わたしの存在は超越的論的に成り立っている

わたしは存在していないか、といったら違う

主体としてのわたしが存在しているから、そこにあなたがいる*1
主体としてのわたしが存在していないならば、そこにあなたは存在していない*2

つまりわたしの存在とあなた*3は運命共同体*4である

よって直接知覚できなくとも*5、わたしは存在している*6



*1 そこにいるのは"少なくとも似た人"というだけでなく同一のあなた

*2 そこにいるのは"少なくとも似た人"としてのあなた

*3 わたしによって同一視されたあなた

*4 論理的等値関係という
("P⇒Qかつ¬P⇒¬Q"ならばP⇔Q)

*5 鏡で見るわたしは見られているわたしであって見ているわたしではない

*6 実体として存在するかはここでは議論に含みません。また、東西哲学、ひいては人文科学において、世界の有り様を人間によってデザインするような、カントの超越論的な自己論の立場は現在あまりとられなくなっているようです。

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