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「 日本 」 というコミュニティーから離れた今、思うこと

2020年12月21日、彼の故郷ドイツに到着しました。

関空→羽田で乗り継ぎ、フランクフルトへ計13時間半のフライト。

日本を離れて暮らすことが悲しくて、それはそれはわんさか泣くのかと思っていたけど、移住準備の疲れと無事に飛行機に乗れた安心感とで、自分でもびっくりするくらいソッコーで寝てしまった。現実ってこんなもんなんだな〜笑

そんなわたしの経歴を簡単にお話しすると、
地元の高校を卒業 → 美容師を志し美容専門学校に入学 → 学校は楽しかったがいざサロンに就職すると美容師としての仕事に興味がなくなる(自分に対しての美容に興味はあるが、他人様に施すほどの興味はないのだと気づく) → 地元を離れてふらふらと大阪に住んでみたり東京に住んでみたり → 販売、営業事務、百貨店勤務など様々な仕事を経験 → 安定の某大手通信会社に就職 → 3年前に英語を勉強し始めたのをきっかけに今の彼と出会う → 約2年半の遠距離を経てここドイツでドイツ人に囲まれて生活(彼・義母・わたしの3人暮らし)

ここは東ドイツにある小さな街で、今のところ私の周りに日本人どころかアジア圏の方は見当たりません。(お友達募集しております笑)

私にとって初めての海外旅行は今から5年前、インドネシアのバリ島でした。

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思えば私は、小さな頃から外の世界に出ることに並々ならぬ好奇心を持っていて、そのための決断は私にとってさほど重大なことではありませんでした。なぜかいつも、飛び出す恐怖よりも好奇心の方が勝っていたから。

でもそんな私が『ドイツ移住』という決断をするとき、「日本を飛び出して海外で暮らす」楽しみや好奇心以上に、「日本を離れる」という恐怖がとても重くのしかかってきました。
いつも自分がなにかを決断する時に発揮してきた、恐怖よりも先にくるワクワク感や好奇心がなぜか全く発揮されず、まるでバンジージャンプを飛ぶまさにその矢面に立たされたように(※飛んだことないけど・・)、これからどうなるか分からないし、もしかしたら生活できなくなって死ぬかもしれない(※絶対そんなことないけど・・)という恐怖から逃れられず、決断するのにまさに2年を要しました。


そして実際に、愛する日本を離れてみた今、わかったことがあります。

日本には「日本人」という1つの大きなコミュニティーがあって、その中の一人として生活していることに “ 絶対的な安心感 ” があったということ。それはみな同じ言葉を話し、みな同じ文化を共有して生きていることが大きかったんだと思います。そして日本という一つの大きな輪から一人で飛び出す(輪から出る)ということが自分にとって恐怖だったのだと。
日本から一歩出てしまえば「日本人の一部」としてではなく、「異国から来た外国人」として扱われるだろうし、自分の意見をきちんと主張しなければ個人主義のドイツでは生きていくことは出来ません。

ここに辿り着くまで、自分にとってこの決断が正しいものなのか何度も何度も問いただしました。問いに問いただした末に今ここドイツに居るわけなのですが、これが正しいものだったのかどうかは今の私にはまだわかりません。
それはこれから自分がどう生きていくかで変わるんだと思っています。

迷いに迷った末、最終的に自分で自分にかけた言葉は、


” ワクワクする方へ行け ”  


でした。

私たちそれぞれの人生の中で、それぞれの人生の決断があると思います。
私が生きてきて何かを決断するとき、優先することは自分がそれをやってワクワクできるかどうか、それだけだったように思います。

月並みな言葉だけど、死ぬ時にもっとあぁすれば良かったって思うくらいなら、一度しかない人生、ワクワクする方に賭けてみてもいいかなって。もしダメだったときは、戻ってくればいい。

昔から好きな言葉があります。

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こんな時代だけど、
こんな時代だからこそ、
誰かに誘導された答えではなく
自分の本心から出る素直な言葉に従って生きてもいいんじゃないかって思います。

そしたら、昨日より素敵な景色と素敵な人に出会えると思うから。

それではまた◡̈⃝

 Tschüss

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