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自分のために書き続ける

どうして書くんだろう、とふと振り返る時がある。

普通の人は「小説」なんてものは書かないらしい。
じゃあ、普段から思考していることや、ストレス含め言いたくても言えない事や言わない事や疑問や不条理に感じている何かを、どこでどういう風に発散できているのだろう?と、逆に疑問に思ってしまう。

もちろん書く事は残ることでもあるから時としてリスクにもなりえる。
それでも「書く事」が既に日常生活の一部になると、本当に自然なことすぎて、つい書かずにはいられなくなってしまう。

これは趣味で創作なり発信をしている人には共感してもらえるんじゃないだろうか。

自分なりの心の整理として「書く事」について書いてみようと思う。


はじまりとして、子供のころからずっと何かしら書き続けている。
初めて漫画を描いたのは小学1年生だった。当時人気だった星のカービィをモチーフに4コマ漫画を描いていて、これがクラスメイトにウケて何と6シリーズ(6冊)くらいまで続いた。

その次に小説として物語を書いたのは小学5年生頃。
その頃、少女小説がブームだったことと、好きな男の子が出来たことがきっかけで、何となくお話を書いてみたくなって書き始めた。
これも何だかんだ2年間で5シリーズくらい続いたかもしれない。もちろん挿絵も自分の自家発電っぷり。(それも2世代に渡る恋物語ww)
その時から漫画も小説も両方書く事が好きだった。

中学高校は漫画の創作活動、同人誌活動に夢中になり、個人サイトまで作ったりしてバリバリのオタク沼だった。
もちろん傍らでちゃんと美術部にも所属し、美術系の短大も卒業はできた。

もちろん書かない時・書けなくなった時期もあった。
けれど自分の生き方がうまくいかない時に、書きたい気持ちが湧いてきて書いては休み、書いては休みを年単位で繰り返してきた。
そうして今回も数年ぶりに書く事を再開した。

リレー小説、漫画、個人サイト、ブログ、ミクシィ、タスキ―、エブリスタやカクヨムの色々なツールで、気が付けば色々書いていた。
日記、小説、短歌、散文ひとりごとをSNSに書き散らかすときもあれば、ちゃんと課題を持って書きたい時は文学賞に投稿してみることもあった。
当然、箸にも棒にも掛からぬのだけれど「小説を書いている」という意識を持ちたい時にはちょうどよかった。
けど、そうして取り組んで書いたものは毎回自分の中でシックリくることがなく、書いていて気持ちが乗らないから面白いものだと思う。
それと同時に、きちんと依頼をされて執筆するプロの作家さんは偉大だなとも。

余談だけれど、絵も描けて物語も作る趣味が役立ったことの一つに、姪っ子の誕生日プレゼントとして、本人を主人公にした絵本をあげたらものすごく喜んでもらえたことがある。
そんなわけでちょっとしたお話を書いてあげられたり、好きなキャラクターの画風で似顔絵を描いてあげたりすることができるので、オタクスキルっていつどこで役に立つか分からないなぁと思う。

当時はプリンセスが大好きな姪っ子

話は戻るけれど、なぜ書いてしまうんだろうか?
何故小説なんだろうか?
日記だけでは済まなく、物語にさせようとするのか。

執筆する中でふと思う時があるけれど、結局は自分でも分からない。
書きたくなるから。話が浮かんできてしまうからとしか言えない。
それに元々が漫画描きというのも物語や人物が浮かんでくることに影響しているかもしれない。

書く事について考える中で、頭に浮かんできたワードを書き留めるとこんな感じだ。

心の整理、考えの整頓、インプットからアウトプット、やりきれなさ、興味、ストレス、昇華、心が軽くなる、承認欲求、俯瞰。

これらの言葉を並べた時に自分の中で繋がった。
私にとっての執筆活動はおそらくメンタルヘルスを保つために、いわば自分のために書いているのだと。

執筆の際に思考していると、作品の中で自分の見つめ直したい課題や悩みや本音を見つけたり気付かされることがある。
だけどそれにぴったりとハマるような言葉を知らないと、自分の書きたい言葉で書けない。
更にそれには言葉だけでなく、興味を持った書きたいテーマの情報や知識をつけないと、うまく表現することもできない。
アウトプットに必要かつ大事なのはインプットってこういうことか~的なものだ。
説得性をもってよりよく書くにはインプットが重要で、そうなるとネットだけで仕入れた知識だけでは足りない。専門書やそれにまつわる文献を読むようになった。

興味を突き詰めていく作業は、自分が考えたこと以外の色々なもので自分の中が埋まっていって楽しいし、人と話す引き出しにもなるから楽しい。

それに自身の経験もちょこっと加えていくと、もっと面白く書けるようになった。
良い事、幸せな事だけではなく、嫌な事。ずるくて根暗な部分もある。蓋をしている汚い感情的なところも。
全部を書く必要はないけれど、ざらりとした人間臭いものを書くうちに、そんな自分を発見して、俯瞰できて自分の一部だと見直すきっかけにもなる。

