大人になってからうんこを漏らすと脳が覚醒するという話を聞いて、うんこを漏らしたくなったけど (1/2)
1. ことのはじまり
「うんこはマジで1回漏らしといたほうがええで」
というのは以前バイトをしていたカラオケ屋の店長に言われた箴言で、もう4年くらい前のことなのに時々思い出す。思い出しては「ああっ、おれはまだうんこを漏らせないでいる…」とおのれの無能さに直面して残念な思いを夜な夜な噛みしめるのである。
当時働いていたカラオケ屋は学生街にあって、内装外装ともにボロく、腐敗した瘴気がまとわりついているような古い個人経営店だった。たまに訪れる客のほとんどが大学生で、基本的に彼らは揃いもそろって倫理観と道徳観が徹底的に欠如していた。カラオケを普通に楽しむよりは、みんなで泥酔しつつめちゃくちゃに暴れたいという欲望をほしいままにする狂戦士ばかりだった。どれだけ騒いで狂乱してもまだ到達できない、なにか目指すべきニルヴァーナ的な境地を彼らは見据えて、それを追い求めているのではないか?と思えたくらい。
とはいえ仕事自体はかなりラクで、そういうバーサーカーみたいな集団がヒィエエエェッとかいいながら入店してくれば受付をして、退店すれば部屋を清掃するだけだから5時間シフトに入れば4時間は厨房でダラダラするだけの店だった。
店長からうんこの話をされたのも、いつものように厨房でダラダラしているときだった。店長が急に「あ、そうそう。藤井って大人になってからうんこ漏らしたことある?」と聞いてくるのでないですねと答えると、「一度は漏らしたほうがいい」と。そういう話になった。このとき私はまだ店長と会って間もない頃である。
最初、店長はふざけているのだと思ったが、実は冗談ではく、ちゃんとしたメリットがあって脱糞することを勧めているらしかった。ではそのメリットとは何なのか。それは、
脳が覚醒する。
繰り返しになるがこれはふざけているわけではなく、店長は私に対して有益な情報を伝えよう、この人のためになるような事を教えてあげよう、という純然たる親切心をもって大真面目に主張したのだ。
で、当時した会話のそのままは覚えていないので要約するが、今回の記事ではまずうんこを漏らして脳が覚醒するメカニズムをまず説明したい。
2. 覚醒
脳が覚醒する、というとなんだかよくわかりにくいが、つまりは非常事態に直面すると脳の処理速度が限界を超えることにより、今までは捉えることのできなかった"世界"に触れられる、と言い換えることができる。うんこを漏らすことがその脳の限界突破のトリガーになるのである。
だから、うんこを漏らす場所がどこでもよい訳ではない。例えば人通りのある往来とか商業施設とか駅とか、そういう自分以外に人がいる場所で漏らさないといけない。家で一人で漏らしてしまっても、たしかにそれはそれで恥辱ではあろうが緊急事態とは言い難い。店長の場合はたしか駅のプラットホームで、電車から降りてすぐに漏らした、と言っていたはずだ。
この話を聞いたとき私は、あ、うんこを漏らしたい、と思った。
どう考えても脳は覚醒していないより、していた方がなにかと便利そうではある。便利なのは良いことだと思うし嬉しい。であれば覚醒したい。"世界"に触れたい。うんこを漏らすことで人として一段上へ成長できるかもしれない、と思った。
うんこ漏らしにより訪れる"世界"との対峙。私はその境地を知りたい。はじめ、心の中にかすかにゆれ動く小さな灯火だったその願望は、次第に強さを増していき、気づいたときには願望は重い使命感となり、灯火はボゥボゥと燃え盛る真紅の焔(ほむら)へと変化していた。
『うんこを漏らさなければならぬ』と私は思った。
『金閣を焼かなければならぬ』と悟った小説の主人公さながらの使命感である。
ここまで読んで、「会社で働いている時の方がそんなもん以上の非常事態に直面する経験なんぼでもあるぞ、うんこで限界突破なんかできるかボケ」なんて思って悪態をつく、私を罵倒したい人もいるかもしれない。蓋し真っ当な意見のように思えるが、でもその人はまだ本当を理解していない。
たしかに、脳をフル回転させてもなお解決の糸口がつかめぬ事態、あるいは何か前向きな、一世一代のチャレンジ・大勝負などなど。仕事であれば、漏らしたうんこの事後処理とは比べ物にならないほどの集中力と対応力が必要になる事態もこれはあるだろう。しかしそれらは”世界”に触れる覚醒のトリガーにはなりえない。単に脳をフル回転させれば覚醒するわけではないからだ。
では仕事における知的活動とうんこ漏らしという禁忌、何が違うのか?今書いたそのままである。うんこ漏らしは、人間が築き上げたものの破壊と破戒である。
3. "世界"に触れる
生活の中で定められた場所でひとり排便をする。こんなことは太古の時代から守られてきた原初のルールである。
好き勝手にいろんな場所でうんこされたら生活がめちゃくちゃになるから、みんなで決めた場所(主に川)でうんこをしようね。といった集団ルールが縄文時代前期の頃にはすでに存在していたことが遺跡発掘調査で判明している。つまり定められた場所で排便する『うんこコントロール』は人間が集団での社会生活を営む上で必要、ていうか重要、ていうか『うんこコントロール』こそが人間が現在まで連綿と続く社会を形成するはじまりになっているんだよわかってんのかこのうんこ野郎どもが。
では縄文人の頃から脈々と受け継がれてきたこの『うんこしたらあかん場所でうんこしたらあかん』というDNAに深く刻まれた重要な戒律を破ったらどうなるか?
