傍観者を作らない!見ていた子どもに意見を聞く(2) 事件簿⑦
朝の教室で起きた乱闘事件?
もしも、「これは当事者5人の問題だ」と考えて「5人だけを集めて教師が話を聞く」ことにしたらどうだろう。
他の子ども達は、意見があっても言う機会がない。問題がどのように解決されたのか分からない。多くの子は騒ぎがあった場所にいても、何があったのかよく分からない。よく分からないまま「○○くんが暴れていた」という大ざっぱな記憶が残る。
事件の当事者と他の子ども達を切り離しては、子ども達は互いを理解できない。高学年の子どもなら、気になっていても「聞きにくい問題」「知らなくていい問題」と考える。気を使って、乱闘事件の話には関わらないようにする。
これでは集団は育たない。
3、集団の全員が問題解決に参加する
集団を育てたかったら、トラブルの場にいた全員を解決に参加させる。
今回の乱闘事件で言えば、当事者5人の話を学級全員で聞き、その後、全員に意見を言う機会を作る。(事実確認の方法と、当事者からの話の聞き方については以下の記事を参照。)
そして、最後に大事な一言が、これ。
「他に言いたいことがある人、いるかな」
教師のこの一言で、子ども達全員に発言の機会を作る。
「知らなくてまちがえるのは仕方なくて悪くない」
「首しめたり、叩いたり(暴力)はやっぱりダメ」
2人の発言があったから、子ども達はその意見を知ることができた。
逆に言えば、言葉にしないと、そういう意見があることは分からない。伝わらない。気がつかない。
つまり、発言は、それまで見えなかった意見を見えるようにする表明行為だ。そして、問題解決のための参加行為だ。子どもに発言を促すことは、問題の解決に参加を促すことになる。(注)
先生は最後に「他に言いたいことがある人、いるかな」と聞いて、全員に参加を促す。
子ども達がそれを理解した時、当事者の話を注意深く聞くようになる。言いたいことがある子は、自分の意見をまとめ、発言に備える。問題解決に全員が参加する。
例えば、先の
「知らなくてまちがえるのは仕方なくて悪くない」
「首しめたり、叩いたり(暴力)はやっぱりダメ」
という意見は、全員に向けた意見表明だ。
こうして全員に認められた意見は、集団のルールとして定着していく。そして、子ども達の誰もが「知らなくて間違えたんだから仕方ないよ」「暴力はダメだよ」と互いに声をかけあう一つの集団になる。
もし、「これは当事者5人の問題だ」と5人を他から切り離していたら、上のようなルールはできない。集団は育たない。
学級内のトラブルを全員で解決する。
そのために全員で当事者の話を聞く。
教師は、最後に「他に言いたいことがある人、いるかな」と聞く。全員を問題解決に参加させる。全員で集団のルールを作る。
この繰り返しが、子ども達を集団に育てていく。
(注)「今の○○さんの考えに賛成の人は手を挙げて」と、教師が聞いていた子ども達に挙手を促す時がある。この挙手も表明行為だ。この一言で、子ども達全員に意見の表明を促すことができる。
更に、この挙手は「みんなも同じ考えだよ」という事実が伝わる。ドキドキしながら発言した子どもを安心させたり、当事者に注意を促したりすることができる。