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歯の健康のため、論証能力を鍛えよう。 多重質問・不十分なサンプル

 人様の文章の揚げ足を取りつつ、「論証能力の必要性」について説く記事です。

 人様の……というのはコチラの本。

 先日、本屋さんで立ち読み中に見つけました。目次を見たところ、「アメリカ人は、なぜこんなに歯への意識が高いのか?」という節のタイトルが気になり、実際にその節を読んでみたら案の定、誤謬がチラホラ。

 文章を読むとき、感想と結論は別物です。さらりと表面的に読んで感想を持つのと、文章の論理関係を精査して結論を検証するのでは、読後の判断に違いが出てくる。誤謬を誤謬と認識しないで文章を読むと、感想に引きづられた判断をすることになります。実例を交えて説明しましょう。

 本書の第1章第3節。以下はその全文です。

アメリカ人は、なぜこんなに歯への意識が高いのか?

アメリカ大学院留学から帰国、日本の歯科医療の現状に危機感

 私がアメリカに留学をして、さまざまな患者さんと話をする中で感じたことです。当時、ロマリンダ大学の大学院には、私以外にも日本人の留学生が何人かいました。留学して初期の頃、皆が口を揃えていたのは「アメリカ人は、なぜこんなに歯への意識が高いのか?」です。
 日米それぞれの歯科医療を見てきた私が感じたのは、日本とアメリカでは歯の健康に対する意識や向き合い方が、歯科医師も患者さんも違うということです。そこには、両国の医療制度や、歯学部の教育制度の違いが大きく関わっているように感じます。
 日本では全ての国民が必要な医療を受けられるように、国民皆保険制度が導入されています。国民が皆平等に少ない負担額で歯科治療を受けることができます。国民皆保険制度での歯科治療は、国によりそれぞれの治療費が定められています。これは大変有益で素晴らしいシステムですが、逆の見方をすると保険診療主体で治療を行う歯科医師は、より多くの患者さんを診なければ収益が上がりません。そのため、患者さん一人ひとりに時間を取って診療することが難しくなり、短時間でどれだけ多くの患者さんを診られるかが、直接的な医院の収益に関わってきます。今現在でも、「たこ焼き診療」などと揶揄されるような診療スタイルが、日本では蔓延しています。これは、診療チェアに患者さんをずらっと並べて、手早く大勢の患者さんを処置していくことを表現したものです。また保険診療を行うことで、我々が考える正しい歯科医療を展開できないことも多々あります。保険診療の使用材料、機材の制限や、決められた診療順序などで思うようい診療ができないこともあります。
 対して、アメリカにはこの国民皆保険というシステムが存在しません。歯科医療費は、歯科医師が自分の技量に合わせて自由に値段設定をしています。日本と比べると治療費は高額設定できるため、歯科医師は患者さん一人ひとりに十分な時間を割くことができます。そのため、アメリカ人は1本でも虫歯になると大変高額が治療費がかかるという心理を常に持っているので、虫歯にならないようにホームケアをし、定期的に歯科医院でメンテナンスを受けます。
 また、歯学部の教育制度も両国では全く違います。日本の歯学部では、学生時代に患者さんを診る臨床実習はあまりなく、主にマネキンや模型で治療のトレーニングをします。日本の歯科医師国家試験はマークシート式の学科試験飲みです。
 アメリカの歯学生は、実際の患者さんを治療しながら徹底的に技術を叩き込まれていきます。その際も、必ず隣に指導医師がおり、学生の治療のクオリティをチェックしながら診療を進めます。アメリカの歯学部では、通常の歯科医師の診療費とは別に、学生用の診療費が安く設定されています。そのため、治療費を安く抑えたい患者さんは学生の治療を選択できるようになっています。また、アメリカでの歯科医師国家試験は学科試験のみではなく、実技試験もあります。日本とアメリカの教育制度を見た立場としては、卒業前の臨床経験の有無はその後の診療の質・考え方に大きく影響すると感じています。
 当法人では売上の7割が自由診療です。保険診療でわれわれの考える正しい診療が行えるのであれば問題ないと考えていますが、歯科医師や歯科衛生士が薄利多売を強いられ、正しい検査ができず、診療に十分な時間をかけることができない状況では、適切な診療を行うことは難しいと思っています。我々のクリニックでは、決して利益を優先し治療費が高い自由診療に誘導するために自由診療をすすめているのではなく、診療の質・時間を担保するために提案を行なっています。
 現状の日本の歯科医療の質を冷静に見渡すと、先進国と比べると非常に低いレベルにあり歯科医療に関しては後進国だと感じています。
 日本の歯科医療の質を高めるためには、患者さんも含めた抜本的な意識改革が必要です。
真に患者さんの利益を考えるのであれば、一人ひとりに合わせた治療方法や予防法を時間をかけて提案することが大事だと思います。

