What should we do to those who NEED HELP(※3)
先日の通勤でのこと。
駅で迷っているらしいご年配の男性がいたので声を掛けます。
「いやあ、帰れなくなっちゃってね。前はこんなこと無かったんだけど…」と。
見ればビニール袋1枚を除いて手荷物も持っていません。いちばんの違和感は、このご時世にマスクをしていなかった事でした。
どうやら、電車で出掛けたはいいが帰り方が判らなくなってしまったようです。ご自分の今いる駅と路線も、理解されていない様子。
時刻は13:30頃。ご本人の疲労度がはっきりしないものの、表情からまだ大丈夫かなと判断。ただ暑かったので脱水が心配でした。何か召し上がりましたか?と尋ねるとジュースは飲んだ、とのことなので少しだけ安心。
行きたい駅名を伺ったので乗り換え駅をお伝えすると「ありがとうございます」と、ご本人から離れて行かれました。
流石に心配なので隣の車両に乗り、見るともなく様子を伺います。
同じ車両に居合わせたご年配の女性ともお話されており、乗換駅でその女性が乗るべき路線まで案内されていました。
男性を案内された方が私と同じホームに来られたので、お話しします。その方は「私もいつああなるか分らないから。明日は我が身だからお互いさま。」と話されました。
どうする?助けを必要とする人への対処
これから昼間の出勤が増えるので、こういう現場を目にする機会も多くなりそう。そのときどう対処するのか?改めて考えておく必要性を感じました。
私が判断に迷ったのは、警察に通報するべきかどうかという点です。
ご自分で「分らなくなった」ことが分かっておられて、そのように人に説明もされています。そのためご本人の気持ちを考えると警察は最後の手段なのかな、とその時は思いました。
また電車で移動しているため所轄がわからない、ということも。
そして私自身も出勤途上(しかも新人)ということもあり、「あの方が何とか目的の駅で降りられますように」と願ってそれで終わらせてしまいました。
乗り換えをお手伝いしたご婦人も「隣の席の方に『○○駅で声かけてあげてね』って言ってきたから」と仰っていましたし。
こうやって各自がリレー的に少しずつ関わって解決できるのなら、それがベストなのかもしれません。
ただ安全第一で考えると、駅員か警察に入ってもらった方が善かったかな?とも考え悩んでしまいます。
援助の解釈とあり方
あのとき本当はどうすべきだったのでしょう?
勤務を終えたあと、「徘徊 見掛けたら(※1)」とググッてみたところ、
・認知症を疑われるため、警戒させないように目を見て、静かに、ゆっくり話しかける
と、まずは接し方のアドバイスから。介護士経験者なら自然にやっていることでもあります。
さらに警察関係のサイトであれば
・可能なら名前を聞き出して、すぐ110番!
とされています。
そこでまた考えてしまいました。
もし、私が認知症になって迷ってしまったとき、自分だったらどうして貰いたい?
たぶん私も、色々人に聞きながら、自力で解決しようとする気がします。
「あ、迷ってる!警察!」って言われたら、怒りはしないけどちょっと気分が悪い。
「そこまでボケとらんわい!」と逆ギレこそしませんが、プライドは傷つきそうです。
そもそも「残存能力」をMAX使うことは、リハビリなどと銘打つ以前に誰もが享受している権利のはずです。
できれば周囲の自発的かつさりげないサポートで本人の目的を貫徹する事が、自然な世の中であって欲しい。
と、私個人は思っております。もちろん居合わせた複数人でサポートを試みたけど及ばなければ、危険なので通報します。
確かに行方不明者が数字で挙がってしまうことを、行政は嫌うでしょう。介護施設内の「事故」に対する捉え方(背景に幾重にも塗り替えられた人権の解釈がある?(※2))も、根っこは同じなのかもしれません。
いずれにせよ判断を制度に丸投げするのでなく、個を尊重することで「誰も取り残さない社会」を実現できれば最高。
これは夢物語でしょうか?
※1 「徘徊」とは厳密には目的を持った行動を指しますが、ここでは検索ワードとして敢えてこの表記にしています。
※2 介護現場での「事故」へのスタンスと人権関連法の整備との関連について実証を試みているものの、自身の体感とはタイムラグがあるため、まだ仮説止まりで明言できません。
※3 英語間違ってたらツッコんで下さい(笑)(笑)
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