「ご迷惑をかけると思いますが」には言葉にできない親の願いがある 事件簿⑪
「すぐにカッとなるようで……幼稚園では謝ることばかりでした」入学式当日、あかくんのお母さんは幼稚園や家庭での あかくんの様子を話すと「ご迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします」と小さくお辞儀をして帰った。
あかくんの様子を丁寧に話したお母さんだったけど、そこには次のような言葉にできない親の願いがあったと思う。
なぜなら、お母さんは「すぐにカッとなる」あかくんを理解している。教師が「カッとしちゃダメだよ」「落ち着こうね」と言っても言葉通りに出来ないことを知っている。「また幼稚園のように友達とトラブルが起きるだろうな」と予想している。
つまり、お母さんが心配しているのは、あかくんが「すぐにカッとなる」ことではない。カッとなった後のことだ。
1)カッとなって手が出ること。
2)友達にケガをさせること。
3)教師や友達に繰り返し責められること。
4)親しい友達ができず寂しい思いをすること。
5)教室に居場所を失うこと。
だから、事前に「すぐにカッとなる」あかくんの様子を教師に伝え、あかくんが居場所を失うことにならぬよう教師に〈配慮〉を望んでいる。それが「ご迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします」という言葉だ。
そう思えてならない。
なぜ、私はこんな話を書いているのか。
実は、あかくんのお母さんだけではない。毎年のように年度始めには我が子を心配する保護者が担任を訪れる。その保護者の多くは次のような子ども達の親だった。
・アレルギーや疾病による医療的配慮が必要な子
・吃音、緘默、難聴、色弱など感覚に困難がある子
・触覚、視覚、聴覚などの感覚に過敏を示す子
・書字、読字、計算、運動などの学習活動に困難がある子
・偏食、多動、マイペース、「超」が付く忘れん坊やビビリさん etc.
一言で言えば、集団活動で何かしらの困難が予想される子ども達だ。「一人だけ出来ないことがあるだろう」「一人だけ目立つことがあるだろう」そんな心配をした保護者が事前に教師に伝えようと話をしに来た。
あかくんのお母さんがそうであったように「教師が子どものことを事前に分かっていたら何かしらの〈配慮〉が出来るのではないか」と期待していたに違いない。
事実、教師には子どものアレルギーを〈治す〉ことは出来ない。書字の困難を〈解決する〉ことは出来ない。教師に出来るのは「食べなくていいんだよ(代わりにこれを食べよう)」「そんなに書かなくていいんだよ(書く数や大きさ、書く道具を変えよう)」などの〈配慮〉だ。
学級に30人の子どもがいれば様々な子がいる。同じ学年であっても体の大きさが違う。体力が違う。感覚(発達)が違う。それでも、次のような感情をもつことは皆同じだ。
集団の中で「自分一人だけ出来ない」のは嫌だ。
出来ないでいる自分に皆の注目が集まると緊張する。
出来ないで困っている自分を分かってもらえず、繰り返し注意を受けるのは辛い、悲しい。
また笑われる、また叱られる。そう思うだけで怖くなる。
そんな場所には居られない。行きたくない。
先に書いた通り、発達に関わる子どもの困難を教師は〈解決〉出来ない。でも、困難を理解すれば〈配慮〉は出来る。「一人だけ出来ない」子どもの辛さを教師の〈配慮〉で減らすことができる。(注)
つまり、私が言いたかったことは次のことだ。
年度始め「先生、ちょっとお話が」と話しかけ「ご迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします」と話を終える保護者は皆同じ願いをもっている。
あかくんのお母さんがそうだったように「ご迷惑をかけると思いますが」と言う時の保護者は申し訳なさそうに見える。何をして欲しいと具体的な〈配慮〉を求める人は少ない。我が子一人への特別な〈配慮〉を求めることは言葉にしにくいのだ。
だから、教師が保護者の気持ちを慮ろう。「ご迷惑をかけると思いますが」という保護者の言葉を聞いた時、教師は「何かしらの〈配慮〉が必要だ」と考えよう。「家庭ではどのように対応されていますか」と普段の様子を尋ねるのもいい。保護者と協力して必要な〈配慮〉を考え、時間をかけてその子の成長を見守っていこう。
以下に、子どもの困難や〈配慮〉の方法を教師に伝えようとする保護者の気持ちが伝わる記事を二つご紹介します。教師が保護者と協力して子ども達に〈配慮〉し、子どもの成長を見守ることができることを心から願います。
(注)書字障害がある子どもの宿題に教師が「やりなおし」と赤ペンで書いた事例がある。やりなおして何度も書けば〈治る〉〈解決する〉と思っていたのかもしれない。書字障害の困難を分かっていなかったために〈配慮〉できていな残念な事例だ。
また、〈配慮〉の事例として学習活動の工夫について書いた記事はこちら。
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