多保学『歯の教科書』

 この文章を読むと大方、次のような感想を持つのだと思います。
「アメリカの歯科医療は日本と比べて進んでいる」
「著者はアメリカ式の歯科医療を実践している」
「よって、著者の歯科医療は正しい」

 しかし、これらはあくまでも文章から受ける感想であって、論理的に導き出せる結論ではありません。言葉の羅列や配置から印象付けられる思い込みに過ぎない。以下では、本文の誤謬を説明し、上記感想が論理的に導き出せる結論ではないことを述べ、歯の健康のために論証能力を鍛える必要があることを示します。

1.「アメリカ人は、なぜこんなに歯への意識が高いのか?」 多重質問

 まずはタイトルから。ここには多重質問の誤謬が認められます。多重質問とは

未解決の問題に関する問われていない質問に対して、確固たる答えがすでに出ていると不適切に決めつけて形成される質問。あるいは一連の質問のすべてに同じ答えが返ってくると決めつけて形成される質問。

T・エドワード・デイマー『誤謬論入門』

のこと。
 警察の取り調べでや職質でも多重質問は使われますね。例えば
「どうして万引きなんかしたの?」
「運転中にスマホを使うと危ないですよ?」
「もう、子どもを叩いたりしていませんか?」
など。

 全体が複数の質問で構成されており、最終的な質問に答えると、他の質問も認めることになってしまう。警察官から「運転中にスマホを使うと危ないですよ?」と声をかけられて「すいません」などと答えると、運転中のスマホ使用を認めたことになる。これは、答える側が「運転中にスマホを使用していたこと」を前提として作られた質問だからです。

 多重質問に答える側は、最終的な質問にのみ答える傾向にあります。「運転中にスマホを使うと危ないですよ?」と聞かれると、「危ないか・危なくないか」にのみ答えてしまう。たとえ運転中のスマホ使用という事実に懐疑でも、それをスルーする。「自分はスマホをチラッと見ただけだけど『使用』と言えるのかな」と思っていても、そのことに触れないで「危ないか・危なくないか」にだけ答えてしまうんです。いちいち指摘するのが面倒だったり、指摘するだけの語彙力を持っていなかったり、「警察官との会話を早く打ち切りたい」と焦ったり、「相手がそう言ってるんだからそうなんだろうな」と雰囲気に飲まれたり。

 「アメリカ人は、なぜこんなに歯への意識が高いのか?」も多重質問です。これは「意識が高いか・高くないか」という最終的な疑問の前に、「アメリカ人は意識が高い」という前提に立っている。もしこれを表面的に読めば、「アメリカ人は意識が高い」という前提をスルーして「どうして意識が高いんだろう」という疑問に意識が向くでしょう。けど待ってください。前提が問題なんです。簡単に引っかかってはいけません。相手の前提に乗る必要はないし、乗っては危険です。それが質問する側の狙いなのですから。

 感想だけを読めば「アメリカ人は意識が高い。どうしてだろう」と思うところですが、「きちんと論証されているか」を気にして読めば誤謬に気づき、「『アメリカ人は意識が高い』は本当か」と、前提に疑問を持つのです。

2.「さまざまな患者さんと話をする中で」 不十分なサンプル

 「『アメリカ人は意識が高い』は本当か」と前提に疑問を持ったならば、「アメリカ人は意識が高い」と言えるだけの根拠が欲しいはず。もし「アメリカ人は意識が高い」と言えるだけの十分な根拠が示してあるのならば、「アメリカ人は意識が高い」という前提に立つのは妥当です。
 果たして本文に十分な根拠は示してあるでしょうか。そこで本文冒頭のコチラを見てみます。

