ビジネスパーソンに哲学は求められない。進次郎構文と論点先取の誤謬
山口周氏のnote記事への反論になります。
noteを眺めていたらいつの間にかこの記事に行き着きまして、それが功を誇るように誤謬を犯しているものですから、手を叩いて反論記事を作りました。
『なぜ「哲学」なのか?』というタイトルのこちらの記事。
記事冒頭の文章が、こちらになります。
冒頭から、いきなりの誤謬トップギアですね。
こちらの記事を読んで、ビジネスパーソンに哲学は求められないことがわかりました。というのも、経営コンサルタントが論点先取の誤謬を犯しているのですから。
ちなみに山口周氏とは、ウィキペディアによると著作家、経営コンサルタントの方の様です。私も先日、総武線の車内で黒色と緑色のこの広告が目に止まりました。
『独学の技法』。サブタイトルで「知的戦闘力を高める」とあります。それでは反論に入りましょう。
1.論点先取の誤謬とは
論点先取の誤謬とは、数ある誤謬の中の一つ。誤謬とは、「こういう言い方をすると、それは正しいとは言えないよ」という、言い方や書き方の論証間違いのこと。特に、議論に頻繁に出てくる誤謬のパターンは、専門家によって研究され、名前までついています。論点先取の誤謬も、そんな命名された誤謬の一つ。あまりにも誤謬として有名だから、あまりにも議論に頻発するものだから、すでに研究者によって「誤謬である」とのお墨付きが付いているのです。
こちらの『誤謬論入門』には、論点先取の誤謬を下記のように定義しています。
意見が論理的であるには、主張を支える理由が必要です。「お腹が減ったから、ラーメン屋に行こう」とか「明日は寒いだろうね。天気予報で10度下がるって言ってるよ」とか。理由によって支えられた主張であれば、それは最低限「論理的」と言えます。
が、意見が優れて論理的であるには、それだけではまだ足りず、更にいくつかの条件をクリアすることが必要です。その条件の一つが、「主張が、別の主張によって裏付けられていること」です。言い換えると、「主張と理由は別でなければならない」ということ。というのも、他の主張によって裏付けられていなければ、意見はおかしなことになってしまうんです。例えば、「他の主張によって裏付けられていない」とはこういうことです。
どうでしょう。主張と理由が同じだと、意見としておかしいですよね。感情で押し通すようで稚拙。誰もこんな意見には納得しません。理由は、主張とは別の主張でなければならないんです。例えば次のように。
ただの感情の発露に思えた意見も、主張とは異なる主張で支えれば論理的になります。
もちろん、現実の論点先取の誤謬はもっと曖昧です。実際は、上記例よりずっと狡猾的に、論点先取の誤謬は犯されます。読者や視聴者が気付かないほど遠回しに同じ言葉が使われます。例えば
「面白くない」と「退屈」は、ほとんど同じ意味なので、これは「嫌だから嫌なんだ」と同じ構図です。このように、別の言い方をする同意語を使うケースもありますし、他にこんなケースもあります。
主張と理由が堂々めぐりで、論証すべき主張が、理由としても使われている。これを循環論法と言います。循環論法は、論点先取の誤謬の一種。理由は、主張とは別の主張でなければならないんです。
これらを概していうと、論点先取の誤謬とは、ある立場をはじめから仮定している論証、とも言えます。論証するためには中立的でなければならないのに、すでに論証結果を前提として理由づけしている。
上記大谷翔平の例で言えば、Aは大谷翔平最強説をまだ論証しておらず、大谷翔平が最強かどうかはまだわかっていない。にもかかわらず、大谷翔平最強説の立場から論証を行っている。
まだ論証していないので中立の立場から理由を挙げなければならないのに、ある立場の側に立って理由を挙げてしてしまっている。それが論点先取の誤謬なのです。
2.ビジネスパーソンに哲学は必要か
(1)山口氏の主張は論点先取の誤謬を犯しているのか
山口氏の主張は、論点先取の誤謬を犯していると言えるでしょう。というのも、「ビジネスパーソンに哲学が必要」という立場から理由を挙げていますから。
「なぜビジネスパーソンに哲学が求められるのか。それは、ビジネスパーソンこそ哲学的思考の力が求められるから」
これは文中の「哲学」と「哲学的思考の力」がほぼ同意味で使われているのでしょうから、はじめから「ビジネスパーソンに哲学が必要」という立場に立っています。こう言っているのと同じ。
あるいは
どうでしょう。こう書くと、いかにも貧弱な意見ですよね。実は何も論証していない、何も証明してない。結論の裏付けとなるものが一見するとあるようにも見えますが、証拠となるべき前提は、実際には結論を言い換えただけの偽物となっている。「哲学」に、「的思考の力」を追加しただけの言葉を理由として使っている。
これほどあからさまな論点選手も珍しいです。大抵はもうちょっと巧妙に、誤謬を隠そうとするもの。「言い換えただけ」だとすぐに気付かれないような微妙なラインの言葉を持ってきたり、あるいは、たとえすぐに「言い換えだだけ」だとわかる言葉を使うにしても、文章をいくつか挟んで距離を置いたり。なのに、山口氏は「哲学は必要だから哲学は必要だぜ!」と、誤謬であることを隠そうとしていません。誤謬界隈でも極めてけったいな表現と言えるでしょう。
