ドストエフスキー「罪と罰」の舞台散歩
11月11日は、ドストエフスキーの誕生日です。
そこで、今回は、「罪と罰」の舞台になったサンクト・ペテルブルクの街を紹介します。
『罪と罰』を執筆した家
まず、ドストエフスキーが1864年から1867年にかけて住んだアパートです。
『罪と罰』がこの家で書かれたというプレートもあります。
翌年、2013年12月にも同じ場所を訪れてみました。
1年前と違って、雪がしっかり積もっています。
朝一の観光だったので、まだ日の出前でした。
冬の写真ばかりだとあれなので、2016年8月に撮った写真です。
ラスコーリニコフの家
ラスコーリニコフの家もあります。
プレートもあります。
この建物の屋根裏部屋にラスコーリニコフは住んでいました。
『罪と罰』とは関係ありませんが、この建物は、1824年11月7日に洪水被害を受け、どこまで来たかというのが、壁に刻まれています。
夏だとこのようになります。
現地ガイドさんの話
現地ガイドさんは、熱く語ります。
ラスコーリニコフは、屋根裏部屋から、いつも聖イサク寺院の屋根を眺めていました。
屋根裏部屋から見た聖イサク寺院ではありませんが、聖イサク寺院の屋根はこのような形です。
ラスコーリニコフの家の周辺は、コンクリート造りの家が立ち並び、
どの方向を見ても閉塞感です。
事件のあったペテルブルクの7月は、埃っぽくて蒸し暑い時期です。
そういう時期にこの閉塞感。ラスコーリニコフの心理状態までガイドさんは熱く語ります。
コクーシュキン橋
ラスコーリニコフが何度も行ったり来たりしたコクーシュキン橋です。
橋の看板もあります。
橋から見た景色です。
夏はこのようになります。
センナヤ広場
センナヤ広場です。
この他、ラスコーリニコフが自首をした警察署もあり、その前も通りましたが、警察署なので、写真を撮るのを辞めました。
ロシア旅行のツアーを申し込んだ時に、『罪と罰』の舞台を歩くガイドツアーが含まれていて、せっかく行くのだからと、日本語で『罪と罰』を読み、その後、近所の公立図書館にロシア語の『罪と罰』があったので、それも借りて読んでから、ロシア旅行に行きました。
そのため、この小説の舞台を歩く散歩ツアーは、ものすごく充実していたし、楽しかったです。
最後に訪れたのが2016年8月なので、また、再び歩いてみたいなあと思う今日この頃です。
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