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母子家庭&貧困 それでもこころは貧乏じゃなかった 8

恐怖電話の果てに

毎週日曜日 朝9時きっかり  

半年ほどそれは続いた。義母からの電話攻撃。

当時は携帯電話もないから、高価な電話回線は手の届かないものだったが、実家の両親が、新米母子家庭を心配して電話を通してくれた。今では想像もつかないと思うけれど、電話開通のその日は、電話機の前に座って、友達にかけてもらった文字通り電話のベルの音に、興奮し拍手したものだった。

どこで番号を入手したのか、ある日曜日の朝かかってきた義母からの電話。

はじめは孫の様子を確認したり、日々どう過ごしているかの日常会話で和やかに始まった。

が、その後は私の交友関係、帰宅時間、生活習慣などへの苦言が毎回1時間ほど。

嫁ぎ先時代の感情がぶり返す。

他人からの批判におびえて迎える休日の朝。

負の感情に振り回されたくない私は、とうとう業を煮やして電話番号の変更のための引っ越しを強行する。(電話番号は、住所と同じで引っ越ししないと変わらない…と当時の私は思っていた。)

NTTに依頼して、電話帳からも削除してもらった。がしかし、敵も然るもの。直接NTTへかけて、親だが連絡がつかずに心配だからと言って番号を聞き出し、またかけてきた。(今なら個人情報保護法で、そんな電話で簡単に番号を知らせたりもしないと思うけれど。そもそも携帯やスマホなら着信拒否って手が打てる)

負けずに私は引っ越しと番号変更を繰り返す。とはいえお金はないから、県営住宅に応募して、母子家庭控除で家賃9000円の2Kアパートをゲットできた。(この時も、うっかり詐欺にひっかかり大変な思いをしたけれど、その話はまたいずれ)

ようやく電話攻撃から解放される新生活に期待しつつ、新居へ引っ越して間もない4歳の誕生日を迎えてすぐに、息子は突然の脳膜炎で入院した。


時間は戻ってくれない

負の感情に向かいすぎて気づくのが遅れた。そういえば、保育園へ行く朝に『あたまがくらくらする』と何度か言っていたことを思い出す。私は、保育園にいくのがいやなんだろうと思い『行けば治るよ!』と一括していた。

当時、子供の病気で仕事を休むのはご法度だと思っていた。

母子家庭で仕事を休むということは、即解雇に結び付き、明日の家賃もままならなくなる。(きっと母子家庭に限った話ではないけれど)だから、私は無意識に、”病気になると窮屈で退屈な一日を送ることになる”という刷り込みを息子にしていた。

病気になるとお母さんが優しくなるなんていうことは、我が家ではありえなかったのだ。

さんざん近所の子と遊び、夕飯もしっかり食べて眠りについたはずの深夜、突然に激しい頭痛と吐き気を泣き叫びながら訴えた。何事かと不安になり、母に電話すると、すぐに救急車を呼ぶように言われた。


その夜連れていかれた救急病院では、点滴を打って帰されたが、家に戻っても症状は改善しなかったので、朝いちばんに国立小児病院へ連れて行くと、ベッドの空きがない中、3日後退院予定の子供を急遽移してベッドをあけてまでの緊急入院だった。担当もめったに外来へ出ない院長が当たった。

『この2日がヤマです。覚悟してください。』

頭の中が真っ白になる。

『運よく助かっても脳の損傷は恐らく免れないでしょう』

”運よく”助かっても!?!

あんな思いをしてようやく引き取った我が子に、私はなんてことを強いていたんだろう、と愕然とする。24時間点滴の付き添い。生きた心地がしなかった。そしてふと浮かぶのは、万が一助からなかったら、私はなんと責められるんだろう…という自分へ向けた情けない感情だった。

幼い息子が戦っているときに…

翌日、追い打ちをかけるように、保育園の先生がお見舞いに来て明かされたもう一つの事実。それは保育園で遭っていたらしいいじめについて。家では明るくひょうきん者だったから、気づけなかった。

入院直前の園での出来事はこうだった。

『〇〇君は体が大きくて目立つわりにおとなしくて、みんなが遊んでいるときも、壁にもたれて静かに笑いながらみんなを眺めているクールな子で。わざと喧嘩をふっかけていく子もいて。でも絶対にやり返さないことを知ってるから、あの日はみんなで〇〇くんを怪獣にしようって盛り上がってしまって。蹴ったり殴ったりされて、それでも最後までやり返すことはなかったんですが、我慢しすぎたのか、お昼寝の後に鼻血をだしてしまって。』

それを聞いて悔しくて震えた。

どうやら前年度の担任の先生から、うちの息子は他の子供とは少し違う反応をするとの引継ぎがあり(その先生と息子は仲良しだったから、悪い意味ではないはず)、受け取った新しい担任は扱い方が難しいのかと思い込み、息子とどう接すればいいかわからないでいたところに起きた事件だったらしい。

『こんなことになるなんて。きっと私のせいです。これで〇〇君が亡くなるようなことになったら私なんとお詫びしていいのか』泣きながらそう言う先生の顔を見て、息子の日常を甘くとらえていた自分への怒りがこみ上げる。

ごめん。こんなお母さんで。

いま頑張ってる君の前で、死んだときのことを想像して自分の心配するなんて、なんてひどい親だろう。

ほんとごめん。

あたまがくらくらする…というのは、行きたくないを言えない君の、こころの叫びでもあったんだ。


【あとがき】

いじめ問題も後を絶たず、それどころか虐待問題もますます露呈していく心が委縮する毎日。人ごととは思えないのです。
そして、子供の病気ごときでは会社を休めないという風潮は、当時だけでなくきっといまだに多くの職場である現実…そもそも仕事とは何のためにしているものなのか。自分や家族が健康に生活できるために必要な収入を得るための、ただの手段にすぎないのに。

親も子供も、気持ちにゆとりが取れなさすぎる。社会が窮屈すぎる。

世界は変わっているはずなのに、社会が追いついていないのかもしれないです。

今、コロナ問題をきっかけに、なんだか強制的にそこに向き合わされている気もしています。

どうか毎日笑って暮らせる世界を。

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