チコトズエ

職業∶看護師 心理カウンセラー、終活ライプケアプランナー資格取得。 終活に遅いも早いもない、死は誰にでも平等に訪れるもの。自分の最後を幸せな気持ちで迎えられるよう、今をどう生きるか。 そんなことを考えながら生きている者です。

チコトズエ

職業∶看護師 心理カウンセラー、終活ライプケアプランナー資格取得。 終活に遅いも早いもない、死は誰にでも平等に訪れるもの。自分の最後を幸せな気持ちで迎えられるよう、今をどう生きるか。 そんなことを考えながら生きている者です。

最近の記事

私の朝の日課 ⑥

日課 4時起床(早起き) うがい 瞑想 朝日記 室内散歩 朝ごはん 掃除 先に白状します 寒くなると太陽の出る時間が遅くなります すると私の体内時計もそれに合わせて起床時間が遅くなるようで 現在4時に起きることがほとんどありません 日勤の日だけは4時に起きないと運動もなにもできたものではないので置きますが休みや入りの日は大体6時ころに起床しています アラームをかけずに起きていますがだいたい5時半くらいに目を覚まして でも布団のなかの温かく何とも言えない心地よ

    • 欠点の自己主張が強すぎる

      私は中学生のころから鼻炎に悩まされながら生きてきました 中学生のころは当時ハムスターを大量飼育していました ハムスター夫婦がたくさん子どもを産み、ハムスターのゲージがどんどん増えていったことを覚えています 友達たちにもハムスターの子どもたちを譲ったり 2段のゲージを一段ずつ使って2階建て風にしたりして毎日楽しく過ごしていました 生命の奇跡の瞬間、まだ毛もない目も開かないピンク色の小さな小さなハムスターの赤ちゃんが誕生するシーンは本当に感動ものでした その子どもたちを必死で育て

      • 私の朝の日課 ⑤

        日課 4時起床(早起き) うがい 瞑想 朝日記 室内散歩 朝ごはん 掃除 今回は朝日記についてです これはもう2年目になります 去年1年間書き続けて今年も夜勤明け以外の日はほぼ起床後書いています 何を書くかは決めていません その時頭に浮かんだことをただ書き続けている感じです 頭になにも思い浮かばなくてペンが止まることもあります そんなときは 「何も思い浮かばないな」 って書いています でも最初の数行に必ず書く2文があります 『宇宙はとてつもなく素敵な

        • obasan

          今日は私の日課のことを投稿しようと思っていましたが 面白いネット記事をみてそれについて書きたくなりました 芸人のいとうあさこさんのニュースです テレビで自分をおばさんと言ったことで炎上したという話 いとうさんが自分のことをおばさんと言ったら、同年代の人が自分もおばさんなんだと傷つくから言わないでください、と言われたそうです え? 傷つくとは? 50代の女性をおばさんと呼ばずなんて呼ぶ? 私は40代前半の女性です ちょっと前に同い年の同僚とこんな会話をしました 知らな

          私の朝の日課④

          日課 4時起床(早起き) うがい 瞑想 朝日記 室内散歩 朝ごはん 掃除 今回は3.瞑想に関連した私の日課について話していきます 瞑想に関連した日課とは 般若心経を読むこと 去年の11月、最近字を書いていないな、なんだか字がへたくそすぎるなって思って写経をしてみることにしました なんでもよかったのですが、この本が一番続けやすそうだなって思って手に取りました 1日1文、3回書いても5分ほど これなら毎日書けそうと思っていましたが 11月24日に始めて結局最

          私の朝の日課④

          アンナチュラルが好きすぎる

          こんなに繰り返して観ても飽きないドラマがあっただろうか 何回観ても同じところで涙がでるし、何度も勇気をもらう アンナチュラル 今ラストマイルという映画が公開中 その映画のシェアードユニバースヒストリーの1つがアンナチュラル 不自然死究明研究所、通称UDIラボという架空の研究所を舞台に展開する物語 1話目から展開が2転3転する内容で毎回まるで最終回?くらいの重く悲しくメッセージ性の高いドラマで本当に飽きることがない 重く悲しい内容だけれど登場人物は明るすぎるし、いいひと

          アンナチュラルが好きすぎる

          病院受診後の院外薬局がめんどくさいと感じる私は心が小さいだろうか。具合悪い時はさらに。散々病院で話した症状をもう一回聞かれる苦痛。あと説明いるかどうか先に聞いてから薬の説明をしてもらえないだろうか…私は薬を知っている。長い待ち時間の末、早く帰りたいのにゆっくり説明苦痛でしかない。

          病院受診後の院外薬局がめんどくさいと感じる私は心が小さいだろうか。具合悪い時はさらに。散々病院で話した症状をもう一回聞かれる苦痛。あと説明いるかどうか先に聞いてから薬の説明をしてもらえないだろうか…私は薬を知っている。長い待ち時間の末、早く帰りたいのにゆっくり説明苦痛でしかない。

          私の朝の日課 ③

          日課4時起床(早起き) うがい 瞑想 朝日記 室内散歩 朝ごはん 掃除 今日は3、瞑想のことを書きます 瞑想というと あぐらで座って目を閉じて呼吸に意識を向けながらじっとしているもの、というイメージがあると思います 最近まで朝の5分だけでもと思って椅子に座って目を閉じて息吸ってー吐いてーってやっていました 瞑想中はどうしても無になることはできません 無になるというよりふつふつと湧いてくる思いや感情、仕事のことなんかをすべて受け入れる、あーいま私はこういうこと

