▼北陸への旅▼④:富山の2つの「はいせん」を歩く
富山市内に滞在しています。前日に、神通川の馳越線を歩き、その後待つ川沿いを少し散策して、とても楽しかったので、次の朝、出かける前に松川散策の続きをしようと思いました。(前回の記事はこちら)
松川は、神通川の「廃川(はいせん)跡」です。あと、富山駅の北側には、昔のJR富山港線が富山ライトレールになった際の「廃線(はいせん)跡」がはったはず。ということで、富山駅周辺にある2つの「はいせん」跡を散策しました。
■今回散策する2つの「はいせん」
廃川の跡地には、実に沢山の公共施設が建っています。川の跡地という空地を利用して、この街は発展したのだということがよくわかります。廃線跡のほうはというと、昔のJRの線路を一部廃止して、ライトレール化された路線。LRTになり、新たな都市交通として見事に機能しています。まさに富山の街を発展させた痕跡と言えると思います。
では、その痕跡を歩いていきたいと思います。
■富山県庁付近を歩く
■能登半島地震の爪痕
県庁のすぐ横の松川沿いで、何やら通行止めになり、工事が。
最初はなぜ工事?と不思議に思った場所でしたが、能登半島地震で液状化現象が起きた、と考えるとなるほど、と思いました。そういえばここは、「旧河道」。川を埋め立てた盛土地なので、液状化現象が起きる危険性が高い場所、ともいえると思います。やはり小規模ではあるのでしょうが、被害が出たと考えられるのではないでしょうか。
■松川沿いを歩く
桜橋付近は、川べりを歩くことができます。
■廃線跡を歩く
富山ライトレールは、富岩鉄道として大正13年に開通した路線です。戦時買収で国有化され、JR富山港線になりましたが、2006年に廃止され、富山ライトレールとして生まれ変わりました。この場所から富山駅側の区間は、線路が無くなり、廃線跡が今も残ります。それを急ぎ足で歩きました。
この付近に、富山港線の当時には、「富山口駅」という駅がありました。大正時代に富岩鉄道が開通した際は、まだ廃川地の開発が進んでおらず、富山駅への乗り入れ方法が未定だったため、この場所が富岩鉄道の起点だったことがあるのだとか。そういう意味では、2つの「はいせん」が交わる意味深い場所といえるでしょう。
■終わりに
富山市内にある、2つの「はいせん」。川と線路の跡地ですが、どちらも今の富山市の発展を知る上では興味深い遺構です。なかなか面白い発展を遂げた富山の街のことを知ることができました。
さて、次に向かう先は・・
次回は、新しく開通したばかりの北陸新幹線に乗り、敦賀の街に行きます。