レミさんを見るたび 愛しさの先にある悲しみを思う
「和田さんが肺炎で」との知らせには
当時私も衝撃を受けました。
いや、あの底抜けに明るいレミさんを対象とするのに こんなタイトルや書き出しはないなと思ったものの、他のイラストを描きながら数日経っても別の何かは浮かばない。
と言うより心が抗う。
だってこの二人を描きながら
何度泣きかけた事か。
レミさんの心を案じたあの日から 時は流れ
あけっぴろげで飾らない明るさと天性の純粋さが相まった人柄は 以前と変わらないように映るけれど、和田さんを語る姿から伝わる寂しさや悲しさは 少しも減る事がないようで
底なしに愛情を注げる対象を得た喜びの先に、必ずやってくる別れには
いったいどう向き合えばいいんだろう。
戦いや天変地異によって 世界中で絶え間なく流される涙を見れば
また別の想いも加わり
ただただ祈るように、私は線を引いていました。
平野レミさんは、料理研究家として知られているものの(自称料理愛好家)キャラが立っていて 家族も著名な方ばかりと、有名タレント的な立ち位置になって久しいですよね。
私は正直なところレミさんのレシピは何か一つ作ったことがあるくらいですが、 濁りのない魂のまま何故あの界隈にいられるのかと思いつつ その姿を追ってきて、結果どれだけ元気をもらったか知れません。
俗世的には レミパンとか もちろん料理本も数えきれないほど出し、一応アナウンスはしても 特に儲ける気はなさそうで
COVIDによる緊急事態宣言で外出自粛が促されていた時、400万回を超えて再生された料理動画では
すっぴん顔を手作りお面で見え隠れさせてたくらい飾り気もなく
誰と話そうが何も変わらず 朗らか元気。
その ” うちわ的手作りお面 " は 以降も使っていたようなので
今回はその感じをメインとして描く事にしたのです。
” 和田さんが 自身のタッチで描いた和田さん本人 ”
の模写と(ややこしいですかね)
それに合わせたタッチのレミさん
レミパン・代表レシピのブロッコリーなどを
合わせ
もしレミさんが、賑やかに集めた
この一瞬を目にすることがあったなら
少しでもあたたかな気持ちになって欲しい。
そんな一心で描きました。
私も尊敬の念を抱く 日本を代表するイラストレーターでありグラフィックデザイナーでもある ” 和田誠 ” その人の描き出す世界感は、他に代え難いものだと思います。
多様なクリエイティブワークに携わり、その多才さには驚くばかりですが
なかでもシンプルな線に心和むテイストのイラストで、今なお多くの人を魅了しているその和田さん自身は、一瞬でレミさんに魅了され、生涯変わる事はなかったんですよね。
レミさんは愛情深いお父様の話を度々されてきたけれど、そこに育まれた邪気のない魂はまた 同様のものを引き寄せ
そしてまた引き継がれて行くんでしょうか。
レミさんのように
人が喜んでくれる事が何より嬉しい人がたくさんいたなら。
いまや話題の中心にいる芸人のやす子さんも、かつて自身が語っていたように途切れるのを恐れて仕事を受け続けていた部分もあったけれど、いつしか人に喜んでもらえる事の方が上回っていったのでしょう。
やはり不遇なと言うより、過酷とも思える子供時代を過ごしてきたアインシュタインの河井ゆずるさんは施設への寄付を続け、あのひろゆきさんは、施設への寄付を呼び掛ける活動や被災地への寄付なども続けているそうで
それは彼等がそれぞれに抱く社会問題への対処であり、人が喜ぶ姿に自分を重ねているようにも思うのは
そうですね、私の感想ではあります。
寄付に限らず、世の中には偽善という言葉を持ち出す向きもありますが
それは偽善と言う人自身の善に対する偽り、つまりごまかしなんじゃないかと思うんですよ。
私は性善説でも性悪説でもなく
そして何であれ、常に揺れ動くグラデーションの中に在ると考えています。
留まり続けたり 大きく振れたり
その中で
誰もが全てに関わっているんだと。
大小に関わらず何か事が起きた時、それぞれが口角泡を飛ばし
なぜ収まらないと首をひねるのもごまかしだと
本当は誰もが思ってるか、薄々気付いてるんですよね。
規制や処罰だけ論じていても 対処できないのは
体の至る所で問題が起きているのに、生活改善や手術を考える事なく一時的に薬で抑えたり、ごく浅いカウンセリングだけで済ませようとするのと同じはずだから
グラデーションの位置をずらしていくにはどうすれば良いのか
無理とか言わず、根本から考えざるを得ませんよね。
寄付に戻して話を広げれば、
他国で寄付文化が定着しているのは税金が絡んでいるからとはよく聞くけれど、富裕層に積極的なアポイントを取って寄付を募る団体もあり
妬みや思い込みを捨て、富の再分配の新たな方法を探るのも、世界が行き詰まらないよう考えたい事の一つであるのは間違いないでしょう。
先々に繋がる幸せを 過半数の人が真に考えた時
未来は逆転するのかもしれませんが
いかにSDGsが叫ばれようが 行きつ戻りつ容易に進まない世の中を見れば、それは相当に難しく
一人一人が足るを知り、一つ一つの行動がこの先にどう繋がるのかを考えない限り、下降スピードは加速するばかりに思えます。
“ 楽 (らく) " は、必ずしも先々の楽しさに繋がるものでもないはず。
有名なマシュマロ実験でいうところのマシュマロを待てず
また一方で” 我が我が " が横行するこの世の中。
「楽しい」といった自分に対してポジティブに働く事象は
果たして多くの人にとっても同様で、且つ先へ続くものなのか
自分に対しても、繰り返し問い続けたいと思います。
そして「それぐらい」という言葉を
自身の尺度で安易に持ち出さないように。
ここで終えるつもりだったんですが
先日取り上げたばかりの「堀潤モーニングFLAG」が 夕方6時に移動するとの告知があり、しかも「激論サミット」は惜しまれながら終えるバラダンの時間帯に移るようで、一般には”昇格”なんて報じられてるけどしっくりこない感じもしますし
MXについてここしばらく囁かれているような内情の本当のところは何も知りませんが、堀さんの意向はと気になります。
テレ東の「正解の無いクイズ」も急にテイストを変えてきて、ビジネス寄りの新たな相似番組と区別したいのかとちょっとモヤモヤしてたけど、本気を出してきた感じもあり
テレビに向き合い始めてこれからというのに とは、個人的な気がかりでしかないんだけれど、改変期の先に果たしてどうなるんだろう。
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