最後まで読みましたか?「雪国」
雪国を最初に読んだのは2000年始めのことだからもう20年も昔のことである。そして内容はまるで覚えていなかったから再読だけど初めてみたいなもんだ。
暖かい日に冬の本を読むのも悪くない。だけど別に涼しくなったりもしない。雪国が舞台だが春もあれば夏も秋もある。割合としては冬7割、その他3割といったところか。あとがきで本作はなんども継ぎ足し継ぎ足しで書いたのでまとまりに欠けるとあってなるほどそういうことかと納得する。
主人公の島村は親の遺産で食っていて、やはり小説の主人公というのは二十四時間フリーでないと難しいのかなと思ったりする。妻子はあるが、遠い雪国の温泉地で芸者と暮らしていたりする。
川端康成は三島由紀夫より年上だったという理由でノーベル賞を受賞する。財団は三島に上げたいと思ったらしいが、日本の年功序列に忖度してまず川端に、そして三島にと考えたらしい。三島は結局あんなことになっちゃって貰わず仕舞いになって、巻末の年表をみたら川端康成も70過ぎて自殺していることを知った。傍から見れば満ち足りた人生も本人が足らないと思ってしまえばいくらあっても足らないのだ。
雪国は冒頭の「トンネルを抜けると」があまりにも有名になってしまって、だけどその先を読んだことがあるひとがどのくらいあるのかしらん。もっとも薄い本だから例えば冒頭のマドレーヌは知っていてもその先を読んでいないひとがたくさんいるに違いないマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」に比べれば相当読まれたに決まっている。
芸者の駒子と声のきれいな葉子という女性が二人でてくる。駒子は葉子はいつか気が違うと言っていてそう言われるとたしかにすこし狂信的な動作が感じないわけでもないが、次第に世俗化されていく駒子よりもいつまでも透き通った声が響く葉子にぼくは惹かれる。
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