そう、自分の中の社会的なリズムが崩壊。その一瞬、人間の脳は今までの人生の社会性を担保していた基礎を失い、覚醒する。君はその場に居合わせた他人だけでなく、今までに存在した祖先からも孤立し、一万年の沈黙を破り、現実がゆがむ。共同幻想の社会の檻から解き放たれて、はじめて"世界"に触れるのだ。社会内存在から宇宙内存在に変わるのだ。
これが「うんこを漏らすと覚醒する」ということの詳細である。ここまで聞けば、ただ単に仕事などで脳を限界までフル回転したところで覚醒などできない理由がわかったと思う。仕事においていくら危機に面しても、そしてどのような結果になろうとも、すべて社会の内側で収まる出来事でしかないからだ。対してうんこ漏らしの場合、人類の歴史に刻まれた根幹の社会ミームを破壊しにかかるから脳の枷が外れ、覚醒できるのだ。
思っていたよりも文章が長くなってしまった。次回は「ではなぜ私はまだうんこを漏らせずにいるのか?」ということをなるべく短く書いて終わりたいと思う。
4. (余談)
かなり前だが、なにかのバラエティ番組でバカリズムが「意図的に部屋でおしっこを漏らしたらすごい快感で、でも膀胱がそれで狂ってしまい、数日間おねしょがとまらなくなった」と、大体こんな感じのことを話していたのを記憶している。これも似たような話である。だが、彼の場合は部屋で一人であったことと、また、おしっこという相対的に威力の弱いものを意図的に行ったことにより"快感"で済んだのだ。快感を感じるというのはまだ状況が自分のコントロール下に収まっていることの証左にほかならない。このおしっこ漏らしも、一人の状態ではなくて、例えばテレビの生放送中に意図せず失禁してしまった、とかであれば或いは彼も"世界"に触れられたのかもしれない。
ちなみに、「いやぁ、なんか力説してますけどそれ全部違うとおもいまぁす。だっておれ大人になってからうんこ漏らしたことあるけど、全然覚醒なんてしてる感じしないっすわHeHeHe」とか言いつつニヤニヤ卑屈な笑い顔で、この記事を不適切な投稿として運営に削除申請しやがる奴がいるかも知れないので言っておく。
まず、そんなことを言われても知らん。覚醒できないのはあなたの脳みそがあんまり良くないからじゃないのか。というか人の投稿にけちをつける暇があるなら、まずは大人になってもうんこを漏らしている自分を恥じてほしい。人としてどうなのかと私は思うぞ。
人としてどうなのだ、というところでいくと、私の友人にも一人とんでもない男がいる。大学生のときにドラムを叩いていた男で、そいつは時と場所を選ばず、あり得ない頻度で日常的にうんこを漏らし続け、ヘラヘラと笑いながら糞にまみれたパンツをコンビニのゴミ箱に投棄、己の行いをひとつも慙愧することなくそのままノーパンでラーメンを食ったりする男で、はっきり言って狂人だと思う。
さらに凶悪なのは、その男は生まれつき嗅覚が全く機能しておらず、だから自分のうんこが周囲に異臭を撒き散らしていることを知らず、何度でも際限なくうんこを漏らす。自分は鼻が死んでいて臭くないから、うんこの悪臭に苦しみをおぼえることがなく、だから繰り返しうんこを漏らす。で、パンツをコンビニに捨ててヘラヘラしながらまたぞろラーメンを食う。いったいどうなっとるんだ、いくらなんでも極悪すぎる。生物兵器の類ではないか。
もっと大人としての自覚と自制心を持ってほしい、と今度会ったときに言おう思う。
2/2へ続く