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【小説22】麻子、逃げるなら今だ‼︎〜虐待〜

全話収録(フィクション)⤵️

前日譚•原案(ノンフィクション)⤵️



22.虐待

 「前田さん、脱衣室までお願いしま〜す」
デイサービス生活相談員の麻子は、急いで脱衣室に駆けつけた。
 「大声は出さないでね。
他のご利用者が、何があったのかって不安になるでしょう」と職員に注意をしながら川崎様の頭頂部を観た。
変色したガーゼ、4cmの裂傷、血で固まった頭髪。
 「川崎さん、痛くありませんか?」と声をかけながら看護師が周辺の髪を掻き分けて確認して行く。
 「いいえ、いいえ、痛いことありません。すみません、すみません」

 川崎様はマンションで息子夫婦と同居している。
朝お迎えに行った職員にお嫁様は「夜中に転んだみたいだけれど、お風呂には入れて下さい」と仰った。
頭頂部はガーゼで覆われていたが川崎様のご様子は普段と変わらなかった。
 確認を済ませた看護師は、縫合が必要な裂傷、入浴は中止、ご家族に受診を勧めると判断した。

 麻子がお嫁様に電話すると「はぁ、今ですかぁ」と暢気なものだ。
看護師にも「今直ぐなら午前診に間に合いますから」と加勢してもらい、お迎えに来てもらうことを渋々承知させた。
 お嫁様はデイに到着しても川崎様を心配するでもなく、麻子をはじめ職員に「ご迷惑をかけてすみません、すみません」と謝り続ける。
川崎様の方はお嫁様に「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝り続ける。
何とも嫌な予感のする光景だ。
川崎様とお嫁様が乗ったタクシーが見えなくなるや、麻子は担当ケアマネジャーに電話で報告した。

 次に川崎様がデイを利用されたときには「5針縫いました。シャンプーはしないで下さい」と連絡ノートにお嫁様の字で書かれていた。
無理矢理にでも受診してもらって良かったと麻子は胸を撫で下ろす。
 「家の中で転んで、頭のてっぺんがぱっくりと割れるって一体どんな状況が考えられる?」「あれだけの傷にガーゼだけ被せてデイに来させるって、息子様ご夫婦はどんな心境だったのかな?動かせないご予定でもあったのかな?」
業務の合い間を縫い、看護師と職員とで話し合いの機会を持った。

 日曜日の朝「10時までに送って行きます」と息子様が迎えの職員に言って、送迎車への乗車を断った。
車を持たない川崎家にしては珍しいことだ。
 9時半に到着した送迎車からご利用者の降車を介助していると、川崎様が一人で杖をついて歩いて来た。
 「川崎さん、おは…」絶句した。
 「すみません、すみません。
私は何も解りませんので」
麻子に向かって話し続ける川崎様を、他のご利用者からは見えないように、静養室に連れて行きそっと扉を閉めた。

 「お帰りいただきましょう」と看護師は明言した。
川崎様には顔貌が変わる程の打撲痕と皮下出血があった。
早い話が、顔全体が暗紫色で左目は腫れ上がって瞼が開いていない。
顔面にパンチをくらったボクサーの翌日の顔か、お岩さんの特殊メイクか…
 息子様がお迎えを断ったのは、川崎様をこっそりとデイに送り込む為だったのだろうか。

 麻子が息子様に電話をすると「夜中にトイレの中で転んで、ドアノブで顔を打っただけ。外出中なので夕方まで預かってほしい」と仰る。
迎えに来る気はないし、送って行っても留守だ。
日曜日なのでケアマネ事業所も休みだ。
 川崎様に訊いても「ごめんなさい、私が悪いんです。
迷惑をかけているんですから」と言うばかりだ。

 虐待が疑われる場合には、何人なんびとに関わらず通報する義務がある。
間違いであっても構わないし、通報者が晒されるようなことはない。
 川崎様に説明した上で、看護師と一緒に顔面の写真をいろいろな角度から撮った。
頭頂部の縫合痕も撮りながら「治療前の裂傷も撮れば良かったかも知れない」と思った。

 管理者に写真を見せて、川崎様を観に来てもらいたいと頼んだ。
 「でもな、息子はドアノブで打ったって言ってるんだろう?
勇み足で大騒ぎしない方が良いんじゃないか。
顔だろ?虐待だったら見えないところにするだろう、普通。
ケアマネにだけは連絡しておけよ」
ケアマネ事業所にはファックス済みであること、他の利用者が大騒ぎするくらいの状況であること、管理者として利用者を直に観てもらいたいことを訴えても「俺な、来客の予定がある」と重い腰は上がらなかった。
 オフィスにある管理者の席からは、喫煙コーナーに行くよりデイの方が断然近い。
この人にとってはご利用者より煙草の方が大切なのね、と麻子は失望を深くした。

 重い気持ちで帰宅した麻子を待っていたのは夫からのファックスだった。
離婚届けを送って来ないので、次の金曜日に離婚届けを取りに行く。
今後一切、電話をしてこないで下さい、とPCで入力した文字が並んでいる。
 話し合いをする気はないらしい。
肉筆ですらない文字を見て、夫は自分が被害者だと思っているのだな、麻子が離婚を渋っていると信じているのだなと改めて感じた。

 月曜日の9時になるのを待って、麻子は川崎様の担当ケアマネに電話した。
若くて可愛らしい女性だ。
押しは余り強くない。
ケアマネと頻繁に顔を合わせているというのは麻子の強味だ。
これだけは麻子を営業に行かせた管理者に感謝している。
 「虐待と判断するのはちょっと…
行政に報告すると家族分離をさせられてしまうので…
それが川崎様にとって良いかどうかは…」
何とも煮え切らない。
ケアマネに虐待かどうかを判断しろと頼んでいるのではない。
命に関わるかも知れないというのに。

 「前田さん、私を川崎さんのお迎えから外して下さい。
前みたいなことがあったら、どうしたら良いか判らないから」
岩山さんのこういう言動が職員の不満になっている。
他の職員が業務の選り好みをしようものなら大いに批判するのに、自分は「自信のないことをして事故を起こしでもしたら、ご利用者に申し訳ないから」と正当化してしまう。
 「岩山さん、自信がないんですね。
でもこれは業務です。
デイ利用ができない状況なら、お断りして下さい。
判断に迷うときは私に電話して下さい。
やりたくないと避けていたら、いつまで経っても判らないままですよ。
成長の機会を逃すのは勿体ないと思いませんか」
 「じゃあ、前田さんが行けば良いじゃないですか‼︎
車酔いなんて薬を服めばいいじゃないですか‼︎」私、虐待されてる…?
(2,515文字)


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