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ドストエフスキー「罪と罰」の舞台散歩

11月11日は、ドストエフスキーの誕生日です。

そこで、今回は、「罪と罰」の舞台になったサンクト・ペテルブルクの街を紹介します。


『罪と罰』を執筆した家


まず、ドストエフスキーが1864年から1867年にかけて住んだアパートです。

2012年12月

『罪と罰』がこの家で書かれたというプレートもあります。

翌年、2013年12月にも同じ場所を訪れてみました。

1年前と違って、雪がしっかり積もっています。

朝一の観光だったので、まだ日の出前でした。

冬の写真ばかりだとあれなので、2016年8月に撮った写真です。

2016年8月

ラスコーリニコフの家

ラスコーリニコフの家もあります。

2012年12月

プレートもあります。

この建物の屋根裏部屋にラスコーリニコフは住んでいました。

『罪と罰』とは関係ありませんが、この建物は、1824年11月7日に洪水被害を受け、どこまで来たかというのが、壁に刻まれています。

夏だとこのようになります。

2016年8月

現地ガイドさんの話

現地ガイドさんは、熱く語ります。
ラスコーリニコフは、屋根裏部屋から、いつも聖イサク寺院の屋根を眺めていました。
屋根裏部屋から見た聖イサク寺院ではありませんが、聖イサク寺院の屋根はこのような形です。

ラスコーリニコフの家の周辺は、コンクリート造りの家が立ち並び、

どの方向を見ても閉塞感です。

事件のあったペテルブルクの7月は、埃っぽくて蒸し暑い時期です。

そういう時期にこの閉塞感。ラスコーリニコフの心理状態までガイドさんは熱く語ります。

コクーシュキン橋

ラスコーリニコフが何度も行ったり来たりしたコクーシュキン橋です。

2012年12月

橋の看板もあります。

橋から見た景色です。

夏はこのようになります。

センナヤ広場

センナヤ広場です。

2012年12月
2013年12月

この他、ラスコーリニコフが自首をした警察署もあり、その前も通りましたが、警察署なので、写真を撮るのを辞めました。

ロシア旅行のツアーを申し込んだ時に、『罪と罰』の舞台を歩くガイドツアーが含まれていて、せっかく行くのだからと、日本語で『罪と罰』を読み、その後、近所の公立図書館にロシア語の『罪と罰』があったので、それも借りて読んでから、ロシア旅行に行きました。
そのため、この小説の舞台を歩く散歩ツアーは、ものすごく充実していたし、楽しかったです。

最後に訪れたのが2016年8月なので、また、再び歩いてみたいなあと思う今日この頃です。

【11月11日の過去記事】


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チェブラーシカ
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