一番好きなフルーツは柿。
子どもというのは一番トークが大好きである。
一番トークというのは例えば一番好きな食べ物は何といった類である。
一番好きな〜はあらゆるものに当てはまり、こちらがさして好きではないジャンルにまで回答を求められることも少なくない。
おとうさん、一番好きなフルーツは何?
柿。
二番目は?
いちじく。
三番目は?
特にない。
四番目は?
三番がないんだから四番があるわけないだろ。以降ぜんぶ横並び!
毎回これである。だからぼくが柿好きというのは家族の間で周知の事実であって、その他の果物は譲ってもよいが柿だけは譲らないとぼくも公言している。
ちなみに娘はぶどうが何よりも好きで、なのでぼくはだいぶぶどうは娘に譲ってきたつもりである。だから柿のときはお父さんに譲りなさいよと冗談めかしていうのであるが、こと食べ物になるとまるで冗談が通じない。
そんなのずるいよ、だの。お父さん独り占めはだめだよ、だの。挙句の果てにお父さん一人で食べたでしょ、とまで言われる。食べてねーし。そんなことするわけないじゃんとぼくが言うと、怪しいと返す娘。
おいおいゴミ箱覗いたってだめだぞ。お父さん隠蔽するときは徹底的に隠蔽するからな。いや今回は食べてないけれども。娘というのは六歳にしてこれである。こういうの息子にはない資質である。
こういうことを言うといまどきジェンダートークだのなんだの言う輩がいるが、男と女では決定的に違うものは確かに存在する。そしてそれは決して個人の資質ではなく男女の資質である。
さて、ぼくが柿好きなのは以前からであるが、子どもたちもなぜか柿好きになって困っている。少し前はそんなに好き好きランキング上位に柿はなかったはずであるが、あんまりぼくが好き好きいうので子どもたちまで柿好きになってしまった。おかげで四等分に切った柿でさえ奪い合いになる。子どもたちは少しでも大きいものを選ぼうと目を皿のようにして睨んでいる。
ぼくはミスター等分と呼ばれるほど(うそ)均等に切るのに長けている。だが柿が完全な四角形や円形でない以上かならず差異は生じるものだ。その差を子どもたちは見分けようと必死なのである。まことに食い意地がはっている。
ようやく選んだ小さな柿の欠片をあっめーだの、うっめーだの声をあげて頬張っている。ぼくはそんな彼らの姿を見るのがたまらなく好きである。だからといって柿だけは譲れないのである。
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