歯の健康のため、論証能力を鍛えよう。 多重質問・不十分なサンプル
人様の文章の揚げ足を取りつつ、「論証能力の必要性」について説く記事です。
人様の……というのはコチラの本。
先日、本屋さんで立ち読み中に見つけました。目次を見たところ、「アメリカ人は、なぜこんなに歯への意識が高いのか?」という節のタイトルが気になり、実際にその節を読んでみたら案の定、誤謬がチラホラ。
文章を読むとき、感想と結論は別物です。さらりと表面的に読んで感想を持つのと、文章の論理関係を精査して結論を検証するのでは、読後の判断に違いが出てくる。誤謬を誤謬と認識しないで文章を読むと、感想に引きづられた判断をすることになります。実例を交えて説明しましょう。
本書の第1章第3節。以下はその全文です。
この文章を読むと大方、次のような感想を持つのだと思います。
「アメリカの歯科医療は日本と比べて進んでいる」
「著者はアメリカ式の歯科医療を実践している」
「よって、著者の歯科医療は正しい」
しかし、これらはあくまでも文章から受ける感想であって、論理的に導き出せる結論ではありません。言葉の羅列や配置から印象付けられる思い込みに過ぎない。以下では、本文の誤謬を説明し、上記感想が論理的に導き出せる結論ではないことを述べ、歯の健康のために論証能力を鍛える必要があることを示します。
1.「アメリカ人は、なぜこんなに歯への意識が高いのか?」 多重質問
まずはタイトルから。ここには多重質問の誤謬が認められます。多重質問とは
のこと。
警察の取り調べでや職質でも多重質問は使われますね。例えば
「どうして万引きなんかしたの?」
「運転中にスマホを使うと危ないですよ?」
「もう、子どもを叩いたりしていませんか?」
など。
全体が複数の質問で構成されており、最終的な質問に答えると、他の質問も認めることになってしまう。警察官から「運転中にスマホを使うと危ないですよ?」と声をかけられて「すいません」などと答えると、運転中のスマホ使用を認めたことになる。これは、答える側が「運転中にスマホを使用していたこと」を前提として作られた質問だからです。
多重質問に答える側は、最終的な質問にのみ答える傾向にあります。「運転中にスマホを使うと危ないですよ?」と聞かれると、「危ないか・危なくないか」にのみ答えてしまう。たとえ運転中のスマホ使用という事実に懐疑でも、それをスルーする。「自分はスマホをチラッと見ただけだけど『使用』と言えるのかな」と思っていても、そのことに触れないで「危ないか・危なくないか」にだけ答えてしまうんです。いちいち指摘するのが面倒だったり、指摘するだけの語彙力を持っていなかったり、「警察官との会話を早く打ち切りたい」と焦ったり、「相手がそう言ってるんだからそうなんだろうな」と雰囲気に飲まれたり。
「アメリカ人は、なぜこんなに歯への意識が高いのか?」も多重質問です。これは「意識が高いか・高くないか」という最終的な疑問の前に、「アメリカ人は意識が高い」という前提に立っている。もしこれを表面的に読めば、「アメリカ人は意識が高い」という前提をスルーして「どうして意識が高いんだろう」という疑問に意識が向くでしょう。けど待ってください。前提が問題なんです。簡単に引っかかってはいけません。相手の前提に乗る必要はないし、乗っては危険です。それが質問する側の狙いなのですから。
感想だけを読めば「アメリカ人は意識が高い。どうしてだろう」と思うところですが、「きちんと論証されているか」を気にして読めば誤謬に気づき、「『アメリカ人は意識が高い』は本当か」と、前提に疑問を持つのです。
2.「さまざまな患者さんと話をする中で」 不十分なサンプル
「『アメリカ人は意識が高い』は本当か」と前提に疑問を持ったならば、「アメリカ人は意識が高い」と言えるだけの根拠が欲しいはず。もし「アメリカ人は意識が高い」と言えるだけの十分な根拠が示してあるのならば、「アメリカ人は意識が高い」という前提に立つのは妥当です。
果たして本文に十分な根拠は示してあるでしょうか。そこで本文冒頭のコチラを見てみます。
なんと、「アメリカ人が意識が高い」と感じたのは、著者が「何人か」とだけ話をして、その範囲内で言えることだったのです。これでは「アメリカ人が『意識が高い』と言えるだけの十分な根拠」とは言えません。
著者一人が話をできる人数なんて、たかがしれているもの。しかも、統計を取るためにインタビューをしたわけでもなく、ネット調査をしたわけでもない。「さまざまな患者さんと話をする中」で、どれだけ一般的なことが言えるでしょう。
たった1つの証拠や個人的逸話から結論を導き出したり一般化する誤謬を、不十分なサンプルと言います。定義はコチラ。
3.「ロマリンダ大学」 代表的でないデータ
