夏菜子さんは流行りの風邪を引いたのか、その日はずいぶん咳き込んでいた。狭い部屋に八人が卓を囲み大方のひとは彼女を心配しつつ、移されることへの若干の不安を秘めて黙し課題の本を読んでいた。その沈黙を堅物なる哲学徒の幸助君が「風邪が流行っているからマスクくらいしてほしい」と書物から視線を上げずに誹りの言葉をつぶやいて破った。夏菜子さんが謝る間もなく、即座に先生が幸助君を厳しくお叱りになった。「君は何を言っているんだ、風邪は誰でもひくんだ。マスクをするしないは各自の勝手でなんで君がそ
日の陰ったかと思うとたちまち雲が集まりきて、さあと風が吹いて、さて夕立ちが来そうだな。土用の虫干し言うくらい今はそれだけ日差しが強くて何を洗って干してもすぐ乾くから今日は朝より冬物の毛布やらを干していた。それを急いでしまっていると、ごごごと空が鳴り、そら来た、腕に抱える毛布がぽかぽかと完全に乾いているのを感じると夕立を出し抜いた気持ちであった。しまい終えると、こちらは夕立を待ちつ空を見あげる。しかし、意外と来ない。爽やかな風がぴたりと止み、生ぬるいようなのに変わり、夕立後のよ
映画は色々と漁るより、つい同じもの何度も観てしまう。そのわたしの心理には、寅さんの新作が公開されたといって映画館に観に行く人がそれが新作であるにもかかわらずいつもの美女に振られるお馴染みの寅さんを求めて観に行くように、知らぬふりをしてまたいつもの驚きと笑いを体験したい、そんな少し自己本位な動機が潜んでいるのかしれない。というより、それは元来歌舞伎といい、大衆が芸術に求めるところのものであった。迂路をへて、結局は馴染み深い感情に至るのである。予定調和だが、知らぬふりをして驚き笑
スイカのはなし これほど日々のうぐいすの鳴き声に、敏感に生きた年もなかった。もうそういう年齢なんだな。初音を昨日のごとく聴いて、気がつけば夏の暑さも盛りにちかく、みな鳥の声など聞きもあえず、あたまから水に浸かっている。一昨日くらいまでは村雨がこれば洗濯物をしまい、やめば、また干す日々。それが晴れたらもう耐えられない暑さだ。動きたくないから、することと言えば夏の思い出に浸るくらい。なぜか記憶は汗びっしょりかいて糺(ただす)の森を友達と歩いている情景に運ぶ。道徳の弛んだ十九の