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▼京都・伏見の鉄分高め散策▼②:伏見区内踏切を愛でる街歩き(前編:JRと近鉄)

お正月の京都帰省の際に歩いた伏見区内。実はあまり行先を決めずに散策していたのですが、今回は踏切を歩くのが楽しくなってしまい、「踏切を愛でる」ことが、一つの目的になってしまいました(笑)。それ以外にも、前回の記事で紹介した、複雑な路線の変遷なども興味深いです。(前回の記事はこちら)
では、踏切を愛でる街歩き、楽しんでいきましょう。

■JR奈良線(桃山→JR藤森間)の踏切を愛でる

JR桃山駅からスタート。
元・無人駅だったので、比較的寂しい感じの残る駅舎です。

【JR-①:大手道踏切】

こちらの踏切は、前回の記事でもご紹介した通り・・
大手道踏切です。大手筋商店街から伸びるこの道は、
桃山御陵や伏見城に向かうメインルートでした。
国道24号に平行し、右にカーブを切る奈良線。

【JR-②:大和街道踏切】

丹波橋駅付近にあるこの踏切は・・
大和街道踏切、という、何だか立派なお名前の踏切
大正時代の地図では、国道24号の旧道(大和街道)は
線路を横切っていたのですね。
大和街道踏切から、国道24号を見たところ。
こんな感じで昔はまっすぐ旧街道があったのでしょう。

【JR-③:第二御陵踏切】

もう少し北に進んだところにある踏切は・・
第二御陵踏切。御陵って、古い天皇のお墓ですが・・、
ここは、桓武天皇陵に向かう道の踏切です。
少し歩くと、立派な桓武天皇陵の入口が現れます。

【JR-④:第一御陵踏切】

そして、次の踏切を通過する、205系電車。
第二御陵踏切の次は・・予想通り、第一御陵踏切、でした。

【JR-⑤:長岡踏切】

第一御陵踏切のすぐ隣にある、長岡踏切。
この区間は、つい最近複線化が完成した区間です。

【JR-⑥:大亀谷踏切】

大亀谷踏切は、かなり幅員の狭い踏切。
下水管の埋設標識がついていました。
実は、奈良線は木津駅が起点なのですね。

【JR-⑦:郡山街道踏切】

次の踏切は、今では墨染通りと呼ばれていますが・・、
踏切の名前は、郡山街道踏切!

なぜ、そんな名前なのかを調べてみました。かつては、奈良街道の一部であり、奈良の隣の城下町、郡山(大和郡山)に通じる「郡山街道」の一部であったようで、墨染から峠を越えて六地蔵を通り、宇治を通って奈良に向かう街道の一部だったようです。

昔の墨染通り。峠を越えていくルートだったようですね。
そして、郡山街道踏切のすぐ近くに、JR藤森駅があります。

桃山駅からJR藤森駅までの区間の踏切を巡りましたが、とても興味深い地名がたくさん出てきました。伏見区内は元々面白い地名がある地域です。

公園の名前が、松平筑前公園、だったり・・、
福島児童公園の福島は、戦国武将、「福島正則」のことを指します。
伏見城の時代の武家屋敷があった名残が、地名に残ります。

■近鉄京都線(桃山御陵前→伏見間)の踏切を愛でる

次に、近鉄京都線を巡りたいと思います。近鉄京都線は、桃山御陵前駅と伏見駅が昔から高架駅で、丹波橋駅は掘割構造の駅です。あまり踏切は無いのではないか?と思いますが、実は少しだけあります。近鉄京都線は、JRや京阪よりも少し新しい時期に開通した路線です。なので立体交差が多い、という特殊事情があります。その事情とは・・、実は明治以降にこの地にできた、第16師団と呼ばれる、旧日本軍の師団が関係しているとされます。伏見区内には軍道が多く通っていて、そこに踏切を設けることはできなかったため、昔からある京阪線は道路がオーバーパスし、新しくできた近鉄線は、高架構造となった、というのです。では、その近鉄線を少し見てみたいと思います。

高架構造の桃山御陵前駅。結構古い高架線です。
丹波橋駅に向けて、だんだん低い所に降りてくる近鉄線。
丹波橋一号踏切道という名前です。近鉄はちょっと味気ない
踏切の名前を付けています。
もう少し北に進むと、もう1箇所踏切が。
こちらは、「伏見第一号踏切」。

今回探索範囲では、この2か所が近鉄線の踏切でした。

京阪電車の踏切を紹介していませんが・・。
数がとても多いので、次回にご紹介することにしましょう。

■終わりに

踏切は、昔の地名を残していたりするので、とても興味深いのですが、特に京都市伏見区周辺は、元々住宅密集地の中に3つの鉄道が走る場所なので、興味深い踏切がたくさんあり、見どころ満載です。

次回は、京阪線の踏切を案内しますので、お楽しみに。

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