しかも、「さまざま患者さんと話をする中で」とあるように、それらの話し相手は、歯医者さんにやってきた人間です。つまり、全員が歯への意識が高い人たちなのです。歯医者さんにやってきた人に「アナタは自分の歯の健康が気になりますか?」と聞いたなら「はい」と答えるのが当然でしょう。この統計の中には、歯への意識が低い人は入っていようはずもない。自動車屋さんでお客さんに「アナタは自動車に興味がありますか?」と聞いたら「はい」と答えが返ってくるに決まっているし、安売りスーパーで「安い食品が気になりますか?」とお客さんに聞いたら「もちろん」と答えが返ってくるに決まっている。これは、隔たったデータなのです。
バイアスのあるデータを使って一般的に言える結論を出す誤謬を、「代表的でないデータ」と言います。その定義はコチラ。
「ロマリンダ大学」というのも気になります。ロマリンダ大学というアメリカの中の一大学で話を聞いて、それで果たして「アメリカ人は」と一般化できるのかどうか。ネットで調べたところ、ロマリンダ大学とは私立医科大学だそう。何のことはない。ロマリンダ大学にいる学生が全員、歯への意識が高いのです。医科大なのだから、歯へ関心が無いわけがない。調査とは、公平に、差異なく実施するから、それはデータとして活かせます。ロマリンダ大学で歯への意識調査をしたところで、それはサンプルになりません。街頭で男性を捕まえて「アナタは男性ですか?」と聞くようなものだし、マック店内で「アナタはハンバーガーが好きですか?」と聞くようなもの。答えは「はい」以外無いのであって、そこから「国民は皆んな男性だ」とか「日本中、マックが好き」とは言えないのです。
4.「じ…自分たちは決して…。」 誤った結論の導出
この文章の中で一番気になるのは、結論が曖昧なことです。文章では大抵、文末に結論を持って来ます。この文章にも文末に結論らしきものが幾つかありますが、一体どれが結論なのやら。
文末の結論らしきものは以下の4つ。
本節のタイトルが「アメリカ人は、なぜこんなに歯への意識が高いのか?」なので、この問いに対する答えが結論であるべきです。が、問いへの答え「アメリカに国民皆保険制度がないから」は、文末にありません。
上記結論らしきものの中で、「一番抽象度が高く、人生訓のような(3)が結論だろう」という考えもできるのですが、(3)は本文で論証されておらず、これらを結論とするには無理があります。「抜本的な意識改革」については本文で言及していませんから。
(2)も論証されていないので、結論ではないでしょう。アメリカとの比較のみで「先進国と比べると」とは言えませんし、ましてや「日本の歯科医療がレベルの低い後進国だ」などとは本文で触れられていません。
(4)も論証されておらず、結論としては不完全です。もしも(4)を結論とするのであれば、本文で著者はどのように「治療方法」や「予防方法」を提案しているのかの具体例が必要です。この具体例の提示は簡単に思いつくものであり、自分たちが普段していることを書くだけですから易々と書けるはず。なのに具体例が書かれておらず論証されていないということは、結論ではないのでしょう。
というわけで、残るは(1)です。(1)は本文で論証されていると言えるでしょうか。「治療費が高い」や「自由診療」というワードを見ると本文との繋がりを感じるので、これが結論なのかもしれません。本節で著者がいいたのは(1)なのでしょう。
が、(1)が「論証されている」とは言えません。本文に書かれているのは、日本とアメリカの歯科診療の違いです。著者の歯医者さんで「決して利益を優先し治療費が高い自由診療に誘導するために自由診療をすすめているのではない」ことには触れられていません。
それなのに、文末にて「じ…自分たちは決して…」などと、誰も触れていないことを口走っている。自ら、自分たちが不利になるようなことを仄めかしている。まるで犯人が自分で墓穴を掘って罪を認めてしまうかのように…。
本文でも特段、触れていないのに、自分から「決して利益を優先し治療費が高い自由診療に誘導するために自由診療をすすめているのではない!」と言ってしまっている。怪しいですね。本当は「利益優先して治療費が高い自由診療に誘導してるんじゃないの?」と勘ぐりたくなる。
証拠からずれた的外れの結論を出す誤謬を、「誤った結論の導出」と言います。その定義はコチラ。
5.まとめ・おわり
このように、文章から表面的に感想を持つのと、論証して結論を導き出すのでは、残るものが違います。表面的に読んでは
「アメリカの歯科医療は日本と比べて進んでいる」
「著者はアメリカ式の歯科医療を実践している」
「よって、著者の歯科医療は正しい」
という感想を持つでしょうが、
であることを考えると、「よって、著者の歯科医療は正しい」とは言えません。それどころか、決してアメリカ人が日本と比べて歯科医療に対する意識が高いとも言えないし、日本は歯科医療において後進国とも言えないし、保険診療より自由診療が良いとも言えない。ましてや、抜本的な意識改革が必要とも言えない。
ですので、この文章を読んで「そうか、日本の歯科医療は後進国なんだ。これからは自由診療なんだ。自由診療こそが正しいんだ」などと考えたら、もしかしたら歯の健康に良くない結果をもたらすことになるかもしれません。文章に踊らされずに歯の健康を守るためには、誤謬を見抜き、文章の論理を精査する論証能力を鍛えなければならないんです。