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『普通』を見直すとき…自閉症児と歩む新しい道



部屋の片付けをしていたときのこと。

息子が幼稚園生の頃、療育で使っていた歌のCDが出てきました。
もう使うことはないと思い処分しようとしたのですが、何気なくケースを開けて手に取ると、懐かしさが込み上げてきました。

療育で歌った曲は、幼児に覚えてほしい言葉を歌詞に織り込んだものが多く、家でもよく一緒に歌ったのを思い出します。

その中で、どうしても好きになれなかった曲が一つありました。

このCDが、結果として、
私に一つの問いを突きつけたのです
──“普通”って何だろう、と。


私がどうしても好きになれない曲という その曲は、いろいろな職業の名前を羅列したような歌でした。
医師、弁護士、警察官、裁判官、パイロット……明るく優しいメロディーに乗せて、希望に満ちた未来を描く歌詞です。
名前がついてるキラキラとしたイメージの職業。

多くの親が聴けば、子どもの未来を想像し、幸せな気持ちになる歌だったのかもしれません。

でも、私にとっては違いました。


 その歌を聴きながら、「この中で、息子が就ける職業はどれくらいあるのだろう」と考えてしまったのです。

自閉症の息子が歩む未来は、多くの子どもたちが目指す道とは違うのだろうなと、
現実を突きつけられたような気がしました。



子どもを持つ親なら、「将来どんな子になるのだろう」と夢を描くものだと思っていました。

けれど、そのときは「可能性が狭まっている」という事実が重くのしかかり、涙を堪えるのがやっとでした。

明るい歌を聴いて涙が出そうになる――そんな構図が、なんともおかしく思えました。

そしてはっきりと気づきました。
この歌詞から未来を不安に思う親は少数派なんだろうな。つまり、私たち親子も少数派なのだと。

漠然と、自分が通ってきた知ってる景色を生きるだろうと思っていました。
学生時代を経て、就職し、「普通」の幸せを手に入れるものだと思っていました。
でもその「普通」から外れることへの恐怖や不安が、私の中に根強くあったのです。


あるとき、幼稚園のお遊戯会で、息子だけが全く踊らず悪目立ちしてしまったことがありました。年長さんなら「普通は」もっときちんと踊れるものだろうと、どこかで期待していたのだと思います。
実際、家では上手に踊れていたからです。

担任の先生に振付を教わり、自宅でも一緒に練習に取り組んでいました。

でも、息子にとって、この練習は楽しいものではなかったのかもしれません。今になって思うと、私が「普通に近づけよう」とする自己満足のための努力だったのではないかと感じます。

結果的に、息子が困っていたのは「踊れないこと」そのものではなく、別の部分にあったのだと思います。
私はそれをきちんと理解できていなかったのです。

「やっぱり一筋縄ではいかないな」と思い知らされたお遊戯会の帰り道。
胸が締め付けられるような気持ちを抱えながら、涙をこらえて歩いたことを覚えています。

その他にも、SNSや身近な定型発達の幼児を見たときなど、未来に対する恐怖は、日常の些細な瞬間にも顔を出しました。“この子にはどんな将来があるのだろう”と考えるたびに、無意識に“普通の幸せ”を基準にしている自分に気づき、息苦しさを感じたのです。

もちろん、多様な障害者の存在は知っていました。でも、それはどこか遠い話でした。
当事者ではなかったからかもしれません。

けれど、この子が生きていく未来のためには、私自身がこれまで信じていた「普通」を強制的に再構築しなければならない。それが、私に課せられた課題だと痛感しました。

あれから数年が経ち、私の考え方は少しずつ変わりました。

当時は、「多数派」とは違う未来が怖くて仕方がありませんでした。
でも今では、「それも一つの道」だよね、と考えられるようになりました。


職業や生き方の選択肢が狭いからといって、この子の未来が不幸だというわけではない。
私が信じていた「普通」から外れることは、決して悪いことではないのだと。

この変化は、意識して変えていこうと努力したものではありません。目の前の息子と一緒に過ごす中で自然に生まれてきたものです。
単純に言ってしまえば、時間が解決してくれたのかもしれません。

彼の小さな成長に気づくたびに、未来に必要なのは、みんなと同じ「普通」に近づくことではなく、シンプルに息子が笑顔でいられることこそが一番大切だと思っています。


当時、まだ障害が受容できなかった時期に、
苦しかった理由の一つとして、自分の価値観に縛られて、必要以上に周りの目を気にしていたことがあったのかもしれません。

私にとって、障害の受容というのは
“慣れてきた”という状態なだけかもしれない。


子どもの未来を想像することは、親にとっての楽しみの一つです。
でも、“普通”や“当たり前”を基準にしてしまうと、自分自身の価値観がかえって重荷になることもあるのかもしれません。少数派の立場になって初めて、それに気づくことができました。

自閉症の息子を育てることで、私自身の考え方を広げてもらえたのだと思います。


あの歌のCDはもう必要ないかもしれません。
でも、あの歌を通して感じた葛藤や気づきは、私にとって大切な経験です。
(そういう意図の歌ではありませんが。)

少数派である私たち親子が見つけた、新しい価値観と未来。 
これからも息子と一緒に、私たちの道を歩んでいきます。
その途中で見つけた小さな幸せや、息子自身が創っていく未来の可能性を、これからも大切にしていきたいと思います。

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