【小説3】麻子、逃げるなら今だ‼︎〜卒業式〜
全話収録⤵️
前日譚•原案(ノンフィクション)⤵️
3.卒業式
「早かったわね、あの進がもう中学生になるなんて」
感無量ってこういうことよね、きっと。
それに今日の特別感は別格だ。
いつもは出張で不在の夫と一緒に進の小学校の卒業式に来ているんだもの。
夫が子どものイベントに参加するなんて一体いつ以来なんだろう。
「じゃあ、俺行くから」
「えっ、何?」
卒業生が退場した後の余韻をぶち壊す一撃。
「今日は昼から会社に出ないとまずいんだ」
「午後からは由美の卒業式だって言っておいたじゃない」
そうなのだ。
よりによって由美の短大の卒業式と進の小学校の卒業式の日が重なってしまったのだ。
午前と午後に分かれていたからまだ良かった。
ただ短大までの移動には時間がかかる。
「ここで進をピックアップして一緒に行こうって言っておいたでしょう。
そうしないと間に合わないって言っておいたじゃない。
明日じゃダメなの?」
さっきまでの感慨はどこへやら、声に険が混じってしまう。
「どうしても行かないと。
最後だから」
ちょっと待って。
最後って言った?
何が最後なの?
フリーズしている麻子に向かって追い討ちをかけるような言葉が放たれる。
「俺、今日で会社を辞めるから」
「ご参列の保護者の皆様はお子様の教室に速やかにご移動をお願いします」
早く立たなきゃと思うのに麻子の体は金縛りにでも遭ったように動けない。
「初めて聞いたんだけど…」
「だって初めて言ったんだから」
夫を他人のように感じてしまう。
「それってこういう場で初めて言うことなの?」
「はぁ?とにかく俺はもう行くから」
他の保護者は続々と移動し始めている。
「担任から卒業証書など一式をお渡しした後、クラス毎に在校生がつくる花道を通って校門から出ていただきます。
個人的な写真撮影はその後にお願いします」
早く教室へ行かないと。
体育館のパイプ椅子を片付ける在校生の都合もあるだろうし。
「せめて進の教室までは一緒に行ってあげようよ」
夫は何と返事をしたのだったか。
進には何と声をかけたのだったか。
麻子は夫をにこやかに送り出せたのだったか。
後から思い出そうとしてもその辺の記憶はひどく曖昧だ。
「進も食べようよ。
何か取ってきてあげようか」
学内のホールでは卒業式に引き続きビュッフェ式の会食会が行われている。
老舗ホテルのシェフ達によるお料理とサービス。
友達と引き離されて由美の卒業式に連れてこられた進の機嫌は良くない。
それはそうだろうと思う。
自分の卒業式のときも帰りがたかったなと麻子は思い出だす。
せめて夫がいてくれたら進の態度も少しは違ったかも知れないのに。
いつでも食べられそうなカレーや唐揚げだけしか食べない進はホールから出てぼんやりとしている。
進のことが可愛いくて堪らない由美も、今日だけは流石に友達や先生と写真に写る方が大事なようだ。
由美からも進からも離れて一人でビュッフェの料理を食べ続けているオバサンの姿は他人の目にはどう映っているのだろう。
今日はおめでたい一日になる筈ではなかったか。
修の高校の卒業式の日程と重ならなかったのがせめてもの救いだった。
皿の上の料理を食べきった麻子はドリンクコーナーに移動して1人分のコーヒーをカップに注いだ。
「どういうことか説明してくれる?」
夫が帰って来るのを待ち構えて問い詰めたのは間違いだったか。
一言でも謝罪の言葉を期待したのが馬鹿だったのか。
「帰って来た途端にやめてくれよ」
「わかった。
じゃあ、都合のいいときに声をかけてくれる?
今日こそは話し合いをしましょうよ」
夫は返事もせずに洗面所に向かった。
夫と麻子は夫婦喧嘩をしたことがない。仲が良過ぎる訳ではない。
喧嘩をしてでも解り合い歩み寄れる方が良いと麻子は思っている。
夫は喧嘩はしたくないと言う。
夫婦なんだからそれくらい口に出さなくても解るだろうと言う。
俺は麻子のことなら何でも解っていると言う。
話し合っても解り合えないのに、話もしないで解り合える訳がないと麻子は思っている。
本当に麻子のことを解っているのなら、話し合いにも応じるのではないだろうか。
自分より麻子の方が賢いと夫は言う。
言葉では負けると言う。
麻子が望んでいるのは話し合いであって勝負ではないと言っても伝わらない。
俺は麻子のように言葉を知らないから負けるのだと夫は言う。
かっこいい言葉や熟語を使わなくても、解ってもらおうと言葉を尽くせばよいのにと麻子は思う。
言えないのならメモで構わないから紙に書いてほしいと頼むと、字が下手だから嫌だと言う。
これでは喧嘩をしたくても喧嘩になりようがない。
夕食の片付けが終わっても入浴を済ませても夫からの声は一向にかかりそうにない。
このまま放っておくと深夜までゲームをしているか、麻子が気づかないうちに眠ってしまうかのどちらかだろう。
「今、時間をとってもらっても構わない?」
ちょっと卑屈過ぎるくらいに下手に出てみた。
声をかけてって頼んだじゃない、なんてこの人に言ってはダメなのだ。
結婚以来…いや恋愛時代からそうやって気を使い続けてきたような気がする。
付き合ってほしいと言ってきたのは夫の方なのに。
私はこのまま、この人の機嫌を伺いながら一生を終えてしまうのだろうか。
それって自分の人生を生きているって言えるのだろうか。
もう平均年齢の半分を超えていると思うと何だかもやもやとした焦りが湧き起こる。
「先ずはね、今日のことを説明してほしいの」
「だから会社を辞めてきた。
明日からは会社に行かない。
自分で仕事をする。これでいいか?」
麻子の思う話し合いには程遠いけれど、気に入らないと夫は口を噤んでしまうことだろう。
「今更言っても仕方のないことだけれど…」
「じゃあ言うのやめたら?」
冷静に冷静にと麻子は自分に言い聞かせる。
「あのね、責めてる訳ではないの。
会社を辞めるのってね、家族皆んなの問題でもあると思うのよ。
今日はね、取り敢えず私の気持ちを遮らないで聴いてくれない?」
「じゃあ何か?
俺は夢を諦めないといけないのか。
家族の為なら嫌な思いをしてでも会社に居ないといけないのか。
俺が夢をみるのはいけないことなのか」
俺の夢って…⁉︎
これが俗に言ういつまでも少年の心を持ち続けるってことなの?
男のロマンってやつ?
じゃあ子どもの夢は?私の夢は?生活は?
現実を見てよ。
呆気に取られた麻子には言い返す言葉が見つからなかった。
(2593文字)
#書籍化希望 #うつ #休職 #初小説 #フィクション #麻子逃げるなら今だ