(2)山口氏の主張は間違っているのか
さて、ここまでで山口氏の主張が誤謬を犯していることがわかっていただけたと思います。が、以上のことから判明するのは、山口氏の主張は証明されていない、ということのみ。「ビジネスパーソンに哲学が必要、とは言えないね」ということだけです。ここで本記事を終えてもいいのですが、もう一歩、頑張って踏み込んでみましょう。
私は山口氏の記事を読んで、やはり「ビジネスパーソンに哲学は求められていない」という結論に至りました。それは、成功したビジネスパーソンである山口氏が論理的誤謬を犯しているからです。
山口氏が論理的誤謬を犯していることが、ビジネスパーソンに哲学は求められないことを証明しています。
おそらく、山口氏の言う「ビジネスパーソンには哲学が求められる」とは、「ビジネスパーソンとして成功するには哲学の知識が必要」という意味でしょう。単なるビジネスパーソン(社会人)になるのに必要なのは採用されること、あるいは事業を起こすことであって、その際に哲学は求められていません。山口氏は、「単なるビジネスパーソン」ではなく、「成功したビジネスパーソン」になるために哲学が必要だと言っているのです。つまり、「成功したビジネスパーソンにとって哲学は必要条件だ」と。
そして山口氏は著作家・経営コンサルタントとして電車に広告が載るほどであり、おそらく成功したビジネスパーソンと言えます。そんな彼が、哲学の一派生領域である論理で間違いを犯している。これは、「成功したビジネスパーソンにとって哲学は必要条件だ」の反例を示していることになります。山口氏という、論理を持ち合わせずとも成功したビジネスパーソンが存在しているのですから。
成功したビジネスパーソンにとって哲学は必要条件である
山口氏は成功したビジネスパーソンである
山口氏は哲学を持ち合わせていない
これは矛盾。
故に、「成功したビジネスパーソンにとって哲学は必要条件である」は間違いなのです。
3.進次郎構文との共通点
論点先取の誤謬について見てきました。「ゲームが欲しい。だってゲームが欲しいから」とか「哲学は必要だから哲学は必要」とか。これらの言い方って、何かに似ていると思いませんか? 誰かを連想しませんか?
そう、小泉進次郎さん。一時期、特異な話し方で世間の注目をさらいました。選挙など活動が活発になる時期には、その特異な話し方がぶり返してネット界隈を賑わせます。特異な話し方とは、通称・新次郎構文。例えばこんなのです。
「今のままはいけない…」は令和元年の国連気候行動サミットでの発言。「今のままではいけない」という主張を、「今のままではいけない」という同じ言葉で支えていますね。主張を他の主張で支えておらず、同じ主張で支えています。それからこんなのもあります。
こちらも環境大臣をされていたときの発言。最初から「約束は守るべき」という立場に立って論証している。これらの進次郎構文と、「哲学は必要だから哲学は必要」は一緒なんです。つまり、両方とも論点先取の誤謬に陥っている。
ちなみに以前、小泉さんが世間から知的レベルを問われたからといって、山口氏をもこれと同一視するべきではありません。
小泉進次郎さんに「知的レベルの低さ」を問うた記者が「失礼だ」と話題になったことがありました。こちらの記事。この記者は、おそらく誤謬に気づかないで発言しているであろう小泉さんの答弁能力に、疑問を呈したのです。
「類似点があるもの同士は他の点でも似ているだろう」というのは多くの場合、根拠の無い思い込みです。もしも「小泉さんが〇〇だから、小泉さんと同じ循環論法を使う山口氏も〇〇だろう」等とそんな判断をすれば、それは恐らく「不当な類推」の誤謬を犯すことになります。
4.まとめ
というわけで、経営コンサルタント・山口周氏のnote記事への反論でした。
山口周氏は「ビジネスパーソンには哲学が求められる。なぜなら、ビジネスパーソンこそ哲学的思考の力が求められるから」と、note記事で主張している。
「議論の結論として提示されているのと同じ主張を、明示的あるいは暗示的に前提として使う」のなら、それは論点先取の誤謬である。
「ビジネスパーソンには哲学が求められる。なぜなら、ビジネスパーソンこそ哲学的思考の力が求められるから」は、議論の結論として提示されているのと同じ主張を明示的に前提として使っている。
故に、山口氏の主張は論点先取の誤謬を犯している。
成功したビジネスパーソンにとって哲学の知識は必要条件である。
山口氏は成功したビジネスパーソンである。
山口氏は哲学を持ち合わせていない。
故に、「成功したビジネスパーソンにとって哲学は必要条件である」は間違いである。
……と、ここまで書いておいてなんですが、今度、山口氏の『独学の技法』を読んでみることにします。著名な経営コンサルタントの著書は勉強になるでしょうし、ちょうど私は独りで本を読むことが多いので。私に合う内容なんじゃないかと。もしも『独学の技法』を読んで、また誤謬を見つけたなら……。その時はその誤謬を突いて、また反論を考えようと思います。