私がアメリカに留学をして、さまざまな患者さんと話をする中で感じたことです。当時、ロマリンダ大学の大学院には、私以外にも日本人の留学生が何人かいました。留学して初期の頃、皆が口を揃えていたのは「アメリカ人は、なぜこんなに歯への意識が高いのか?」です。

多保学『歯の教科書』

 なんと、「アメリカ人が意識が高い」と感じたのは、著者が「何人か」とだけ話をして、その範囲内で言えることだったのです。これでは「アメリカ人が『意識が高い』と言えるだけの十分な根拠」とは言えません。
 著者一人が話をできる人数なんて、たかがしれているもの。しかも、統計を取るためにインタビューをしたわけでもなく、ネット調査をしたわけでもない。「さまざまな患者さんと話をする中」で、どれだけ一般的なことが言えるでしょう。

 たった1つの証拠や個人的逸話から結論を導き出したり一般化する誤謬を、不十分なサンプルと言います。定義はコチラ。

量的に不十分なサンプルを基に、結論を導き出したり一般化したりすること。

T・エドワード・デイマー『誤謬論入門』

3.「ロマリンダ大学」 代表的でないデータ

 しかも、「さまざま患者さんと話をする中で」とあるように、それらの話し相手は、歯医者さんにやってきた人間です。つまり、全員が歯への意識が高い人たちなのです。歯医者さんにやってきた人に「アナタは自分の歯の健康が気になりますか?」と聞いたなら「はい」と答えるのが当然でしょう。この統計の中には、歯への意識が低い人は入っていようはずもない。自動車屋さんでお客さんに「アナタは自動車に興味がありますか?」と聞いたら「はい」と答えが返ってくるに決まっているし、安売りスーパーで「安い食品が気になりますか?」とお客さんに聞いたら「もちろん」と答えが返ってくるに決まっている。これは、隔たったデータなのです。

 バイアスのあるデータを使って一般的に言える結論を出す誤謬を、「代表的でないデータ」と言います。その定義はコチラ。

代表的でないサンプルや偏ったサンプルから抽出したデータに基づいて結論を導き出すこと。

T・エドワード・デイマー『誤謬論入門』

 「ロマリンダ大学」というのも気になります。ロマリンダ大学というアメリカの中の一大学で話を聞いて、それで果たして「アメリカ人は」と一般化できるのかどうか。ネットで調べたところ、ロマリンダ大学とは私立医科大学だそう。何のことはない。ロマリンダ大学にいる学生が全員、歯への意識が高いのです。医科大なのだから、歯へ関心が無いわけがない。調査とは、公平に、差異なく実施するから、それはデータとして活かせます。ロマリンダ大学で歯への意識調査をしたところで、それはサンプルになりません。街頭で男性を捕まえて「アナタは男性ですか?」と聞くようなものだし、マック店内で「アナタはハンバーガーが好きですか?」と聞くようなもの。答えは「はい」以外無いのであって、そこから「国民は皆んな男性だ」とか「日本中、マックが好き」とは言えないのです。

4.「じ…自分たちは決して…。」 誤った結論の導出

 この文章の中で一番気になるのは、結論が曖昧なことです。文章では大抵、文末に結論を持って来ます。この文章にも文末に結論らしきものが幾つかありますが、一体どれが結論なのやら。
 文末の結論らしきものは以下の4つ。

(1)我々のクリニックでは、決して利益を優先し治療費が高い自由診療に誘導するために自由診療をすすめているのではなく、診療の質・時間を担保するために提案を行なっています。

(2)現状の日本の歯科医療の質を冷静に見渡すと、先進国と比べると非常に低いレベルにあり歯科医療に関しては後進国だと感じています。

(3)日本の歯科医療の質を高めるためには、患者さんも含めた抜本的な意識改革が必要です。

(4)真に患者さんの利益を考えるのであれば、一人ひとりに合わせた治療方法や予防法を時間をかけて提案することが大事だと思います。

 本節のタイトルが「アメリカ人は、なぜこんなに歯への意識が高いのか?」なので、この問いに対する答えが結論であるべきです。が、問いへの答え「アメリカに国民皆保険制度がないから」は、文末にありません。

