<my story>根無し草なわたしの、キャリア最長記録1(20代)
1カ所でもっと根を張って、40歳50歳くらいでバリバリやってるイメージをしていたんですけど。これまでポンポンと転々としていて、根無し草な感じで。(笑)
そんな私が今、ここで5年目、続けている理由とは。
職業:大学 就職支援センター勤務 年齢:40代
【学生時代~新卒入社】最初のキャリアは1年半で退職
学生時代は、高校からずっと国際文化のコースでずっと英語を学んでいて、その間に留学もして、そのまま外国語大学の英文科に入学しました。
ずっと語学が好きということもありましたけど、異文化に魅了されていました。
言葉自体違うので、同じ言葉を発しても捉え方がこんなに違うのか、こんな食べ物もあるんだ、とか小さな事ひとつひとつが面白くて仕方がなくて。
本当に20代~30代前半は外にばかり意識が向いていました。
日本より、外の違うものを吸収したい。
そんな時期でした。
「違う」ってことが楽しくて、海外の知らない土地に行くとか、言葉のわからない国に行くなどの怖さは感じていませんでした。
若さゆえかもしれませんが(笑)
理数系が苦手だったし、家族からは得意なところを頑張ったらっと定期的に声掛けがあったので、それも背中を押してくれたと思います。
大学を卒業して、最初のキャリアは、日本のリゾートホテルでした。
実は就活時に、業界を絞り込みすぎて業界職種研究がうまくできていませんでした。
ホテル業界とブライダル業界に絞って、そこでホテルにご縁があって。外国人ゲストが少なく、英語を使う機会の少なさは、知ってはいましたが「ホテル」ということですぐに決めました。
しかし、働いてみてやっぱり英語が使いたいと思うようになりました。自分の英語力がどんどん下がってきているところに危機感を感じていることもありました。
失敗でもあり、より希望がはっきりしたということもありましたけれど、最初の仕事は1年半で辞めることを決めました。
【20代①ワーホリ】海外で視野を広げる
その後は、ワーホリができる年齢だったので、誰にも相談することなく、ニュージーランドのワーホリへ旅立っていったんです。
ここから私の日本のキャリアもいったんストップ。
日本にずっといて、頭が固くなってきたというか、視野が狭くなってきた感覚が自分のどこにありました。
真っ白に、まっさらにしたいという気持ちが、知らない国に行く怖さよりも勝っていました。
その時は、プライベートでもずっと大学時代から関係があった方と、ライフプランニングの話が出てきて、心の準備ができていない状態で将来が見えてしまった。
このままじゃもうここにいてしまう。
という感覚があったのかもしれません。
だから結婚とかする前に、ちょっと外に出てきますと本当に風船のように出ていきました。今振り返ると、逃げたかったのかもしれません。(笑)
でも、色んな事を通して、新たな気づきを得たいという気持ちは強くありました。
ただ行くだけじゃあちょっとな、という気持ちもあったので、3カ月は、現地で学び、子供たちに第二外国語として英語を教える為の資格を取りました。
ニュージーランドはフルで1年間滞在していたんですが、学校は3カ月で、資格を取った後、向こうの幼稚園や保育園で、実習やボランティア、アルバイトをしました。
出会った人から「うちで仕事してみない?」と言われて、そこに勇気を出して行ってみると「あそこでも働いてみない?」「ご飯食べにくる?」といったように、どんどんつながって、周りの人に沢山助けられたりして。
一つ一つが本当に良い出会いだった。
行ってよかったと思っています。
とても濃い1年でした。
より直感というか、縁も大事にしようって思えた1年でしたし、人や環境のつながりを体感した1年でした。
日本を出てから5カ月目までは幼児教育に携わり、そこからは旅行をしつつ仕事をしつつ、残りの期間を暮らしていました。
振り返ると本当に考えずに直感で動くタイプでした。
そして、直感で動いた時には、いい結果がついてくるんです。
でも今は、あの時のように、怖さなく行動はできないなと思います。(笑)
【20代②結婚】海外で出会ったパートナーと結婚、国を渡り歩いて得たキャリア観
海外での経験に魅了されて、20代の約10年間はほとんど海外で暮らしていました。
オーストラリアにワーホリに行ったり、タイのプーケットのホテルに働きに行ったり。
そんな中、ニュージーランドで出会った方と、ご縁があり結婚を決めました。
彼は、ニュージーランドのワイン作りの専門学校で学んでいたオランダ人でした。
タイのホテル勤務後は、彼のワイン作りの仕事があり、2人共にビザが出る国を選び、2年とか3年単位で動きながら、渡り歩きました。
カナダ・ニュージーランド・オーストラリア・フランス・日本にも少し。
ワイン作りであちこちで修業をするという職種なので、無期雇用がありません。
ですから、半年、繁忙期だけ、1年という具合で、その都度、国を転々としました。
私にも働けるビザがある時は一緒に働きましたし、就労が認められず、主婦として過ごした時もありました。
