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コフートの自己愛論:傷つきやすい自己とその癒し
「自己愛」と聞くと、どんなイメージが浮かぶでしょうか?
自己中心的、傲慢、自分勝手――こうした否定的なニュアンスが一般的かもしれません。
しかし、精神分析家 ハインツ・コフート(Heinz Kohut, 1913-1981) は、自己愛を単なる自己中心性ではなく、人間が成長し、精神的な健康を保つために必要なものと捉えました。彼の理論は 「自己心理学(Self Psychology)」 と呼ばれ、自己愛の本質を深く探求しています。
今回は、コフートの自己愛論をわかりやすく紐解きながら、「なぜ私たちは自己愛を必要とするのか?」を考えてみたいと思います。
1. コフートの「自己」概念:なぜ自己愛が大切なのか?
コフートの最大の関心は 「自己(Self)」 という概念でした。
彼は、自己が安定し、まとまりのある状態を保つことが人間にとって重要だと考えました。
しかし、自己は生まれつき完成されたものではなく、 環境との相互作用の中で形作られる とコフートは言います。特に、幼少期の親(養育者)との関係が、自己の形成に大きな影響を与えると考えました。
例えば、子どもが「すごいね!」「よくがんばったね!」と認められることで、「自分は価値のある存在だ」と感じるようになります。こうした体験が積み重なることで、 安定した自己愛(健全な自己感覚) が育つのです。
2. コフートの「自己対象(Selfobject)」概念:人はなぜ他者を求めるのか?
コフートは、自己の成長には 「自己対象(Selfobject)」 の存在が不可欠だと考えました。
自己対象とは、 自己を支え、肯定し、安心感を与えてくれる他者 のことです。
例えば、以下のような経験を思い出してみてください。
• 落ち込んでいるときに、誰かが「大丈夫だよ」と優しく声をかけてくれた
• 頑張ったことを誰かが認めてくれたときに、嬉しさと安心感を覚えた
こうした経験は、 「自分はここにいていいんだ」 という感覚を育みます。
私たちは無意識のうちに自己対象を求め、自己を支える存在を必要としているのです。
特に、子ども時代には親が最も重要な自己対象 となります。
しかし、大人になっても、私たちは友人、恋人、パートナー、師匠、職場の上司などを自己対象として求め続けます。
3. 自己愛の発達:3つの自己対象体験
コフートは、自己が成長する過程で、以下の 3つの自己対象体験 が重要だと考えました。
1. 鏡映自己対象(Mirroring Selfobject)
• 他者が自分の価値を認め、共感し、称賛してくれること。
• 例:「よく頑張ったね!」と言われたときの喜び。
2. 理想化自己対象(Idealizing Selfobject)
• 自分が理想とする存在に共感し、つながりを感じること。
• 例:尊敬する師匠や先輩に憧れ、その存在を通じて自分を強く感じる。
3. 双子自己対象(Twinship Selfobject)
• 自分と似た存在がいることで安心感を得ること。
• 例:価値観の合う友人や同僚と話していると「自分はひとりじゃない」と思える。
これらの自己対象体験が十分に満たされることで、自己愛は健全に育ちます。
逆に、不十分だと 「傷ついた自己愛(Narcissistic Injury)」 が生じ、自己が不安定になってしまうのです。
4. 「傷ついた自己愛」とその影響:なぜ私たちは苦しむのか?
コフートは、多くの人が 「傷ついた自己愛」 を抱えていると考えました。
これは、幼少期に十分な自己対象体験が得られなかったり、成長の過程で自己が脆弱になったりすることで生じます。
例えば、以下のような経験は、自己愛を傷つける可能性があります。
• 幼少期に親が自分の気持ちを理解してくれなかった
• 成果を出さないと愛されないと感じた
• 失敗したときに厳しく批判され、自分の存在を肯定できなくなった
これらの傷が残ると、「自分には価値がないのではないか?」という不安が生じます。
その結果、次のような状態になることがあります。
• 過剰な承認欲求(他者からの評価を必要以上に求める)
• 過剰な自己批判(「自分はダメだ」と思い込みやすい)
• 他者への攻撃(自分を守るために他者を見下す)
これらは 自己を安定させるための防衛的な行動 であり、表面的には自己愛が強いように見えても、実は自己の脆弱さを隠していることが多いのです。
5. コフートの治療論:自己を癒すためには?
では、自己愛が傷ついた場合、どのように癒せばよいのでしょうか?
コフートは、心理療法において 「共感的な関係性」 を通じて自己を回復できると考えました。
治療の中で、クライエントがセラピストに対して 「自己対象転移」 を起こし、以下のような経験をすることで、自己の統合が進むとされています。
• 鏡映転移:「私のことをちゃんと見てくれている」
• 理想化転移:「この人を通して、私も安心できる」
• 双子転移:「自分を理解してくれる存在がいる」
これは、日常生活の中でも応用できます。
共感的な人間関係を築くこと で、自己は徐々に癒され、安定を取り戻していきます。
6. まとめ:自己愛を大切にするということ
コフートの自己愛論は、「自己愛は決して悪いものではない」というメッセージを伝えています。
自己愛は人間が成長し、安定した自己を保つために不可欠なものなのです。
そして、それを支えるのが 「自己対象」 という存在。
私たちは互いに支え合いながら、自己を成長させ、癒し合うことができます。
「自己愛が強すぎる」と感じるときも、逆に「自己愛が足りない」と感じるときも、
それは「どこかで自己が傷ついているサイン」かもしれません。
そんなときは、自分に優しく、そして共感してくれる存在を大切にしてみてください。
それこそが、自己を癒し、強くする第一歩なのです。
カウンセリングオフィス「凪」では精神分析的心理療法を行なっています。