ちいさな島
子育てについて。思うところ、日記、役に立つかもしれないことなど書いています。
ぼくの撮った写真と考えていること
読んだ本の感想です。
カメラと機材の話を書いています。
腕時計の読み物です。腕時計が好きで時計についての様々なことを綴っています。
ちいさな島(屋号です) ちいさな島について自己紹介させていただきます。 ぼくは動画制作と写真撮影を仕事にしているのでnoteに載せている写真はすべて自前である。だから「写真」で括ってしまうとすべての記事が該当してしまうので、サブジャンル的にマガジンにして分けている。 まずはそれぞれマガジンの特徴をご紹介したい。 写真と日々、考えごと ぼくが普段撮っている写真と、そのとき感じたことを書いています。ここでは機材の話題はなくて、写真そのものを見ていただければと思います。休日
記憶は薄れる。嫌なことも、楽しい思い出も朧気な印象を残して詳細は消えてゆく。 子育てのドタバタはいつも今が一番大変と思っていることの連続である。過ぎ去ってみればああそんなことあったなあくらいなものだ。そのうちにそんなことあったっけになりかねないから覚えているうちに書き留めておきたいと急に思い立った。 最初の子どもが生まれるときはなにもかもわからないことだらけである。育児書の類は気休めにこそなれほとんど役に立たないことを知る。妻も陣痛の度合いがわからないからいよいよかと思って
紅葉というのは要するに枯れていくその過程にすぎない。ひとは悪くなっていくその過程に良さを見出したことで豊かさを得たのだと思う。 例えば熟成という言葉がある。要するに腐っていく過程であるが、その途中にこそ真の美味さを発見したのである。肉や魚の熟成がそうである。腐る一歩手前が一番美味いとされる。 ワインやハード系のチーズも熟成すると美味くなる。要するにあれは酸化なのでワインは酸化しすぎると酢のようになってしまって飲めないがほどよい酸化は出来立てよりも良いものになる。 なんで
料理が趣味である。 料理をしていて一番のストレスは包丁が切れないときである。だからぼくはせっせと包丁を研ぐ。 切れない包丁を使っているひとが実に多い。実家に帰ると包丁のあまりの切れなさ具合に閉口する。 昔は切れない包丁ほど手を切る、と言われたものである。ようするに無駄に力が入って滑って手を切るのだ。ところが最近では切れない包丁に慣れたひとが切れる包丁を使って手を切る。いつもの要領で力を入れたら思いの外スパッと切れて勢い余って手を切るのだとか。そうなってくると言葉も言い換えな
菊芋の花が枯れてひと月経って、そろそろ芋ができたかなと試し掘りしてみたらいい大きさの菊芋が出てきた。 さつまいもと違って全部掘ってしまう必要はなく、必要なときに食べる分だけ掘ればよいのが菊芋である。土の中で貯蔵がきくのだ。見た目は生姜に近いが触ってみると生姜とは明らかに違うことがわかる。 掘りたての新鮮な菊芋は白くてつやがある。これが時間が経つと表面がもっと黄色みを帯びてくる。 よく洗って小さいやつをそのまま口へ放り込む。シャキッシャキッとした歯ごたえがあって、ほとんど
神奈川県がほとんど静岡県と接するところに真鶴半島という小さな半島がある。そこに町があって真鶴町という。その小さな町へ一泊旅行に行ってきた。その旅については改めて詳しく書きたいと思うが、その前に旅の中で立ち寄った小さな書店について書いておきたい。 真鶴町は近年になって移住者が増え始め、道草書店もそのひとつだ。道草書店は夫婦で営んでいる本屋さんで、自伝を出版したのは妻の中村道子さんである。ぼくらが訪れた日は不在で残念ならがお会いすることはできなかった。 ちょうど昼に真鶴駅に到
劇場で公開中noteでも多くの感想文を目にしたルックバックを観た。今月からアマプラで観られるようになったのだ。 たらればを夢想する藤野であるが、それがアニメだろうと結局は夢想の域をでることはなかった。人生において選択における分岐点は無限に存在する。今この一瞬一瞬でもひとは何某かの選択をして、その都度世界は分岐する。ただそのひとつだけをなかったことにしたからといって、すべてが丸く収まるわけではない。 藤野は自分が京本を誘わなければという未来を夢想するが、それはあまりに自己中
