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忘れがちですが、人は忘れる生き物なんです


やさしくすっと沁みていく、寒い冬の朝にのむスープみたいなあったかい人になれたらといつも願う。

でも、実際なかなかそうもいかない。
あったかスープになれそうな直前で、ボコボコと沸騰してしまうようなことの繰り返し。なんせ人は忘れる生き物、今度こそ!と意気込んだのすら忘れるのは日常茶飯事だから仕方ない。だが分かっていても、へこむものはへこむ。

ここ最近は、またやってしまった…っていうのが多くて辛かった。何が?と聞かれたら困ってしまうくらいのことなんだけれど、その積み重ねのせいか理由もなく気持ちが下向きになってしまう日が多く、不安に煽られて恋人もたくさん困らせてしまった。

誰のせいでもない、けど吐き出さないとやってられない、それが自分勝手だと分かりながらもやめられない。そうして後からまた後悔して、そんなことを繰り返していたように思う。


とにかく不安の正体をさがした。
不平不満ではない。逆に恵まれすぎているから?そんなバカな話があるかと思ったけど、どうやら事態はもう少し内向きなようだった。

わたしが今この瞬間、誰の役にも立っていないという感覚。この世界にわたしがいる理由が分からない恐怖。

贅沢すぎるが、主婦は向いてないのかもなんて思う。恋人にはいつも助かってる、ありがとう、そんな言葉をもらっているにも関わらず、こんな風に考えてしまう理由は何か。多分わたし自身がそのギャップを満足に埋められていないからだろう。

懐が大きくなりたい

助かってると言ってもらえるほどのことを何もしていないという後ろめたさと、申し訳なさ。わたしが家でぬくぬくと家事をしている間、彼は大変な思いをして働いている。そんな自分を許せていない。


これは困った、どうしたもんか。
このまま負の感情をばら撒き続けるわけにはいかないと思い悩むも、行き詰まる。経験上こういう時に一人で悩んでもどんどん悪い方にしか進まないのを知っているので、敢えて恋人に聞いてみることにした。


「あの、たいへん勝手な話でごめんなんですが」

「はい」

「最近、あなただけが大変な思いをしているようで、わたしは役に立ててないって申し訳なくなっちゃって、それで気持ちが落ちてるのかも…しれない…」

「そうなの?」

「うん、仕事も始めるけどそれでもその差は埋まらないだろうし、頑張りが足りていないというか頑張れていないというか…わたしは誰の役に立ってるんだろうって考えちゃって、」

「なんでそう思うの?」

「なんで…なんでだろう…」


なんでと言われても、わたしが不甲斐ないからという感想しか湧かない。事実そうだと思ってるし。


「俺はにほが役に立つとか立たないとか、そんなのはどうでもよくて、もっと別の考えなんだけど」

「別?」

「うん。帰る家があること、一緒に暮らしたいと思う人がいること、その人がにこにこ健康で暮らしてくれていること、だから頑張れる。にほが存在する理由はそれではいけないの?」

「嬉しいし有難い、けど…それはあなたに何のメリットもないような…」

「にほはメリットデメリットで暮らしてるの?」


おお、違う、そんなわけない。
メリットデメリットで生活が左右されているのであればわたしたちはとっくに終わっている。というか、そもそもメリットデメリットで人を選ぶわけはない。そうじゃなかった。


「違うね、そうじゃなかった。ごめん。」

「そうでしょう?一緒にいる理由をたくさん並べることに、大した意味はないよ。そうじゃなくてお互いありがとうって、宝物だと思って暮らせていれば、それ以上必要なものはないんじゃないの。」


この人には本当に、敵わないと心底思う。
わたしがもし彼から同じ相談を持ちかけられていたら、彼が同じように悩んでいたら、こんな言葉をかけられだろうか。それだけ自分本位な考えだったなと大反省。それと同時に心がどんどん軽くなる、彼こそが心のあったかスープ師匠だった。

さすがです、師匠


こうして、わたしの気持ちはまた少しアップデートされた。というか、忘れてた気持ちをまた思い出せた。今はやれることをやって、こんがらがったら紙に書き出したりして整理して。まずは気持ちの波の原因を見つめることから始めよう。

そう思ったら急に心も軽くなって、さっきまでのどんより…がハッピー!に変わった。こんな時は自分が単純な人間でよかったなと思う。ハッピー!


それと〝こうでなければならない〟という考えもゆるめようと思った。いつも思ってるけど、改めて。部屋はいつも綺麗でなければならない、毎日栄養バランスがいい食事でなければならない、笑顔でいなければならない…

ならない、ならない、ならないを積み重ねた先にあるものが理想の自分だったとして、その理想=絶対的な幸せとか豊かさになるのだろうか。

ベターではなくベストを求めすぎると、自分の決めたルールに頭を支配されてしまう。あくまで決まりは自分が楽しく暮らすための指標であって、周りに強制したり自分を追い込むものではない。本来探していた楽しい暮らしが窮屈にならないように、ほがらかに暮らせるようにという根っこを頭の真ん中に置いておく。

楽しいのがいちばん


毎度、忘れては思い出しを繰り返すとやっぱり嫌にもなる。けどその昔、とても尊敬していた人が同じことを何度もわたしに言い聞かせてくれたのは、それだけ大切なのにそれでも人は忘れてしまうのを知っていたからなんだと今は分かる。

人はそういう生き物だから、その度に暮らしもわたしに言い聞かせてくれている。なんだかそう思うとちょっと情けないけど、世界は思っているよりずっと優しいのかもしれない。

だから忘れてしまっても大丈夫。間違えてしまっても大丈夫。探していればきっとまた、暮らしが思い出させてくれる。そうしていつか、誰かにとってのあったかスープにわたしもなってみせるぞ!そんなふうに思いながらさっきより少し穏やかな気持ちで、生活を続ける。


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