💁【特性】を知って【対応】するということ 903
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少し前に「親が安易に、子どもに発達障がいの診断を受けさせると、子どもが長い期間、発達障がいという名前を背負わなくてはならない」というような内容を拝読した。
読み直していないので、違っていたらごめんなさい。
先に謝っておきます。
修(仮名、長男)は当事者。
私は当事者の親。
診断を受けることを「安易」と書いてほしくなかった。
自分の子どもが「発達障がいかもしれない」と思ったときに、「安易に」診断を受けさせるかしら?
調べた訳ではないけれど、悩んで迷った末に相談したり受診したりするんじゃないかしら?
少なくとも、私はそうだった。
書かれた方が当事者•当事者の親、若しくは一般の方なら書かないでおくつもりだった。
当時、その方はプロフに「障がい者の就労支援」「アサーション」等と書いていらした(今は知らない)。
それなら「専門家の仰ることならば」という読み方をされてしまうかもしれない。
それはそれで残念なので、「私見」を述べたい。
修は小さく生まれたし、母乳を吸えず、身体の発達がゆっくりだった。
1才で100ピースのパズルができたし、ひらがなとカタカナは、一度も教えていないのに覚えてしまった。
脱いだパジャマは縫い目に沿って畳むし、途中で遮ると癇癪を起こした。
電車に乗ると100%大騒ぎしたし、飲食店では100%じっとできなかったし、クリニックでは100%医療機器で遊ぶので医師から嫌われたし、遊びに連れて行くと100%迷子になった。
「親が手を繋いでおけよ‼︎」
尤もなんだけど、バッグを持ち替えようと手を離した一瞬のうちに視界から消えてしまうのよ。
転校した小学校の担任は、鉄棒から落ちて怪我をした修を「落ち着きがない」と言ったし、休み時間に皆んなと遊ばないで木に上ってる修を「協調性がない」「育て方ご悪いのではないか」と私に言った。
私には、用務員さんと仲良くなって木になっていた柘榴を貰ってきた修が悪い子だとは思えなかった。
ふとした拍子にモードが切り換わる修に、育て方や性格とは別の要因があるのではないか?と図書館を漁った。
当時は今ほど手軽にネット検索ができる環境ではなかったし、発達障がいという言葉もなかったから。
出会ったのがこの1冊。
貪るように繰り返し読んだ。
修のことが書かれていた。
今は、文庫本や新版やKindle版が出ている。
恐らく日本にADHDを紹介した初めての本ではなかったかしら?
ADHDを疑ったところで、どう対応すればいい?
どこで診断を受ければいい?
協力者も理解者もおらず(元夫Hも実母も無理解だった)孤軍奮闘、試行錯誤。
とりあえず、私だけでも意識しておくことにした。
高学年から中学生へと、修の交友関係も活動範囲•時間も広がった。
学校帰りに友だちの家に行けば8時になっても9時になっても帰宅しない。
友だちのお母様に「過集中で時間を忘れてしまうので、追い返してほしい」と協力をお願いしたら「修くんはそんな悪い子じゃありませんっ‼︎」と逆上された。
悪い子じゃないのは、母である私が一番よく知ってるのよ。
怪我•事故も絶えない。
お宅の坊ちゃん車とぶつかってたよ、大丈夫?
友だちのマンションから転落防止ネットに落ちて破損したから、弁償が必要なんじゃない?
高校生になってからも、救急隊員に呼び出されたりしたなぁ……
中学生のときに漸く「小児精神科」の予約が取れた。
初診、2回目は検査•テスト(3時間くらいかかったと思う)、3回目に「極めてADHD的である」と結果を聴いた。
今と違って、当時は投薬治療も勧められた。
修自身が「あの女医さん、何か嫌だ」と言った為、以降通院はしなかったけど。
頭が悪い訳ではない。
寧ろ良いくらい。
ただ成績には結びつかない。
本人はそれを苦にしていない。
教師も親もモヤモヤするけれど。
変わり者だけど、性格が悪い訳ではない。
友だちだっている。
長いし深いし、私なんかよりよっぽど頼りにされている。
未だサブスクプランがない時代、ガラケーで動画を視聴して、料金が10万円/月を超えたことがある。
大学は留年→休学→復学→中退した。
本人は至ってケロリとしていて、親がガッカリするほどには苦にしていない。
学生時代からのアルバイトを未だに続けていて、正社員として就職したことはない。
それどころか先月ようやく社保に加入したところ、焦らないのかしらね?
私とは何年間も喋らないけれど、彼が本当は優しいことを知っている。
私が怪我をして動けなかったとき、一番頼りになった。
当時は未だ夫Hに「元」と付いていない頃だったけれど。
長々と書いて何を伝えたいかと言うと、発達障がいに限らず違いがあることは、おかしなことでも欠けているわけでもない。
何らかの原因があって「違い」があるというだけ。
「違い」は「間違い」ではなく、ただ「違いとしてある」。
診断を受けることで私は肩の荷を下ろすことができたし、修への接し方の腹が決まった。
診断は、必ずしも受けなければならない訳じゃない。
知りたくなければ受けなくて構わない。
それでも私は知って良かった。
修はやっぱり「悪い子」じゃなかった‼︎
大人になってから「毒親」という言葉を知ってとても救われた。
努力の方向が分からなくて疲れ果てていたときに「モラハラ」という言葉に救われた。
ラベリングやカテゴライズには功罪があるけれど、名前が付くことで楽になることや対応ができることも確かにあると思う。
視力低下が判明→治療を受ける。眼鏡やコンタクトレンズで矯正する
聴力低下が判明→治療を受ける。集音器や補聴器を使用する
例えばこれを、「早くから決めつけて可哀想」だと言う方がいらっしゃる?
発達障がいだと、早くに判明したら可哀想なの?
早く対応できた方が良くない?
修の頃は情報が少なかったし、発達障がいなる言葉もなかった。
逆に今は情報が溢れているし、専門家なのかどうか判断のつかない自称専門家が沢山発信されている。
取捨選択は大変だろうけれど、お子様やご自身にとってベターな情報に辿り着いてほしいと思うし、少しでも早く対応できれば親子とも楽に生きられると思う。
子育てに頑張っている親御様、懸命に生きているお子様、発達障がいを持って大人になった皆様、生きづらさを感じている全ての方々、そして修にとっても、生きやすい社会であれと祈ってる。 (10/12)
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