「楽園への道」 マリオ・バルガス=リョサ なんだかんだで読み終えるまで半年以上かかってしまった。 画家ゴーギャンとその祖母で労働者の権利獲得運動に人生をかけたフローラの物語である。 なかなか読みにくい本だった。ゴーギャンの人生史のほうはわりとすんなり読めるのであるが、フローラの物語が苦痛だった。なぜなら章を重ねてもただひたすら繰り返し同じ話を聞かされているようだったからである。 もちろん実際はそうではないのであるが、興味が持てないのでつらいのである。 最終的にフローラとゴ
今年の6月に新しいMac Studioが出ると思っていたけど出なかった。 というのも、AppleがM3チップをスキップして突如M4を発表したからであった。 ネットの情報によればM3は製造上の問題を抱えていたとかなんとかで、1年を待たずして新しいCPUが出るのは異例のことだった。 M4搭載のMac Studioは2025年中盤と言われ、あと1年待つのはしんどいなあととてもがっかりしたものである。ぼくはiMac 2017モデルをずっと使っていて、そろそろインテルのCore i7
料理が趣味である。 以前芋ようかん作りに挑戦してイマイチの結果となったので改めて挑戦したい。 作り方は心得ている。あとは適切な配合で作るだけである。 今回も裏ごしせずにフードプロセッサーだけで製作する。 裏ごししない場合さつまいもの繊維が残ってしまうが、まあそのへんはさつまいもの味ということでいいことにする。ぼくはこしあんよりもつぶあん派なので全然気にならないのである。 前回の一番の反省点は砂糖の量が少なすぎたことである。それでただの潰して固めた芋になってしまっていた
三連休最後の休日。七五三の撮影に行ってきました。秋晴れの下、可愛らしい着物や袴姿のちびっこがあちこちにいて癒やされますね。ぼくもお客さまを精一杯撮影してきましたよ。
西武池袋線の下りがこれほど混雑しているのは初めてみた。 それもこれも入間航空祭があるからである。コロナ禍があってなんやかやで数年ぶりの開催らしい。前日の冷たく降った雨はどこへやらの快晴。どんなもんだか行ってみようと家族で行ったら予想以上に楽しかった。 稲荷山公園駅で降りると臨時改札口から入間基地は直結されていて、人波に乗って歩いていると滑走路のほうからキュイーンというジェット機の音が聞こえてきた。 気合いの入った航空ファンは朝9時から陣取っているらしいが、にわかの
さつまいもの切れ端を水につけておいたら芽がでた。そしてすごい勢いでぐんぐんと成長している。芋は栄養の宝庫なのだ。 一方花瓶に挿した茎のほうはあまり伸びなくなってきた。水だけで成長できる限界を迎えたのかもしれない。こちらはそろそろ土に植えてやろうと思う。 こうした苗を来年の5月まで生かすことができたらまた美味しいさつまいもが生るのだけど果たして厳しい冬を越せるのだろうか。
料理が趣味である。 畑で大量に採れたさつまいもをほぼ毎日食べているがさすがに焼き芋も飽きてきた。 よしここはひとつ新しい領域にチャレンジしてみようという気持ちになって芋ようかんを作ることにした。 作り方はいたって簡単である。裏ごしすれば間違いないが面倒くさいのでフードプロセッサーでいく。作り方は簡単だが初めてなので色々とうまくいかないものである。今回は勉強と割り切ってここで得た経験を次回につなげよう。 型にいれて一晩冷蔵庫でかためてとりだした。うんうん見た目は良さそう
娘は学童でいろんな折り紙を折ってくる。 今日も迎えに行ったらピアノをくれた。こんな調子でぼくの机は折り紙だらけになる。 ときどき黙って粛清していると、 あれ?あの折り紙どこやった?捨てたでしょ! となかなかするどい。 今度は捨てないでねとまた念を押された。 ある日、娘はぼくに唐突に言った。 お父さんってほんとひどいよね。 え、なんで? だってさあ。お父さん手紙を書いても返事くれないじゃん。 娘は折り紙もくれるが手紙もせっせとくれるのである。例のお父さん
夕方になってもやまない雨。 仕方がないから傘さして歩いていったお迎え。 雨なのに頭上はぴーぎゃーぴーぎゃーやかましく、電線にびっしりムクドリたちが集結していた。おいおいカメラなんて持ってないよ。ぼくはスマホを取り出して傘を肩に乗せて写真を撮った。 ムクドリたちは今写真を撮っている場所と送電線の鉄塔の二手に分かれて集まっていて、どちらのグループに属するのかどうやって決まっているのだろう。鉄塔の方は高すぎてスマホを向けたけれども鳥たちは点々にしか見えなかった。 娘を連れて