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春日太一著『鬼の筆』

(文藝春秋、2023年)

 脚本家橋本忍や関係者に対する長年の取材と、多数の資料に基づいた480ページの評伝。

 橋本は多作の人だが、私が鑑賞したことのある映画は『羅生門』(1950)『生きる』(1952)『生きものの記録』(1955)『日本のいちばん長い日』(1967)『日本沈没』(1973)『八甲田山』(1977)の6作。いずれも社会批判を含んだ物語である。

 しかし著者のインタビューで、冤罪事件を題材とした『真昼の暗黒』(1956)について問われた橋本は「作る基本姿勢として、そういう難しい理屈は考えないようにしているんだよ」(141ページ)とあっけらかんという。

 当時は大映で三益愛子主演の母モノ映画が当たっていた頃だった。『真昼の暗黒』の元ネタとなる事件では、共犯者に仕立て上げられた無実の被告人が4人いた。「それにみんな母親や恋人がいる。つまり四倍泣けます、母もの映画だ」(148ページ)。あまりにも俗っぽい。

 ただ、作劇のために費やした取材は緻密である。エンターテインメントという目的がはっきりしているからこそ、社会問題を物語として使う際の手つきが狂わない。

 なるほど、橋本忍の作品で登場人物たちに降り掛かる災厄はいずれも容赦がないにもかかわらず、それがただの陰惨に終わらないドラマになっていることの所以が分かる。

 芝居小屋の興行師だった父の背中。祖母から聞かされた、明治期の農民一揆「生野騒動」の血なまぐささ。そして結核で若くして一度は余命宣告された青年期の体験。それらが、絶望的な悲劇を娯楽作として世に放っていく脚本家橋本忍を生み出したのかもしれない。

 のちに自身でプロダクションを立ち上げる彼の創作ノートは、ビジネス的な観点での分析も交えており、ヒットのために、売れる作品を「作る」だけでなく、作品をどうやって「売る」かにも並々ならぬ関心を寄せていたことが分かる。『砂の器』を巡る、創価学会員の動員規模を読んだ記述は生々しい。映画という事業への姿勢には、父親譲りの競輪好きともつらなる勝負師的な興奮が見て取れる。

 本人の発言と関係者の発言が食い違うなど、ときに事実関係が錯綜しながらも、膨大なインタビューと資料を突き合わせて橋本忍の行動をつぶさに検証していく。労作かつ傑作だ。

=2024年2月18日読了



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