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川のこちらと向こう側


一週間とはなんとあっという間にすぎることか。

それなのに

過ぎ去った1週間が1ヵ月前にも感じるこの矛盾

そんな迷路のような時間軸を生きている気がしているのは私だけでしょうか?

こんばんは。アスランです。

年のせいなのか、はたまたコロナによる自宅時間の増加がそうさせているのか、本当に毎日があっという間にもかかわらず、午前中の時間がとても長く感じたり、1週間くらい前のできごとのつもりで仕事の履歴を遡り、二日前なんていう事実に驚愕するという毎日を繰り返しています。

そろそろ認知症とかの心配したほうがいいのかな(汗


さて、そんなことは置いておいて、数日前のできごとについて。

私は車移動がほとんどなのですが、先日こんなことがありました。

都会と違い、一方通行ではない細い田舎道が多いこの地域では、バスが先に見えると、道路の幅広ポイントでいったん停止してお互いがスムーズに行き来できるように配慮しあいます。

これは標識に従うとかの道路交通法とは関係なく、お互いの気遣いのみで成り立っていて、地元の人たちの中では当たり前のこと。

そうすることで、渋滞なく進めるのです。

ほんの数秒待機する。ただそれだけのことで。

ところが、バスを待機した私の車の後続車2台が、一時も待たずに(待てずに)なぜ止まったのかも確認することなくアクセルを踏み込んで追い越し、!?っと思った直後に、正面で前方から来たバスとかち合い渋滞となりました。

私は最初、なんて馬鹿な人達なんだろう、と思い(2台追い越したので)

次に、2代目は先行車が追い越したのを受けて、追随しただけか、と思い

そのあとで、あの人たちにはこういう経験がなかったのかも、と思い至ったのでした。

立ち位置が変わると見える景色がちがう

あちらからすれば、私の車は、一時停止もない場所でいきなり停車した迷惑な車に映ったのかも。

これが何を意味するのか…

地元の人ならごくごく当たり前の行動である先方車両への配慮は、地域では暗黙の常識も、違う文化圏の人(例えば、細い道はすべて一方通行になっているような街の住人)にとっては、想像もできないこと。

しかも、急いでいるわけでもないのに少しでも早く、人よりも先へ、みたいな気ぜわしい暮らしをしている人の中では、想定外の行動はそのまま敵対心のようなものにまで簡単に移り変わるっていうこと。

遅く感じる先行車を、どんなにスピードを上げて追い越しても、次の信号で止まって追い越した車と並んでしまうことはわりとザラにあります。

昔都内にいたころに、2~3分ごとにやってくる地下鉄に乗り損ねないようにと、必死で満員の車両に詰め掛けて、結果後続車両が遅れてしまうという経験もしました。

でも、その時はなぜか少なからずイラッとしてしまうのです。

”無知は罪なり”

これは、生前のマイケル・ジャクソンのメッセージですが

”知らない”ということがもたらす弊害は、自分が困るよりむしろ

他者への干渉という形によって拡大させます。

自分が知っていることが、世の中のすべてと思い込むと、知らない価値観や反応を異物として攻撃してしまうから。

自分が”知らない”ということを知らなければならない。


今回アメリカで起きた悲しい事件も

先日日本で起きた悲しい出来事も

ずっと世界各地で起きている様々な抗争や迫害や差別やいじめも

掘り下げていくと、同じような負の妄想なのではないかと思ってしまうのです。

なにが言いたいかと言うと

何か起こるたびに

部外者として意見している私たち自身の中に、膨らむと同様の爆弾となる可能性のある負の妄想は潜んでいるというコト。

例えば、私が先日車を追い越された瞬間に感じたのは

『こちらの意図も考えずになんて危ないバカな運転をするんだろう!』

そして、『けがや命にかかわらないくらいの事故にでもあって思い知ればいい』でした。

これ、報復ともいいますよね?(我ながら恐ろしい💦)

こちらの常識を理解していないことへの”報復”です。

直接話してみたら、きっと『いや、まさかバスのために停まっただなんて思わなくて。失礼しました』って言うかもしれないのに。

こんな小さなことが積み重なって、または教育や環境の中で膨らんで

あるとき、驚愕するような事件や事故へとつながるのかもしれない

鬱積した不満や不安のはけ口として。


人類は進化についていけるのか?


これまでもきっと、人種や文化、年代、職種など、あらゆる分断の材料があって、その中ですこしずつ意識改革が時代の流れの中ゆっくりと、でも半ば強制的に行われてきたんだろうと思います。

別な言い方にすると、進化として。

そして100年に一度の驚異的感染症として新型コロナウイルスが、更にその進化を加速させているのかもしれません。

私たちは、自分(人間)も自然界の一部にすぎないってことを思い出さないといけないのかもしれない。

自然界には、まったく同じものなんて存在しない。

同じ種であっても、ほんのわずかずつ違いがあります。違うのが普通。

しかも、進化しながら命を繋げている。

それを知って、受け入れる事ができたなら、少しずつでもより平和な世界へと進んでいける気がしています。


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