2018 読書この一年
※2018年12月30日にCharlieInTheFogで公開した記事「2018年読んで良かった本」(元リンク)を改題して転載したものです。
卒論関係の単純作業が大幅に積み残っており、これから年内、積ん読本を消化する余裕はなさそう。今年の読了冊数は58。週1冊ペースくらいなのでそんなに多いわけではないけれど、1日の平均読書時間ゼロの大学生が半数を超える時代なので、少ないわけでもないのかね。報道サークル現役だった昨年は31冊だったので2倍弱。
読んで良かった本を列挙しておく。書名リンクはAmazonに飛びます。
『競争社会の歩き方』大竹文雄(中公新書)
経済学部生でありながら怠惰を極めているために、経済学の意義みたいなものをぱっと言語化しにくいところがある。それは今も相変わらずなのだが、少しは補助線的なものを持つのに役立ったと思う。競争社会によって自らの特性を認識できるという話が印象的。
『初詣の社会史: 鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』平山昇(東京大学出版会)
初詣という文化は今でこそ当然視されているが、ここまで定着したのは鉄道ができてからだという話。いま「伝統」的なものとして言われるもののうちには、明治以降に生まれたり普及したりしたものも結構あるが、初詣も実はそうらしい。
本書では他にも例えば節分についても触れられている。日中開戦後は娯楽自粛モードが広がり、社寺参詣も戦勝祈願を名目にしにくい非国家的・現世利益祈願の行事はやりにくくなったらしく、さらに総力戦体制下で物資消費が必要になるものもしづらくなった。その最たるものが節分だったらしい。面白いのは、鉄道は広告で社寺参詣をすすめて鉄道利用を促すのだけど、先の事情から節分行事が難しくなるので無理矢理時局に適合させようとする動きがあって、京阪電鉄が広告で「外敵膺懲(おにはそと)挙国一致(ふくはうち)」。苦しい(笑)。
『会計学の誕生――複式簿記が変えた世界』渡邉泉(岩波新書)
複式簿記が誕生する過程など。会計というものにみじんも興味もなかったのだが、なるほどよくできた仕組みだなと思い、今年は簿記検定まで受けてしまった。最後に書かれているが、説明責任の名目で企業に求められることがどんどん拡大化するなかで会計の立ち位置も変わりつつあるらしく、筆者はそれに異議申し立てをしている。
『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』松本創(東洋経済新報社)
基本的には遺族がJR西と、責任追及よりも再発防止を主眼に対峙するストーリーで、主人公の遺族は大学の先輩に当たるようだ。もちろんこのストーリーも面白いのだが、その背景にJRが背負ってきた、労働組合との関係性に関する記述には考えさせられた。悪いことは全て労組のせいで従業員がたるんでいるからだ、だからしごかねばならない、という発想。そういえばつい最近も、技術職員を新幹線が猛スピードで通過する模様を間際で体感させるというパワハラ的研修のニュースが流れた。この本が出たときには新幹線台車亀裂のアクシデントもあった。全くもって終わった話ではない。
『だまされないための「韓国」 あの国を理解する「困難」と「重み」』浅羽祐樹,木村幹,安田峰俊(講談社)
カバーがいかにも嫌韓本みたいな感じなので手に取るのがちょっと躊躇されるが、内容は全く穏当なもの。朝鮮半島研究の第一人者である浅羽、木村の対談は、むしろ研究者としての姿勢はどうあるべきかという根本的な問いへの回答にもなっている。
『生きるとか死ぬとか父親とか』ジェーン・スー(新潮社)
ウケたのは空襲で焼けたナスを焼きナスだと言って食べたという父親のエピソード。笑い話なのだけど、でもれっきとした一市民の戦争体験である。
『砕かれたハリルホジッチ・プラン 日本サッカーにビジョンはあるか?』五百蔵容(星海社新書)
この本のおかげで、開幕前あれだけ陰鬱なムードが漂ったワールドカップ(の日本戦)も見る気になった。ハリルの戦略が日本代表がこれまでたどってきた歴史の中にちゃんと位置付けることができるということを、分かりやすく解説してくれた比類なき書。最後の霜田インタビューだけでも読む価値大。
『どもる体(シリーズ ケアをひらく)』伊藤亜紗(医学書院)
しゃべろうとすると最初の言葉を連発してしまう「連発」型の吃音は、意志に身体が勝っている状況で、逆に言うと身体に任せた状態になっているので本人にとっては気持ちがいい場合もある。だけど周りに適応して「難発」型になると、恥ずかしさは減るけれど身体に抗うのでしんどい。こういうことってよくあるよねと思う。僕はアトピーにおける「かゆみ」で同様のことを幾度となく経験している。
『知性は死なない 平成の鬱をこえて』與那覇潤(文藝春秋)
今年自分の中で最も響いた本かも。何度も手に取って読み返している。うつ病によって学者であるための能力を失った著者が、治療の過程で、<能力は私有できず、能力の本質は他者と共存していくことにある>という結論に至る様は感動的で、普段本を読んで泣くことがない僕が、電車の中で涙を流したのを覚えている。
『経済数学の直観的方法 マクロ経済学編』長沼伸一郎(講談社ブルーバックス)
経済学部生はとりあえず一通り読むといいです。なるほどあれってこういうことだったのか、ということが結構出てきます。我が大学でも複数の先生が参考文献に挙げている本なので、眉唾本の類いでないことは確実でしょう。
『サカナとヤクザ: 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』鈴木智彦(小学館)
北方領土をめぐる漁業の現実に関しては特に興味深く読んだ。「国に裏切られた」という思いを持つ漁民が、日ソの当局に両にらみの格好で魚を捕る生々しさ。
『日本代表とMr.Children』宇野維正,レジー(ソル・メディア)
ミスチルはどうも肌に合わないというか、自分には向けられていない類いの音楽だという感じがして敬遠しがちだったこともあり、これほど日本サッカー界と双方向の行き来があったとは思わなかった。僕の少し上の世代はミスチルで育ったようなもの。異色の平成論とも言うべき対談です。
『日本語とジャーナリズム(犀の教室)』武田徹(晶文社)
日本語という言語は果たしてジャーナリズムにたえうる言語なのかということを考察した書。別に日本語特有の問題じゃないんじゃないの、という疑念は最後まで消えなかったけれど、小説体を取ることによるジャーナリズムの可能性など、へえそういう手があるのか、みたいなところは多々あり、参考にはなる。なによりジャーナリズムが、自らの道具たる言語を相対化して見ることは極めて大事。
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