ASLAN

20才で結婚、その後出産・離婚を経験し、ひとり親家庭でどん底の時には生活保護も。 それでも今は笑って暮らせる毎日。 何かにつまずいた時でも生きやすくなるように、経験から得た知恵やヒントを幸せに紐づけて、どこかの誰かに届くように発信したいと思っています。

ASLAN

20才で結婚、その後出産・離婚を経験し、ひとり親家庭でどん底の時には生活保護も。 それでも今は笑って暮らせる毎日。 何かにつまずいた時でも生きやすくなるように、経験から得た知恵やヒントを幸せに紐づけて、どこかの誰かに届くように発信したいと思っています。

最近の記事

好きなものに囲まれて暮らすってそんなに簡単じゃない

【理想の暮らし】 理想の暮らしってなんだろう? わたしは若い時からずっと長いこと 理想の家のイメージがあって イラストに描いては眺めて まるでそこに住んでいる気分を味わったもの 何度も何度もことあるごとに 庭がある平家の白い小さな家 レンガ造りの天井が高い家 海を目の前にしたテラスのある家 森の中の湖のほとりの家 時代により変化したり戻ったりしたけれど 変わらないのは庭があること キッチンから香る甘い焼き菓子の香りのなか 庭でお茶をするのが理想だった 芝生にころがりまわ

    • リストラで学んだこと

      パンデミックから半年…なんていう記事からさらに遠のくこと1年半 ありがたいことに体調も精神的にも元気に コロナ禍とはいえ忙しく過ごしていたのですが この数日、昔のことが突然脳裏をよぎることがあり (多分夢に忘れていた古い知人がでてきたから?) そういえばあんなこともあったんだなぁ… あのときはどうやって乗り切ったんだっけ。 というわけで、記憶の引き出しを整理するために記述します。 人生で2度も会社をクビになった私 いや、離婚もクビのひとつと数えたら3度?笑 そう考える

      • 優しさについての散文

        なんだかあわただしく過ごしていたら、あっという間に1ヵ月以上ここから遠ざかってしまった。 そして どうやらコロナの第2波というニュース そもそもコロナが世界をざわつかせてから、もう半年。 私たちは、自分と根本から向き合わないといけなんだろうな 様々なニュースに触れるたび ふと思う。 コロナに限らずなんだけれど、どうしても周りとの違和感を感じる。 例えばマスク 過度に心配しすぎだ!マスクは必要ない いやマナーとして絶対にすべき マスクでウィルスは防げない

        • EQ

          こころの知能指数 そう表現されて広まってから、すでに十数年経ちました。 実はわたし、このEQがとんでもなく高かったらしいのですが、最近生きずらさを感じるときに、これのせいかな?と思う事しばしば。 EQが日本で広められて間もないころに、私の勤めていた会社では、EQ研修なるものがありました。 その時のEQテストの成績を90点以上取ったのが、約百人中なんと私だけだった! 当時はなんとなく鼻高々。それなりに成績も残していたから、どうせなら満点を目指そうと、かなり励みました。

          川のこちらと向こう側

          一週間とはなんとあっという間にすぎることか。 それなのに 過ぎ去った1週間が1ヵ月前にも感じるこの矛盾 そんな迷路のような時間軸を生きている気がしているのは私だけでしょうか? こんばんは。アスランです。 年のせいなのか、はたまたコロナによる自宅時間の増加がそうさせているのか、本当に毎日があっという間にもかかわらず、午前中の時間がとても長く感じたり、1週間くらい前のできごとのつもりで仕事の履歴を遡り、二日前なんていう事実に驚愕するという毎日を繰り返しています。 そろ

          川のこちらと向こう側

          アスランという存在

          出来るのは自分のことだけ”アスラン”とは、ナルニア国物語に出てくるライオンの王の名前です。 アスランはどんなときにも、質問者自身のこと以外には答えてくれません。 ”心配”を理由に他人について尋ねる事を、毎回必ず戒めます。 心配だから聞いているのに!少女は言うのですが、アスランは 『あなた自身のこと以外であなたができることはない』 と言うのです。 ちょっと気難しくも聞こえるこの言葉は、とても的を得ていると思っていて 例えば、自分の子供に対してですら 心配だからと

          アスランという存在

          ルーティンの苦手な自分へ

          継続は力なり…って本当だった! 毎週欠かさず更新するぞ! という目標を掲げながら、1週空けてしまってちょっと自己嫌悪になりそうになっていたら、先日#マコなり社長だったか、#マナブログのまなぶさんだったかの動画で、(もしかしたらお二人とも同じようなことをおっしゃってたのかも)たとえ出来が満足していなくても、なにがなんでも出し続けることのほうが大事。なぜなら、一度休んでしまうと、休むことに自己肯定が入るようになってしまうから、というようなことを言っていた。 (*´Д`) ま

          ルーティンの苦手な自分へ

          共生の世界へ

          知らないものへの恐怖前回のあとがきに、生物学者 福岡伸一さんのウイルスについての文を転載しました。 緊急事態宣言がさらに延長される中、ウイルスについてだけでなく、私たち生物のこと、自然界のこと、人間のこと、自分のこれからのことなど、とりとめもなく考えています。 今 自分の将来、とりわけ生きていくことに対する不安を抱えている人は多いはず。 現代では、生きる=収入(お金)が必要となっているので、生きることに対する不安とは、仕事がなくなる不安だったり、貯金が切り崩されていく

