子どもの頃は、ちょっぴり病気が幸せだった💊
登園拒否の保育園時代を過ぎて、小学校に通い始める。
母は教育熱心で、
「勉強をして、いい学校を卒業すれば、いい人生を送れる」と信じる人でした。
一般的に、親になれば当たり前の考え方かもしれません。
40年くらい前に小学生だった私は、学校に行くのが嫌でした。
皆勤賞、精勤賞なるものがあり、学校に休まず通えば、卒業するときに、賞状をいただくことができます。
内申書にも書けると言われました。
私の兄弟は、弟、妹の3人で、どちらか忘れたけれど、熱があっても、登校していました。
(令和で、こんな時代にはあり得ない話です)
私はイヤイヤ期が長く続き、お腹が痛い、頭が痛い、熱が出た、と言い訳を考えては、休みをとりたくて、体温の上がらない体温計を恨んでいました。
普通に、健康でした。
体温測定で平熱のときは、息を止めて顔を赤くして、体温計を隠して、サボろうと画策しました。
そんな努力の甲斐あって、半休を取れたこともありました。仮病だから当然ですが、まる一日の休みは、なかなか取らせてもらえず、泣きそうな顔を母に向けながら、遅い時間のバスに乗せられました。
母は、私の精勤賞は諦めました。
何度か遅刻や早退があると、合算されて賞はもらえないのです。
後に続く2人のキョウダイは、期待されました。
ところが、ある朝、本当に熱が出て、
その日はたしか給食に『ミートソースのソフト麺とフルーツヨーグルト』の献立で休むつもりがなかったのですが、
そのタイミングの悪さにガッカリしながら、母に発熱を訴えました。
2回測った体温は、37℃をはるかに超えていました。
レバー入りカレーライスの日、擦っても、親鳥みたいに体温計を温めても上がらない体温が、好物のメニューの日に限って、母のため息とともに認められて、堂々と休む日になりました。
あまり食欲が出なくて寝ていたら、母が床についた私に、みそ汁のお椀を持ってきました。
「くず湯、作ったから、食べなさい。
コレなら入るでしょ、甘いから」
と小学生の私に食べさせてくれました。
「おいしいねぇ」
このときばかりは、本当に熱が出たことに喜びました。熱がなければ、小躍りしていました。
くず湯には、ソフト麺もフルーツいりヨーグルトも、その存在をかき消す程のインパクトがありました。
私は山の中で育ち、お店が少なく、ほぼ小洒落たスイーツは食べられなかったのです。
「これは、てっちゃんたちには、内緒だからね」と母は、私に念を押しました。
そうして、おばあちゃんの寝起きする部屋で
畑仕事を終えたおばあちゃんと、どうでもいい話をしたり、ミカンを食べたり、午後にはテレビを見たり、楽しく1日を過ごすのでした。
くず湯は、常温で保存できるため、便利なのです。
保存期間が恐ろしく長いわけではないですが、熱湯を注いで、かき混ぜると、ゼリー状の半透明の温かい飲み物になります。
初めて飲んだ「くず湯」は、
ほかのキョウダイに話せない、
母と秘密を共有したこと、
布団をポンポンと叩く優しさと、
いつもは知らないおばあちゃんの一日が分かって、最高に心が潤った記憶があります。
今も、寒くなると、ときどき
くず湯を買ってきて、飲めるようにしています。
抹茶味や、汁粉、ユズ入りなど、色々な種類が売っています。
昨日は、静岡も冷えこんで、今シーズン初の
「くず湯」をいただきました。
〜 仮の病 今は使わぬ くず湯かな 〜
チビ蔵 思い出川柳
※皆勤賞は、2021年から廃止した学校があるとニュースになりました。