その際は、キャリアや仕事を「選ぶ」ということではなく、来るもの拒まずという感じでした。
インターネット上で語学を教える仕事をしたりとか。
自分のできることを形にすることで必死でしたね。
フランス滞在中は、ポーランド人やポルトガル人の方がシーズナルの仕事で収穫に来るんですが、その人たちと一緒に収穫の仕事をしたり、日本のお客様とか英語でお話をする必要のある人へ、ワイン販売に入らせていただいたりとか。
泥臭い感じでしたけど。
色々やらしてもらったなって思いますね。
筋肉も付きましたし。(笑)
男の人たちに混じってワインの樽や箱をもったりとか、長靴はいてぐっちょぐっちょになりながら、雪の中で凍えながら仕事をしたりとか。
本当に仕事って色々あるんだなとか、こういうことを大事に仕事してる人がいるんだな。って、見聞き、体験してキャリア観は培われた気がします。
そしてワイン現場での職人さんに対する憧れというか、ストイックに一つのことを集中してできる妥協しない強さに惹かれました。
【20代③】辛くて不安な経験からも得た価値観
たくさんの国には行きましたが、こんな風に仕事とか生活中心なので、旅行で見れたであろう景色などは多く持てていないかもしれません。
結構必死でしたよ。
お役所の手続きも大変でした。
そういうイメージが強く残っているので、本当に生活を日本以外の国でするって、いろいろあるんだなって感じていました。
例えば日本だったら、私が一人で体調が悪くなったら病院に行ける。
パートナーが倒れたとしてもすぐに救急車が呼べる、役所手続きもすぐにできる。そんな安心感があります。
フランスでは、特にフランス語もできなかったので、そのひとつひとつができない。電話ひとつかけるのに、かなり心が疲れる。
だから常に不安でした。
ワイン生産地の田舎だったのでフランス語自体に、田舎なまりもありましたし、コミュニティも小さいので、近所の人として認められて、お茶に呼んでもらえるまで時間もかかりました。壁は大きかったですね。
言葉の壁、文化の違いによる距離感。
簡単ではないというか。
役割不足みたいな気持ちに陥った時期が長かったので、それは今でも当時を思い出すとすごくつらい気持ちがよみがえります。
旅行で行っていたとしたら、フランスをもっと楽しめたかもしれない。
本当に短期間でだったら、パリとか旅行に行きたいと思うんですけど、もう一回住みなさいと言われたらフランスを選ぶことはないんじゃないかな。
でもこの経験も含め、海外での暮らしはとても興味深かった。
こういった色んな文化に触れたことから、今でも例え国籍が同じでも、目の前の人は他人です。わかっているつもりになってはいけないと常に思っています。
2に続く
Q:くじけそうな時はどのように解消しますか?
土に触ることです。ちっちゃなベランダですが、植物を育てています。
実家には庭があるので、芝生の上で歩いてみたり、植物園に行ったり。
植物は種を植えてしばらくは芽が出ない。
形は見えないけれど、ちゃんと根を張っていて、そのうちに目が出て花が咲いて実ができて。
水をあげないとしおれるし、あげると葉っぱがしゃんとする。
その姿を見ると、頑張ろうって思います。
落ち込んだ時の自分の薬ですね。
Q:生き方や考え方に影響した本や言葉を教えて下さい。
最初に働いたホテルで、私が退職を話した時、人事や周りの人はひき止めてくれました。
せっかく育成に時間をかけたのに。と今なら気持ちはわかります。
でもその時、上長だった方が、すごく厳しい人だったんですけど、
「僕は君の人生に責任が持てないから、辞めるなとかあと半年とか言えない。自分で決めたことだから、自分で責任をもってちゃんとするんだろうから。」
と私の選択を受け止めてくれました。
これって、すごく今の仕事にも影響をしていて、
「あなたが選択したことだから自信をもっていけばいい。」
と学生や周りの人にも伝えています。
Q:ご自身にとって京都ってどんな場所?
文化を感じれる場所というか、古き良き日本人のスマートな生き方が垣間見れたり。お寺も愛でれるし、散歩が出来たり、タイムトリップできるような「異空間」だなと思います。
私にとって、とても居心地がいい場所です。
Q:あなたにとって仕事とは?
元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏は「サッカーはバランスを保つために、『水を運ぶ選手』が必要である」と語ったそうです。
水を運ぶ人がいるから活躍する人がいる。
いい具合にパスをしているからゴールを決められる人がいる。
私は仕事だけでなく、人として「水を運ぶ人になりたいな」と思います。
周りの賞賛が得られなくても、自分がちゃんと水を運べたなと、自分の役割をしっかりと自分自身で認めることができる人になりたい。
まだまだ、もっと褒められたいなって思ったりするけれど、そのエゴを捨てて、自分の役割をしっかりと。そうすることで、他の人に、あるいは、何かに、つながっていけばいいなと思います。