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15年前、彦根に行った(前編)

ボンチノタミ、ジョーカーです。

以前、関ヶ原の話でも触れたのですが、学生時代に青春18きっぷでお城を巡ったりしていました。

関ヶ原に行ったその年の夏、滋賀県に行きました。2007年、夏。
彦根城
佐和山城址をメインに、近江周辺のお城や史跡を巡れたらいいな~という旅でした。
正直、関ヶ原に行ったあと「戦国無双2」を改めてプレイし直してテンションがめちゃくちゃ上がってしまったというのが要因のひとつです。好きなんだよ無双。
ちょうど彦根城築城400年ということで、彦根はひこにゃんフィーバー真っ只中だった頃です。

ひこにゃん
めちゃくちゃかわいい

当時の日記で記憶を掘り起こしながら、主に写真で振り返ってみたいと思います。


旅行日程ハイライト

東海本線で京都へ行き、まずは1日京都観光。
その後、小谷城址長浜城石田三成出生地を巡り、翌日は安土へ。
そしていろいろあってメインの彦根佐和山へ、という流れでした。
京都は今回は割愛いたしまして、小谷~安土をハイライトでお届けします。

小谷城

近江塩津で乗り継ぎをミスり、30分待ちが1時間半待ちになって泣きそうになるところから始まります。
そして河毛へ。

河毛駅前
浅井長政・お市の方の像

小谷城といえば浅井長政お市の方ですね。

あそこに小谷城址があるぞ!
というのが遠目でもよくわかります

乗り継ぎのミスなんてまだかわいいもんでした。
本当の悲しみはここから。

「ようこそ小谷城へ」からの
「通行を禁止します」コンボ

松くい虫被害木の伐倒作業か~じゃあしょうがないよね。
ということで、小谷城址は見られませんでした。

長浜城

気を取り直して長浜駅へ。

長浜駅のステンドグラスおしゃれ
豊臣秀吉と石田三成の出逢いの像

長浜駅前にある豊臣秀吉と石田三成の像。
あの有名な「三献茶」のシーンですね。

~「三献茶」のおはなし~

近江長浜城主であった秀吉は、鷹狩の途中にある寺を訪れ、茶を所望した。

寺の少年が持ってきたのは、大きめの茶碗にたっぷり入ったぬるめのお茶
鷹狩で喉が渇ききっていた秀吉は、そのお茶を一気に飲みきった。
秀吉はもう一服、とおかわりを所望。

二杯目は、一杯目より小さめの茶碗に半分ほどの量で、やや熱めのお茶
秀吉はそれを飲み干し、もう一服命じる。

三杯目の茶碗は高価で小さな茶碗に量はほんの僅か、舌を火傷しそうなほど熱いお茶。

一杯目は喉の渇きを潤すために飲みやすい温度のお茶を多めに。
二杯目、三杯目で徐々に湯を熱くし量も少なくしていくことで、よりお茶を味わうことができるように。

秀吉は気配りのできるこの少年のをいたく気に入り長浜城へと連れ帰る。
この少年こそ、後の石田治部少輔三成である。  

この「三献茶」のエピソードが実話なのか創作なのかは別として、石田三成のそういうところを、秀吉は気に入っていたということなんでしょうね。

長浜城(長浜城歴史博物館)

中は歴史博物館です。

石田三成出生地

続いてバスに乗って石田三成出生地へ。

長浜駅からバスで石田へ

当時の日記。

・石田三成出生地
思い付き。どうせここまで来たんなら、三成の産まれたとこくらい見てこうぜ~みたいなノリで。
資料館は午前で終わってるのわかってたから、写真だけ撮りまくって帰ろと思ってたんだ。
したら、たまたま地元のおばちゃんと世間話みたいになって、おばちゃんが「資料館の人呼んであげるから待ってて」
地元のおじさんとかかやってるらしく、おばちゃんが電話して呼んでくれました……なんてありがたい!!
中見てよかったーおじさんの説明も聞けたし色々コアな話もできたし、本当に地元の方々の優しさに感謝でした。
しかもおじさんが、バス停でバス待ち1時間くらいずっと付き合ってくれた。

旅先の出逢いって大事だよね。
と今回も実感。

当時の日記より、若干修正あり

悲しいことのあとには嬉しいこともあるのです。だから旅は楽しい。

最寄りは湖国バス「石田」バス停
バス待ちしながらいろいろお話した思い出

この、資料館の方、たしか能面師さんだったと思います。名刺を探せば出てくるかな。たぶん、まだどこかにしまってあるはず。

こんなところにも三献茶エピソード
石田会館
中は石田三成資料館になっています
石田三成の辞世の句
「三椀」て書いてある
突然の西郷隆盛
大一大万大吉の下に「便所」って書いてあるの、
なんかシュールだなって思って

