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どんな自分もOKにする♪躁鬱編 self compassion②
昨日は「高IQ」を例にあげたけど、
https://note.com/chieko_chz/n/n06c4d10b1903
今日は「躁鬱気質」を例にあげたいと思う。
高校1年生の時、
体育の授業でバドミントンをしてた。
楽しくて楽しくて楽しくて、
楽しくて楽しくて楽しくて、
飛べると思った。
本当に(笑)
なんでもできる、ってゆうハイ状態だった。
コート内の可動範囲も笑い声の高さも、
たぶん異常だった(笑)
そして、脳内で、ふわっと気づいた。
いまでもその瞬間のことを覚えてる。
「あれ?みんなは、こうならないの…?」
「なんか、わたし、変…?」
それから、両極は少しずつ大きくなって、
「悩み」になっていった。
期間によってテンションの落差がありすぎて、
わけがわからなかった。
ほんのちょっとしたことで、
コインの表裏がひっくり返る瞬間が来る。
躁状態のときのわたしは、好きだった。
だって、まわりの友達が、
「ちえこ、楽し〜い♪」「ちえこ、超面白〜い♪」
って、言ってくれるから。
自分のことを、「OK」て、できてた。
自分は万能だと思うし、
私にできないことは何もない、
というマインドになるから、
全てが楽しかった。
でも、鬱状態のときのわたしは大嫌いだった。
世界が全部、一瞬にして、灰色に見える期間。
それは急にやってきて、数日続く。
いつ終わるのか、分からなくて、
いつも永遠に感じる。
もう戻れないのかもしれない、という恐怖。
視覚的にはいろんな色が見えてるんだと思うけど、
本当に、灰色しか見えないと感じてた。
なにより自分が1番、まったく楽しくないし、
なにもしたくない。とゆうか、できない、に近い。
その自分を受け入れることができなかった。
そして「楽しくない私」はもっと”ダメ”だった。
小さい頃から人を笑わせるのが好きで、
それができない自分には、価値がないと思った。
だから当時のわたしからすると、
自分に起きている現象よりも、
自分を大切にすることよりも、
人にどう映るかのほうが断然重要で、
本当は、世界が灰色に見えてて気力が無いのに、
本当は、ほとんどベッドから起き上がれないのに、
家族にバレないように、友達にバレないように、
頑張って、学校に行って、”楽しい感じ”を必死で装ってた。
いま考えると、
ものすごいエネルギーをつかってたな、と思う。
人は、悩めば悩むほど、その悩みが大きくなる。
文字通り、大学生になる頃には、
ものすごい「悩み」になってた。
もう、隠せないくらいになってた。
どんどん両極は大きくなった。
いった何が起きてるのか、
インターネットで調べてみた。
「躁鬱(そううつ)病」を見つけた。
書いてある特徴が、そのまんまだ…。と思った。
(いまでは双極性障害だったのかなとも思うけど。)
けど、勝ち気なわたしは、
病院に行ったら終わりだ、と思った(笑)
なんか負けを認めるような気がして、
病院には行けなかった。
「はいそうです、あなた躁鬱病です。」って、
医者にいわれたら、
ほんとに病人になっちゃうじゃん!!と思った。
そして大学生3年生になり、
その頃トガっていた私は、
「こんな大学にいたらマジで腐る。」
と思ってた(笑)
小学校の先生になるためのカリキュラムで、
国語・算数・理科・社会・
体育・図工・音楽・家庭科・道徳…
全部あった。
わたしは、音楽のみ、やりたいのに。
歌のレッスンは2、3週間に1回だけ。
先生になりたい人が集まる大学は、
ほぼ「いい子」しかいなかったから、
財布を落としても絶対、
手元に帰ってくるような大学だった。
家庭科の授業なんて最悪で、
教授の書いた分厚い本を買わされて、
(しかも内容がほとんど無いのに結構高い)
それを読んでるだけの授業。
アホ過ぎて話になんない。と思った。
最後列で出席票だけ書いて楽譜を読んでた。
でも、ひとつだけ、最高の授業があった…!!
「哲学」の授業だった。
先生はやる気に満ち溢れた若い先生だった。
わたしもその授業だけは、一変して、
最前列確保、やる気ある真面目な生徒だった。
「自分とは何か」について、
レポート用紙に書いてきてください。
そんな授業が大好きだった(笑)
先生と仲良くなって、
ある日、仲間数人と飲みに行った。
みんなが恋愛相談をしてる中、わたしは、
最大の「悩み」を打ち明けることにした。
先生、わたし、躁鬱病かもしれない。
すべてが楽しくてハイになる期間と、
世界が灰色になってすべてが停止する期間、
両方が極端で、困ってます…。
どうすればいいと思いますか…?
泣きながら話したかもしれない。
それほど、当時は悩んでた。
そして、わたしに対して、
先生の放った一言が…
世界一最高だった…!!
つづく