 上記結論らしきものの中で、「一番抽象度が高く、人生訓のような(3)が結論だろう」という考えもできるのですが、(3)は本文で論証されておらず、これらを結論とするには無理があります。「抜本的な意識改革」については本文で言及していませんから。

 (2)も論証されていないので、結論ではないでしょう。アメリカとの比較のみで「先進国と比べると」とは言えませんし、ましてや「日本の歯科医療がレベルの低い後進国だ」などとは本文で触れられていません。

 (4)も論証されておらず、結論としては不完全です。もしも(4)を結論とするのであれば、本文で著者はどのように「治療方法」や「予防方法」を提案しているのかの具体例が必要です。この具体例の提示は簡単に思いつくものであり、自分たちが普段していることを書くだけですから易々と書けるはず。なのに具体例が書かれておらず論証されていないということは、結論ではないのでしょう。

 というわけで、残るは(1)です。(1)は本文で論証されていると言えるでしょうか。「治療費が高い」や「自由診療」というワードを見ると本文との繋がりを感じるので、これが結論なのかもしれません。本節で著者がいいたのは(1)なのでしょう。

(1)我々のクリニックでは、決して利益を優先し治療費が高い自由診療に誘導するために自由診療をすすめているのではなく、診療の質・時間を担保するために提案を行なっています。

多保学『歯の教科書』

 が、(1)が「論証されている」とは言えません。本文に書かれているのは、日本とアメリカの歯科診療の違いです。著者の歯医者さんで「決して利益を優先し治療費が高い自由診療に誘導するために自由診療をすすめているのではない」ことには触れられていません。
 それなのに、文末にて「じ…自分たちは決して…」などと、誰も触れていないことを口走っている。自ら、自分たちが不利になるようなことを仄めかしている。まるで犯人が自分で墓穴を掘って罪を認めてしまうかのように…。

ゆうきまさみ『機動警察パトレイバー』

 本文でも特段、触れていないのに、自分から「決して利益を優先し治療費が高い自由診療に誘導するために自由診療をすすめているのではない!」と言ってしまっている。怪しいですね。本当は「利益優先して治療費が高い自由診療に誘導してるんじゃないの?」と勘ぐりたくなる。

 証拠からずれた的外れの結論を出す誤謬を、「誤った結論の導出」と言います。その定義はコチラ。

議論のなかで提示された証拠では裏付けられない結論を導き出すこと。

T・エドワード・デイマー『誤謬論入門』

5.まとめ・おわり

 このように、文章から表面的に感想を持つのと、論証して結論を導き出すのでは、残るものが違います。表面的に読んでは
「アメリカの歯科医療は日本と比べて進んでいる」
「著者はアメリカ式の歯科医療を実践している」
「よって、著者の歯科医療は正しい」
という感想を持つでしょうが、

「アメリカ人は、なぜこんなに歯への意識が高いのか?」 → 多重質問
「さまざまな患者さんと話をする中で」 → 不十分なサンプル
「ロマリンダ大学」で話を聞いた → 代表的でないデータ
「我々のクリニックでは、決して利益を優先し治療費が高い自由診療に誘導するために自由診療をすすめているのではなく」 → 誤った結論の導出

 であることを考えると、「よって、著者の歯科医療は正しい」とは言えません。それどころか、決してアメリカ人が日本と比べて歯科医療に対する意識が高いとも言えないし、日本は歯科医療において後進国とも言えないし、保険診療より自由診療が良いとも言えない。ましてや、抜本的な意識改革が必要とも言えない。

 ですので、この文章を読んで「そうか、日本の歯科医療は後進国なんだ。これからは自由診療なんだ。自由診療こそが正しいんだ」などと考えたら、もしかしたら歯の健康に良くない結果をもたらすことになるかもしれません。文章に踊らされずに歯の健康を守るためには、誤謬を見抜き、文章の論理を精査する論証能力を鍛えなければならないんです。

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