          共生の世界へ

          母子家庭&貧困 それでも心は貧乏じゃなかった 最終回

          新しい世界息子はあの日から、保育園へ行くことが楽しそうだった。何人ものクラスメイトの名前がたくさん出てくるようになったし、何より、運動が苦手だったはずの息子はある日保育園の相撲大会で優勝までしてしまった。 園長先生も、担任の先生も、ましてや本人すらも予想していなかったのに、予選を勝ち抜きまさかの優勝。 お迎えに行ったときに、息子よりも先に先生が全員走り出てきて、興奮気味に感動的な予選勝ちから優勝への軌跡を熱く教えてくれた。 私の新しい仕事も順調だった。 社員数5~6名

          母子家庭&貧困 それでも心は貧乏じゃなかった 最終回

          母子家庭&貧困 それでもこころは貧乏じゃなかった 10

          知らない世界生活保護の認定は思うほど簡単じゃなかった。 ハードルがいくつもあって、まず実家からも元夫からも援助が受けられないという証拠として、それぞれに捺印入りの書状を書いてもらう必要があった。 実家の両親は、これではまるで私たちが二人を見放しますと公的に宣言するようなものじゃないかと最初は反対していたが、かといって私たちの生活の面倒を完全に見る余裕があるかというと、まだ学生の弟妹たちを抱える両親にそこまでのゆとりがあるわけでもないので、最後は私の説得にしぶしぶうなずいて

          母子家庭&貧困 それでもこころは貧乏じゃなかった 10

          母子家庭&貧困 それでもこころは貧乏じゃなかった 9

          生きる力 入院して2日目の深夜。 意識のなかった息子が突然目を覚まし、『お母さん、おなかすいた』といった。 慌てて食べ物を探すも何も持ち合わせておらず、看護婦さんの詰め所へ行き事情を説明すると、看護婦さんは私以上に驚いている。とりいそぎ、夜勤の看護婦さんの夜食のぶどうパンを分けてもらってその場をしのいだ。 翌朝いちばんに担当医である院長がやってきて、すぐに脳検査と髄液の検査をするから朝食はあとにするように伝えられた。何やらざわついている。 どうやら、ありえない事が起こ

          母子家庭&貧困 それでもこころは貧乏じゃなかった 9

          母子家庭&貧困 それでもこころは貧乏じゃなかった 8

          恐怖電話の果てに毎週日曜日 朝9時きっかり   半年ほどそれは続いた。義母からの電話攻撃。 当時は携帯電話もないから、高価な電話回線は手の届かないものだったが、実家の両親が、新米母子家庭を心配して電話を通してくれた。今では想像もつかないと思うけれど、電話開通のその日は、電話機の前に座って、友達にかけてもらった文字通り電話のベルの音に、興奮し拍手したものだった。 どこで番号を入手したのか、ある日曜日の朝かかってきた義母からの電話。 はじめは孫の様子を確認したり、日々どう

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          母子家庭&貧困 それでもこころは貧乏じゃなかった 7

          新しいお母さん 約2年ぶりの再会 私の事を覚えているだろうか どれくらい大きくなったのかな おしゃべりも上手になってるだろうな 突然の別れは1歳になる前だったから、3歳になったばかり。小さな子供の2年は変化が大きい。最近2歳児を見てこんなことしたっけ?こんな言葉言ってたっけ?と思うことが多く、ふと自分の息子の2歳~3歳までを知らないんだったと気づいてはっとしたりする。 待ち合わせの場所には義母と息子だけがいた。 (いや、もしかしたら元夫もいたのかもしれないが、今

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          母子家庭&貧困 それでもこころは貧乏じゃなかった 6

          夜明け高校時代の友人が、子供服のデザイナーをしていたので、彼女の紹介で有名ベビー服メーカーの下請けに入社させてもらった。住まいも、まずは社員寮に入り、経済的基盤ができたら部屋を借りることにした。 仕事は、ベビー服のデザインと、テキスタイル用の原画を書くこと。   自分の息子を思い出しながら描くベビー服のデザイン画はその時の室長に好評で、子供を持たない若い女子ばかりの企画室で唯一、子育てに訴える企画ができると喜ばれた。 やがて、フランスの高級ブランドとのコラボで新しいベビー

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          母子家庭&貧困 それでもこころは貧乏じゃなかった 5

          海の底苦しくて息ができない。 何も喉を通らない。 頭に酸素が回らない。 突然こどもを奪われたまま離婚した私は、完全に海の底に重石を付けて落とされたようだった。 あの日、夫が突然息子を迎えにきて連れ出す直前、おむつを替える隙に逃げ出して、汚れたおしりのまま腰かけたおもちゃのピアノに汚物が少しついたままだったのを思い出す。 予期せぬ別れだったから それが最後になるとは思いもしなかったから しばらくその汚れを取り除くことができなかった。 まるで、その汚物が息子の分身

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          母子家庭&貧困 それでもこころは貧乏じゃなかった 4

          こんにちは 赤ちゃん さようなら結婚義妹の嫁ぎ先が(60回目の!)お見合いで決まったころに、無事おなかの中で育った命は跡継ぎの男児としてこの世に産声をあげた。家庭内の空気は平和な方向へ一転したようだったが、私のストレスはひどくなっていた気がする。 出産で入院した時に、一日違いでお産をした、私より少しお姉さんのママと仲良くなった。入院中に、はじめて自分の愚痴を他人に聞いてもらうことで自分は相当崩れ始めているんだなと自覚していた。 それでも、生まれたての赤ちゃんの顔を見れば心

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