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なぜ私がこどもホスピスを応援したいと思うのか

noteを始めてから一年が経ちました。私がnoteを始めたきっかけは、何度か書いていますが「こどもホスピス」のことを知ったことが大きいです。
先日「横浜こどもホスピス~うみとそらのおうち」に密着した番組を視聴したこともあり、「なぜ私がこどもホスピスを応援したいと思うのか」改めて自分の過去も少し振り返りながら考えてみようと思いました。

私は小学5年生から中学3年生までのほとんどを病院で過ごし、中学3年生の2学期から卒業までを病院と支援学校が一緒になっている施設で過ごしました。
30年以上前、私が入院していた小児科病棟ではテレビはプレイルームに1台のみで視聴時間が決められていました(個室には徐々にテレビが導入されていました)。入院中にできる楽しみと言えば、ほとんどがベッドの上で本を読むか音楽を聞くことだけでした。そして出会う人も交流する人も病院という限られた空間だけです。学校からも社会からも孤立した状態です。それは外泊や退院した時にとても痛感したことです。

「病院は病気を治療するところであり、治療に専念するところ」であることは間違いありませんが、「学びと遊び」がとても大切な子どもの成長期に「痛みを我慢すること、治療に耐えることしかできず、子どもらしい時間を過ごせないこと」はとても悲しいことで、その後の人生にも多少なりとも影響があると思っています。治療が長期に渡る場合には、心理的なフォローはとても大切です。

「こどもホスピス」を利用する子ども達は命に関わる重い病気を抱えていて、残された命が僅かな子どももいます。そして患者である子どもだけではなくその家族もまた一緒に闘っていて、日々の生活もその子どもに注がれています。家族みんなが笑顔になれる時間を過ごすことは、楽しかった思い出としてその後の家族にとっても生きる原動力に繋がると思います。
記憶に残るのは悲しいこと辛いことだけではなく、子どもの笑顔であり子どもの笑い声であり、そして子どもがやりたかったことを思いっきりできたことであってほしいと思っています。それを叶えてくれる「こどもホスピス」を私はこれからも応援していきたいです。

最後に。コロナ禍で失われた3年ということがよく言われています。
多くの人が今まで経験したことのないことに戸惑い、生活様式にも様々な変化がありました。我慢を強いられ、悲しい思いをすることもあったと思います。でも改めて日々の生活や生きることについて考えることも増えたのではないでしょうか。
当たり前と思っていることは当たり前ではないからこそ、できることをできるときに精一杯していきたいです。


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