石田三成出生地に足を運ばれる際には、石田会館だけでなく、供養塔や石田神社もぜひ見て行ってください。

あのとき優しくしてくださった皆さん、お元気だろうか。
その節は本当にお世話になりました。

この日の夜は、確か「七本槍」を飲みながら釜飯を食べた覚えがあります。美味しかった。

安土城・観音寺城

その日は近江八幡に宿を取り、ビジネスホテルのフロントのおじさんに翌日の旅程についてアドバイスをもらうなどするうちに、こうなる。

フロントのおっちゃんに明日のルート相談してみたら、なんと明日安土まで車で送ってくれるとのこと。
しかも、色々話し込んでるうちに、じゃあこれもしてあげるよみたいな感じでなんかもう色々と感謝。

当時の日記より、若干修正あり

結局、翌朝安土駅まで送ってもらった上にいろいろと今後のルートや乗り換えのアドバイスもしてくれました。その節はお世話になりました。ありがとうございました。
(※この場合は完全にご厚意でしたが、危ないので知らない誰かの車に乗せてもらうような行為はやめましょう。厚意と見せかけて悪いことをする人もいるので気を付けてください)

その日の日記。まずは安土城から。

一日中山登りしてました。
いや、ほんと、きぬがさ山でマジで遭難するかと思った。

・安土城址
とにかく石段を登ります。
一段がでかいから大変なんだよ!
けど石段が上にずーっと伸びているのは壮観。
天守跡からの眺め、聰見寺跡からの眺めがいい。
三重塔は近くで見て大きくて圧倒されましたわ。
1時間コースだったので、まぁ1時間から1時間半くらいで回ってきました。
登るの大変だったけど、今思うと全然序の口でしたわ……。
また行ってみたい。

・信長の館
安土城の天主(守)を再現したでかーい模型がどーんとあります。
ちっちゃい博物館……というかそんな感じ。

当時の日記より、若干修正あり
安土駅周辺
駅前には当然、織田信長公がいらっしゃいます
安土城址の石階段を登り続けていると
たまにこうやってカウントダウンしてくれる
「あと一息頑張って」
頑張る
石階段に突如現れる石仏、結構ビビる

安土城の石階段には、ところどころ石仏が使われているので見て欲しい。信長の城って感じがする。(※個人の感想です)

信長の館

あと、資料館とかも行きました。大抵、城と資料館や博物館というのをセットで見るのが定番ですね。

さて、ここからが前述の日記の「一日中山登りしてました。いや、ほんと、きぬがさ山でマジで遭難するかと思った。」の本番です。
なんであんなにしんどい山道を歩いたのか、未だに謎。

・桑實寺
信長ゆかりの寺らしいですが。
とりあえず、ここに登るまでがまずしんどい。
更に、ここからハイキングコースというのを30分くらい登ると観音寺城址に行けますが、はっきり言ってハイキングコースなんてもんじゃない!!!
マジで遭難するんじゃないかと思った。
そのくらい辛いし不安でしたよ……。
観音寺城址に行かれる方、こちらは避けるべきです。

・観音寺城址
もう早く人のいるとこ(観音正寺)まで行きたくて、ゆっくり見る間もあまりなく。本丸跡は見てきましたが。

・観音正寺
眺めがすごくいい!!
辛くても登りきってよかった。
こちらは林道から来るとすぐそこまで車で来られるので(途中500円くらい取られるけど)観音寺城址に行くならこちらから行くのがいいと思います。
ちなみに帰りはその林道を歩いて50分くらいで下りました。
そんなわけで、標高433mのきぬがさ山(漢字が出ない)頂上近くまで、悪路を歩きに歩いて登りきってきましたよ。
登り始めから下りきるまで3時間くらいかかったかな……。

当時の日記より、若干修正あり
桑實寺
観音寺城址に行く途中で遭難するかと思った
道がないどころか倒木が行く手を阻んでいる
本当にどこを歩いているのかわからなかった
本当にたどり着くのかと不安になっていたところで
あったね
あったよ
目の前に建物が現れてほっとした
頑張って登ったなあ

この日の夜は貧乏旅行のくせにちょっと奮発して近江牛を食べました。

近江牛のステーキ

美味しかったです。バックパッカーの学生が入っていいお店だったのだろうか。美味しかったです。

まだ彦根にたどり着いておりませんが、今回はここまで。前置きが長くてすまない……。

後編はようやく彦根佐和山の話です。


後編はこちら。


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