          私の朝の日課 ③

          私の朝の日課 ②

          日課4時起床(早起き) うがい 瞑想 朝日記 室内散歩 朝ごはん 掃除 今日は うがいのことを書きます 朝起きたらうがいする 夜念入りに歯磨きをします フロスで歯間もきれいにします 夜寝ている間に口腔内は雑菌だらけ 母ががん闘病中、主治医の先生との会話で 「免疫力が落ちているのでケガには注意してください」 と言われたときに 「犬を飼っているんですけど、犬がもし噛んできたら・・・」 みたいな質問をしていました 当時飼っていたわんこたちはむやみに人を嚙んだり

          私の朝の日課 ②

          私の朝の日課 ①

          日課1.4時起床(早起き) 2.うがい 3.瞑想 4.朝日記 5.室内散歩 6.朝ごはん 7.掃除 今日から毎週私の朝の日課のことを書いていこうと思います 普通なら朝のルーティーンです、と起きたらこれをしてなにをして、みたいな流れを書くものと思いますが、私はその一つ一つについて語りたい なので一つ一つの日課を深堀して考えて書いていこうと思います 今日は 4時起床(早起き) さすがに子どものころは眠れるだけ眠りたい、そういう人間でした でも幼少期の自分を思い

          私の朝の日課 ①

          非婚主義 一人の幸せってありますよ

          私は非婚主義者です 結婚しない人生 「結婚できなかった女の負け惜しみか?」とどこからともなく聞こえてきそうですが、そうとも言えるしそうとも言えません ただ、私は小学校低学年の下校途中、友人に「私は結婚しない」と言った記憶が鮮明にあります。どういう会話の流れからそうなったのかわかりません ですが、確実に幼少のころから私は結婚しない人生を考えていました ですので、今回は私の非婚観について話していきたいと思います ただ書いているうちにかなり赤裸々に書いてしまったので、今回は有

          ¥300

          非婚主義 一人の幸せってありますよ

          ¥300

          献身と友愛は地球を救う

          昔のアニメは大人になっても楽しめる たくさんのアニメを観てきた 朝は世界名作劇場を観ながらご飯を食べていた 日本昔話、ちびまる子ちゃん、クレヨンしんちゃん、アンパンマン、セーラームーン・・・たくさんたくさん小さな私の心に刻まれた素晴作品の数々 ドラえもん 幼い私の金曜日の夜のお茶の間のヒーローだった 特にドラえもんの映画は繰り返し観ていたしコミック本もたくさん読んだ ただ私の中のドラえもんの映画は雲の王国以降は更新されていない 大人になるにつれアニメからドラマへ興味が変化し

          献身と友愛は地球を救う

          ハンドクリームのテスターを塗ったら臭くて顔をしかめていた私 店員さんが これはフレッシュで爽やかな香りなんですよって え?これが?どのへん? モデルさんとかインフルエンサーさんにとても人気があるんですよ〜 って顔しかめっぱなしの私に笑顔で伝えていた 客心の心とチグハグすぎる…

          ハンドクリームのテスターを塗ったら臭くて顔をしかめていた私 店員さんが これはフレッシュで爽やかな香りなんですよって え?これが?どのへん? モデルさんとかインフルエンサーさんにとても人気があるんですよ〜 って顔しかめっぱなしの私に笑顔で伝えていた 客心の心とチグハグすぎる…

          私の死生観 4 後編

          母の死急変の知らせを聞いた私は病院に駆けつける しかし手を握ってあげることもできず呆然と座ることしかできずにいた 看取る 母親が意識不明になった時 普通はどうするものなのだろう 泣いて「ママ、ママ」と体をさすったり、手を握るものなのだろうか 私にはできなかった 体が動かないのだ 確実にもうすぐ死んでしまう母の姿を前に 体の力が抜け、感情を失った 無を初めて体感した時間 数時間ののち家族が到着する 私は家族の姿をみてはっとする 「しっかりしなければ」 弟や妹がいる

          私の死生観 4 後編

          私の死生観 4 中編

          母の死母の病気が発覚 初期の胃がんと安心していたのだが手術後に明かされたのは悲しい現実だった (注:後編を書いているうちに内容が多すぎて前中後編にわけることにしました) 母の闘病生活 術後1日目から離床を開始した 胃の半分を摘出したと言う 白湯から重湯と徐々に食事も元通りになり1週間で退院となった 食事は大量に摂取しないこと、よく噛むこと、 消化の良いものを食べるよう心がければ特に制限はなし 酒たばこはやめるよう説明を受ける 母は退院した足でファミレスに行きたいと言っ

          私の死生観 4 中編

          私の死生観 4 前編

          今回の話が私の人生にとって最大の出来事であり 死生観を考えるうえで重要な経験だ 母の死私にとっての最大の出来事 母の死 その死の話をする前に母について話そう 母の生いたち 母はとてもとても田舎の漁村で育った 小さいころに両親が離婚、祖父母のもとで生活 高校入学のころに再婚した母の家に移り住んだ 町役場に勤め、あの家をでるためには早く結婚しなければと思っていたそうだ 当時は昭和50年代、女性が一人暮らしをする文化がなかったのだろう 田舎だからなおさらだ そうして21歳の

          私の死生観 4 前編