」とだけ答えた。
後々考えると、きっと現場にいた母と叔父、
弟二人が、上の二人(私と妹)にはどう伝えるか?
と話していたのだろう。
唐突に事実を突きつけては、
動揺して帰ってこられないかもしれない、
と案じてくれたのだと思う。
職場の人は、きっとひどい顔をしていただろう、
電話を終えて戻った私を見て、
「ここは大丈夫だから、気にしないで帰って大丈夫だよ」
と、ただそう言ってくれた。
優しい言葉に、また泣けた。
寒い日だったはずだが、ショックが大きすぎて
また何が起きているのか、理解しているようで
理解できていないような非常に混乱した感覚となっていて、
「すみません、ありがとうございます」
とぐしゃぐしゃになった顔を残して、
椅子に掛けていた上着を取ったそのままで
駅まで歩き、電車へ乗った。
寒さも悲しみも、
もはや何が何だかよく分からなくなっていた。
よく分からない中でも、
きっと考えれば泣いてしまうだろうと、何とか家までは
と思って、いつも参ったときに笑わせてくれる
お笑い芸人のコント動画をひたすら観て、
一時間ほど先の実家まで帰った。
電車の中で、みんなのことをとにかくただ、抱きしめようと決めた。
~第一章:父が死んだ。これは夢か幻か①~