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反抗と甘え

一歳過ぎると始まるイヤイヤ期は、収束することなくそのまま反抗期へとつながる。ただ呼び名が変わるだけで、親に休む暇を与えない。
 
小学四年生の息子は、ああ言えばこう言うし、屁理屈をこねるし、天邪鬼な返答をするし、おまけにハァ?などと発音する。
 
もう完全にぶっ飛ばし案件であるが、そこをぐっと堪えて言葉で諭すと、最初は威勢よく言い返してきて、それでこちらも頭に来まくっちゃうから語気を強めて追求すれば、必殺馬耳東風モードに入りやがる。
 
かようにして、腹ただしいことこのうえなし。端的に言えば、ムカつくのである。
 
そんな息子であるが、甘えたい欲求も非常に強い。妹と同等或いはそれ以上を求めるわけで、それなら反抗などしなさんなと思うし、実際にそう言ったこともあるが全く通じない。
 
というのも、おそらく彼にとって反抗とは甘え表現のひとつであるからだろう。しかしこちらにしてみれば、それは断じて違うと言いたい。反抗心を示されて、よしよしお前も甘えが足りないんだなと思えるほどこちらも人間が出来ていないからである。
 
ぼくは息子に言ったことがある。
そういう態度をとりながら一方で可愛がってもらおうとするのは無理がある。なぜならこちらも人間だからだ!
 
もちろんそんなことを言ったところで息子が楯突かなくなったりは、しない。だから言うだけ無駄なのである。無駄なんだけれども、こちらも頭に来てるからなにか言わないと気がすまなくなっているのです。
 
はっきり言って、子どもの屁理屈や揚げ足取りほどムカつく案件はなかなかない。なぜ腹が立つのかと言えば、それが自分の子どもだからである。つまり見捨てることができないからである。他人の子ならしーらんぺで無視すればすむことである。関係ないねと思えばいい話である。
 
問題がある。
それは子どもの問題ではなく、ぼく自身の問題である。
どうしても広い心をもってゆったりと接することができないのである。我ながら狭量だなと思うが、腹立ちを抑えて「いやあキミの言い分もわかるよ。まあこっちへ来てせんべいでも食いねえ」と言えないのである。おそらく、この一言が大事なのではないかと思っているし、ぼくの脳内シミュレーションでは新しい展開が期待できると出ている。が、しかし、未だもって言えた試しがない。親として、人間としての修行が足りないのだ。マスターヨーダもため息をついている。
 
かくして息子の心に寒風が吹きすさぶ。こころは穴のあいた50メートルプールで、決して愛情が満たされることがない。足りない気持ちは反抗心を湧き起こし、厳しさを攻撃ととらえ、安易さに取り憑かれてゆく。安易はダークサイドである。果たしてパダワンはこころを保てるか。それにはまずぼくが成長しなければという結論。

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