毎日8時間働くのは偉業だよ記
いろいろ転じて、数日前からアパレルに戻った。
以前と違うことは、正社員ではなくパートタイムでの働きかたに変わったということ。これがかなり私には合っている気がする。
そもそも、自分のキャパを見誤った結果、過去に休職をしたり身体のあちこちを故障させたりして退職した。歳を重ねていくうちに、今の私は「一日8時間労働」というのが向いていない体になったのかもしれない。
というか、一日8時間働くって、凄すぎないか?
誰にとっても、24時間は平等に与えられる。
そのうち7時間は眠った方がよくて、朝昼晩と栄養バランスのとれた食事をとって、掃除だってしたい。出勤までには着替えたり、顔を洗ったり、メイクをしたりという準備の時間に、職場までの通勤時間もかかる。
家に帰ってもお風呂に入ったり、スキンケアしたり、ご飯の準備したり片付けたり、好きなテレビ番組だって見たいし、トイレだって頻繁にいく。
その間に「8時間」、いや、ヘタしたらもっと長時間の仕事が挟まっている人が多いという事実。
もちろん、パートタイムで働く人も、アルバイトの人だって凄い。だって仕事と「やらなければならないこと」を両立させているから。偉業。
そうです、皆さん、これは偉業なんです。
「褒めるとかいらんから、早くここから解放してくれ〜」っていう人もいるかもと思う。私もそうだった。
でも、でもね、ほんと凄いと思うんだ。
当たり前じゃない、毎日働けるって。
この言葉に込められた意味は、「いや〜才能だね!これからも頑張ってね!」でもなければ「元気に働ける健康な身体でよかったね」でも「働けるうちに無理してでもいっぱい働いときな!」とかでもない。
「あなたは日常的にとてつもない偉業を成し遂げている頑張り屋さんだからこそ、心の声もしっかり聞いて自分をたくさん甘やかしてくださいね!!頑張れないときがあったって、あなたはすごいんですからね!!」
という意味である。
私は大きな病気とか、精神疾患と戦っているわけでもない。ごく普通の三十路だ。
それでも、一日8時間働くのはもう無理ですよと本能が言っている。
なにがきっかけでそうなったのかは正直よく分かっていないのだけど、この心の声を受け入れることで、今は無理なく生活できている。
「みんな同じだから」という言葉は、薬にもなれば呪いにもなる。
なんの苦労も、葛藤もせず、汗も涙も流さずに働いている人なんて、たぶん存在しない。
健康だろうか不健康だろうが、ハンデがあろうがなかろうが、正社員だろうかパートアルバイトだろうが、みんなそれぞれの茨の道を自分なりのやり方で進んでいることには変わりない。
それを比べたり、羨ましがったり、ましてや当たり前だと思うことなんて、私にはできない。
当たり前は人の数だけあるものだ。
だから、同じ言葉を使っていても、その人の背景に存在するものは全く違ったりする。
「お金のため」とだけ聞いて「夢がない、やる気がない」と判断されることが多いのは何故なんだろう。その人が稼いだお金で成し遂げたいことがあるのかもしれないのに。
その裏では「美徳」とされるものを、人を欺く手段にするような輩もいるのに。
いや、話飛躍しすぎじゃない?
とにかく、10年以上のキャリアがあったことは過去の話だ。しばらく離職すれば新人同様くらいに業務の記憶は抜け落ちている。
なので、ここ数日はニコニコしながら店頭に立って、ニコニコしながらお客様にお声がけをして、ニコニコしながらたたんでたら仕事が終わる。我ながら恵まれすぎている。
ピヨピヨ復職アラサー店員は、店頭でお客様を思う存分接客しながら、俊敏に動き回るスタッフの皆さまを見て、そんなことを考えていた。
偉業記録を更新し続けている皆さん。
そんなわけなんで、今日はケーキとか買って帰っちゃってください。