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『レディ・ジェーン・グレイの処刑』『倫敦塔』
ジェーン・グレイの悲劇の発端はエドワード6世の早過ぎる死にあります。
エドワード6世は父ヘンリー8世の死を受け9歳で即位するが15歳で病死してしまう。
時の権力者は摂政ノーサンバーランド公ジョン・ダットレー。
ここから宗教改革が絡んできます。エドワード6世はプロテスタント、ノーサンバーランド公はプロテスタント改革を推進していた。
ところが、王位継承予定のメアリーはカトリック教徒。
困ったノーサンバーランド公は、王位継承権を持ちプロテスタントだったジェーン・グレイに白羽の矢を立てます。(継承順位4番目ですよ)
ノーサンバーランド公は、死を前にしたエドワード6世にジェーンの王位継承を認めさせ、自分の息子であるギルフォード・ダットレーとジェーンを結婚させました。(エドワード6世1553年7月6日崩御)
ところがです。ここからあっという間ですよ。
①1553年7月9日 ジェーン・グレイ即位宣言
②同年7月10日 同志の貴族を集めメアリーが挙兵
③同年7月19日 サフォークでメアリーが即位宣言
④傭兵部隊を率いノーサンバーランド公も応戦。しかし部隊の戦意は低く、脱走兵なども相次ぎ戦況を絶望視したノーサンバーランド公は、メアリーの即位を認め7月末に投降。(1553年8月22日大逆罪により処刑)
可哀想なジェーン。戴冠式の為に入った倫敦塔。イングランド史上初の女王の在位はわずか9日間。倫敦塔を出ることなく、1554年2月12日、夫ギルフォードと共に処刑される。16歳だった。
二年も三年も長いのは十年も日の通わぬ地下の暗室に押し込められたものが、ある日突然地上に引き出さるるかと思うと地下よりもなお恐しきこの場所へただ据えらるるためであった。久しぶりに青天を見て、やれ嬉しやと思うまもなく、目がくらんで物の色さえ定かには眸中に写らぬ先に、白き斧の刃がひらりと三尺の空を切る。流れる血は生きているうちからすでに冷めたかったであろう。(『倫敦塔』夏目漱石)
あまりにも有名な歴史であり絵画であり小説ですが、もう一度じっくりと考えたかったのでまとめてみたのですが、歴史の情報量が多すぎて、結局ありきたりなまとめになってしまいました。
ヘンリー8世の離婚問題に端を発したイングランドの宗教改革もすごく興味があるのですが、(特にヘンリー8世。結婚しすぎ処刑しすぎ問題)私のまとめノートがぐっちゃぐちゃのカオス状態になってしまったので、また大きな藁半紙なんかを用意して挑戦しようと思います。
おまけとしてヘンリー8世の肖像画を貼っつけておきます。
・・・なんか、むかつく。