そう書くと普段から鬱々とした人間なのか?と思われるけれど、私は普段から物静かな人間ではない。どちらかと言えばよくしゃべる方だ。
理由として対人関係で気まずさを持ち越したくないし、何考えてるか分からないことで他人に気を遣わせるのも面倒だなと自分では思っているゆえに、人からも話しかけられやすいようにわりとオープンに接するようにしている。(結果これが職場で後輩にウザがられているけど)

それでも、見えることが全てじゃなく、言葉には出せない嫌な思いを何かしら執筆することで代弁しているのかもしれない。
こんなのは小説の在り方としてはきっと間違っているのかもしれない。
私が考えるに、小説を書くならば自分が気持ち良くなるためのものではなく、人に愉悦をもたらすものがきっとエンタメとして正しいものだろうから。


執筆を続ける中で、最初は自分を整理し振り返りたいために書いていたことから、そうでないものへと少しずつ変わっていったことがあった。

テーマ(自身)に飽きて手を出したのが「お題小説」というものだった。
第一、自分にネガティブになって嫌なのにそればかり見て書いてるなんて、悩んでる自分大好き的に酔って浸ってるってことじゃん……って気づいた気恥ずかしさもある。

なので書くネタが尽きた自分としては「100のお題」なんてうってつけだった。
そのタイトルから浮かぶ言葉をいくつか書き出す。すると点同士が線が繋がるようになって物語が作りやすかった。
もちろんテーマを捜して書く事も多く、そのために図書館に通って関連書籍を読んだりすることが増えた。
それらは自分の中身になっていくので、雑学を得ることもとても良かったことの一つだ。(それが仕事上の他愛ない話のネタになるし)

自分なりに表現したい言葉が書けるようになると、執筆していて楽しい。
物語を書く純粋な醍醐味を感じてくるようになった。
どれらも他愛のない似たような恋愛話ばかりしか書けないけれど、オチの持っていきどころを考える作業は執筆していてワクワクした。
悩んだり、なかなか結末が思いつかない時もある。そういう時は寝かせたり、思い切って全部削除しまったく違う物語を書き直したりした。

物語が動くと勝手に登場人物が息をするみたいなところがあって、そうなると話の構想が止まらなくなってしまう。
無心に書いていて完結してしまうこともある。


そうなると、今までは気持ちを整理するための物語だったけれど、気が付けば純粋に物語執筆の醍醐味を感じられるようになり、前よりも執筆が好きになった。

調べ物の時間は新しい知識が身につくゆえにとても楽しみになる。
また、そのネタを人との会話のエッセンスに加えられるようになってから、人と会話するのももっと楽しめるようになった。
人との会話がきっかけで興味を持ち調べるようになり、そこからお題とつなぎ合わせて物語が生まれる時もあった。

考えの整頓もできて、内省もして客観的にも考えられるし、書くうちに自分の本音に気付かされて書きながら励みになることだってある。

自分の事だけ書いていたつもりが、自分が得た色々な話が形を変えて物語に加わり彩られていく。
自分や人や調べたものの結果を交えながら架空の人物の人生を書くって、なんて特殊で魅力的で面白いことなんだろうか。


嫌なものも全部享受して、反発しながらも咀嚼し自分の糧にして、これがいつか何かの時に役に立つのだと思えるようになった。
生きること、経験することは創作のときの全部のネタになりえるという貪欲根性に近いかもしれない。

そうして自分が吸収したものを放出し、構築する作業の中で得られる気付きがたくさんある。
また、つらい時には書く事で気持ちが落ち着いたり、「あの人はこういう気持ちであんなことを言ったのかもしれない」と考える事だってできる。
たとえそうじゃなくても、想像してみることで自分の心の傷が少しだけマシになっていく時がある。
ただ、色々書きたくなりすぎるゆえに長くなって簡潔に書けない=結果として読みにくい部分もどうにか乗り越えていきたいところだけれど。

自分が嫌な奴になってるな~今の自分の考え方嫌だなって時ほど、日記なり小説なり自分の気持ちを書き出すことが多い。
そうすると考えの整理整頓になってその中で自分の未熟さ、気付かなかった見栄や虚勢や持ち合わせていた嫉妬心、さびしかった気持ち、本当の自分はどうなっていきたいかが見えてくる。

執筆活動が根暗だろうが何だろうが、それで少しでも謙虚な心を取り戻せるなら良い事じゃんって思う。
持って行き場のない心で不機嫌を露わにして、周りに気を遣わせるよりかはよっぽどマシだ。

自分の事が見えていないから解決策が分からなくて、生きるのが苦しかったんだなと思うことばかりだったから。
自分の好き嫌いや思考を自分自身で把握できて、少しでも自己分析が出来て、生きることが楽になれば越したことはない。
結局他人には自分の人生を解決なんてしてもらえないし、自分を救うことって自分にしかできない。


たとえ何にもならないとしても、私は自分の心のために執筆活動をずっと続けていてよかった。
なのでこれからも自分のために、休み休みでも心の余白がある限りは、どんな他愛ないこともジャンルを超えて書き続けていきたい。

アナログで書く必要さも感じて
書き始めたブレスダイアリー