【小説2】麻子、逃げるなら今だ‼︎〜夜の散歩〜
全話収録⤵️
前日譚•原案(ノンフィクション)⤵️
2.夜の散歩
「お願いがあるんだけど。
ちょっと散歩に付き合ってくれない?
何だか気持ちがくさくさするのよね」
夕食後のひととき、麻子はダメ元で3人の子ども達に声をかけてみた。
「ええ、今からぁ?」と言いつつも面倒くさがりの子ども達がのろのろと立ち上がる。
まさか3人とも付き合ってくれるとは。
由美は高3、修は高1、進は小4になった。
夫は出張中なので今夜も不在だ。
4月の中旬とはいえ夜の空気は冷んやりとしているので厚手のパーカーを羽織る。
修は入学したばかりの高校の制服のままだ。
「桜の花はとっくに終わってるし、どこへ行こうかな」と呟くと普段は口数の少ない修が
「案山子を見に行こう」と言う。
歩いて行ける距離にある隣市の田圃や畑には面白い案山子が沢山あるらしい。
「じゃあ道案内を頼むわね」
修と進がじゃれ合いながら先を歩く。
「夜なんだから住宅街を抜けるまではもうちょっと静かにね」
高校生にする注意ではないなと思いながら由美と後ろを歩く。
「うわあ、びっくりした。人かと思った」と進が小さく後ずさる。
「だから面白い案山子だって言っただろう」と得意そうな修。
兄弟っていいな、由美と私では姉妹には見えないだろうかと楽しくなる。
やっぱり散歩に誘って良かった。
誘いにのってくれて良かった。
一人で考えていたら今頃はきっと塞ぎ込んでいただろうと麻子は思う。
昼間に夫から電話があったのだ。
普段はいくら留守電に相談やお願いのメッセージを入れても返事をくれない。
夫から連絡があるときといったら「取引先からファックスが届いたら内容を教えて」とか「○○が必要になったからホテルに送って」とか自分の都合ばっかりだ。
ゴールデンウイーク前に帰宅する予定だったのが延長になったという。
残念そうな返事をしたけれど心の中では「ラッキー」と思いながら「体に気をつけて」と受話器を置こうとしたのに夫の声が聞こえてきたのだ。
いや、もしかしたらこちらが本題だったのかも知れない。
「会社、辞めることに決めたから。
直ぐにではないけどな」
やっぱりと遂にという気持ちが入り交じり、脱力感と緊張感が交互に襲ってきた。
電話の最後に挨拶をした覚えがない。
由美が帰って来るまでどうやって過ごしていたんだっけ…
夫の実家は商売をしている。
店の休みが平日だったので外出も旅行も運動会も日曜参観も父親抜きだったと夫は言っていた。
子ども心に「商売は不安定だから大人になったら会社に勤めよう」と思っていたらしい。
その割に夫には金銭に楽観的なところがあり、コツコツ貯めるとか計画的に使うということがない。
子どもの教育費とか老後資金の話なんかをすると「麻子はお金のことしか考えてないのか。何も心配することなんかない。そのときになったら俺が何とかするから」と言う。
言葉だけはとても心強い。
もっと若かった頃には義母にこっそりと相談したこともあったけれど、頼もしいじゃないのと逆に息子を自慢する始末。
義母は一度も外で働いたことがない人だ。
麻子が相談する相手を間違えてしまったようだ。
あなたの息子が独立すると言ってますよなんて伝えたら、止めてくれるどころか大喜びするのが目に見えるようだ。
麻子が心配するには理由がある。
夫は金遣いが荒い訳ではない。
麻子に比べて遥かに大らかなのだ。
いつも「何とかなる」という根拠のない自信に満ち溢れている。
「根拠のない」というのが曲者だ。
車を買ったらチューンナップに余念がない。
パソコンを買えばパソコンに、自転車を買えば自転車に、オーディオを買えばオーディオに注ぎ込んでしまう。
借金をしてまでというのではない。
子どもが3人いるのだから先の教育費を積み立てておこうとか万一のときのために貯金をしておこうとは思わないらしい。
夫と共通の男友達から耳打ちされたことがある。
「麻ちゃんとのデート代を貸していたことがあるよ。
もちろん全額返してもらったし、結婚するよりも随分前のことだけど」だって。
結婚する気があるのならデートにはそんなにお金をかけないでと言った覚えが麻子にはあった。
そういえば由美を出産した日には石付きの指環をプレゼントされた。
有難うと口では言いながら「これから育児にお金がかかるのに」とか「こんな指環をしていたら赤ちゃんに怪我させてしまう」と不満だったことを思い出した。
夫という人は欲しいと感じたら買ってしまう、喜ぶのではないかと感じたら買ってしまう人なのだ。
余裕があるとか先で困るかもとは考えない人なのだ。
取り越し苦労性の麻子と足して二で割れたらどれほど良いだろうか。
お金は嫌いではないけれど実はお金の話をするのは苦手だ。
ましてや相手が夫では感覚が違い過ぎて話にならない。
夫と話せないのはお金の話だけかと考えてみると、もしかしたら他の話もできていないのかも知れない。
新婚の頃、麻子は未だ勤めていて会社の愚痴など言おうものなら「そんなに嫌なら辞めれば」と言われたし、ご近所さんから聞いた話をすれば「それを俺に言ってどうしろというつもり?」と言われた。
「ふ〜ん」とか「大変だったね」とか言ってくれるだけでよかったのに。
「お母さん、遅いって〜」
いつの間にか由美も先を歩いている。
「見て見て、ほらあそこにも居るよ」
さっきまで暗闇の中から突然現れる案山子に怯えていた進も自分から探しては走り寄って行く。
子どもさんのお古なのだろうか、案山子は思い思いの服装をしていて確かに面白い。
田圃や畑には外灯がないから表情までは見えないのだけれど。
それにしてもどうして修は案山子のことを知っていたのだろう。
高校生になってテリトリーが広がったのだろうか。
「進、暗いから足元に気をつけて」
8学年離れている由美がまるで親のような口調で注意する。
「大丈夫」と言いながら躓きそうになる進を見て皆んなでゲラゲラ笑う。
「お母さん、さっきは静かにって言ってたくせに」
「ここは住宅街じゃないからいいのよ。案山子はうるさいって文句を言わないもの」
ああ、やっぱり散歩に誘ったのは正解だったと麻子は束の間の幸せをしみじみと味わっていた。
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